戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第十九回 軍による国家支配

 今年(2019年)は天安門事件が起きてから、ちょうど30年である。天安門事件(1989年6月4日)は、民主化を求める若者たちによる北京でのデモ行進を人民解放軍が弾圧し、多くの人命が失われた事件である。英国の報道によると、死者は一万人をこえるそうである。

 

天安門事件の死者は「1万人」 英外交機密文書

https://www.bbc.com/japanese/42482642

 

 天安門事件の後、中国政府に対して世界的な非難が起きた。事件翌月のフランスで開かれたG7アルシュ・サミットでは、「中国を非難し制裁を実施する政治宣言」(1989年7月15日)が採択され、中国との閣僚級その他ハイレベルの接触停止、中国との武器貿易の停止、世界銀行による新規融資の審査延期などが定められた。しかし、舞台裏では事情がまったく異なり、サミットの5日後、アメリカのブッシュ大統領は、鄧小平に対して、非難とは真逆の内容の親書を送っていたそうである。

 

天安門事件から30年② なぜ、世界は“鎮圧”を黙認したのか

https://www.nhk.or.jp/kokusaihoudou/archive/2019/06/0607.html

 

 結局のところ、欧米や日本などの民主主義国家は、形式的には中国政府を非難したが、内容的には容認したのである。なぜ上辺だけの批判をして、実質的には容認したか。理由は主として二つだろう。一つは、中国との経済的な関係に支障が出ないようにするためであり、もう一つは、中国に自由があろうがなかろうが他人事であり、無関心だということである。

 もちろん、中国政府の民主主義弾圧に対して怒った人達も世界中に多くいた。しかし、その種火は大きな炎とならず、徐々に消えていった。結局のところ、対岸の火事だったわけである。民主主義国家の国民からすれば、自国の軍隊はシビリアン・コントロールのもとにあり、あのような弾圧はありえないという安心感がある。それゆえ、中国の事件を映像で見ても、対岸で起きた「酷い」事件として見て、終わったわけである。

 その「酷さ」の具体的内容とは、人民の保護のためにあるはずの人民解放軍が、人民を殺戮して政府を守ったという事実である。ただ、中国共産党人民解放軍は、もともと党のための軍隊であって、国民全体のための軍隊ではない。それゆえ、党の側からすれば、党を脅かす人間を党の軍隊が殺すのは当たり前だという感覚があったのかもしれない。

 中国は一党独裁の国家体制であるから、こうしたことは現在でも起こり得る。人民解放軍は、国民解放軍ではなく、共産党保護軍だからである。それゆえ、現在のような経済発展を遂げた中国においても、国民による民主化要求は暴力で封じ込められる。反日デモは許されても、民主化デモは許されない。そのようなことをすれば、警察や軍隊によって射殺されることもあり得る。

 こうした中国の姿を見れば、多くの日本人は、「日本は民主主義でよかった!」「中国に生まれなくてよかった!」と思うことだろう。確かに、中国に比べれば、日本は民主主義国家に見える。主権は国民の手にあるように見える。三権分立が保障されているように見える。軍による統制はないように見える。

 しかし、この「見える」というのは、非常に厄介なものである。というのも、中国の場合には非常にわかりやすく、まったくもって民主主義国家ではなく、国民主権の国家ではない。表現の自由もない。軍が国民を支配している。国民もそれを知っている。しかし、日本の場合には半分主権国家(Half Sovereign State)であるにもかかわらず、国民の多くがそれを知らず、自国を完全な民主主義国家だと勘違いしている。ここが厄介なところである。

 確かに、日本には憲法上保障された三権(内閣、国会、裁判所)がある。しかし、実際には、その上に君臨する権力がある。それが軍である。軍隊は三権(行政、立法、司法)を超越する権力なのだ。もちろん、自衛隊は行政権のトップたる内閣総理大臣の指揮下にある。なので、シビリアン・コントロールのもとにある。ここで言っている軍とは、自衛隊のことではなく、在日米軍のことである。日本に駐留するアメリカ軍は、日本の三権を超越した権力であるために、日本の民主主義は中途半端なものである。つまり、日本は半分主権国家(Half Sovereign State)である。

 戦前の日本は軍部が強大な権力を持ち、三権(行政、立法、司法)を超越する力を持っていた。そのため国民の人権よりも軍部の意向が優先され、戦争へ突き進んだ。そうした軍国主義に対する反省から、戦後の日本は民主主義国家となり、軍部をシビリアン・コントロールのもとで統制し、国民主権の国となった・・・と言われているが、これは建前である。

 実際のところは、戦前の日本は日本人の軍隊に支配された国であったが、戦後の日本はアメリカ人の軍隊に支配された国である。両方とも民主主義の手続や形式は存在するが、それは軍部の許す範囲のものであり、国民の人権が第一の国ではない。軍部が三権を超越し、国の中枢が軍隊に支配されているという原則は、戦前も戦後も変わらない。国民のもとに軍隊があるのではなく、軍隊のもとに国民があるのである。

 もちろん、戦前の日本と違い、戦後の日本には多くの人権が認められている。1945年以降は、20歳以上の完全な男女平等の選挙権が認められている。皇軍と違い、自衛隊はシビリアン・コントロール下にある。三権分立もある。個人の尊重、平等権、生存権などなど・・・戦後の日本では、戦前とは比較にならないほどの大幅な人権が国民に認められている。しかし、それも「米軍が許す範囲内で」という条件付きであり、そのため日本の民主主義とは、半分主権国家(Half Sovereign State)なのである。

 つまり、諸々の内容的差異があり、戦後の方が戦前よりも格段に人権が認められているが、軍による国家支配の下に日本国民があるという大原則は戦前も戦後も変わらないのだ。戦前の日本人の権利は、皇軍が許す範囲内のものであり、戦後の日本人の権利は、米軍が許す範囲内のものである。この点については、矢部宏治さんの本に詳しく書かれているので、そちらを参照していただきたい。

 

なぜ日本はアメリカの「いいなり」なのか? 知ってはいけないウラの掟

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/52466

 

日本が囚われ続ける「米国占領下の戦争協力体制」の正体

https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/217780

 

第十八回 「報道の自由」と「報道しない自由」

 私は民主主義における「報道の自由」を否定しているわけではない。民主主義国家なら自動的に国民に「知る権利」が手に入るという甘い話はないと言いたいのである。独裁主義国家や共産主義国家の体制を転覆して民主主義国家にすれば、「大本営発表」が自動的に克服されるわけではないし、「真実」が棚から牡丹餅式に国民に転がり込むわけでもない。例えば米軍が北朝鮮を滅ぼし、金王朝体制をひっくり返して、民主主義の国家体制をつくりあげたとしよう。それは北朝鮮の国民のみならず、世界中の人が喜ぶ祝祭となるだろう。しかし、ハネムーンの夢気分は長く続かない。

 北朝鮮が民主主義、自由主義の国となったら、それまでの共産主義体制とは違い、日本やアメリカのように、民間企業が報道の担い手となるであろう。メディアが巨大な利権となるわけだ。そうなると、自由国家の北朝鮮の報道機関は自ら「報道の自由」を放棄して、利益を独占する大手メディアが権力と一心同体となり、国民に対して大本営発表をするようになるだろう。

 そうなった時、北朝鮮の国民は試されることとなる。それまでの独裁主義体制であれば、国民は報道を信じなければよかった。政府は特権階級の集まりであり、一般庶民の味方ではない。少数の権力層が、多数の国民を支配する。その中で、政府と一体となった放送局が、真実を報道するはずがない。政府の失態をひたすら隠し、国民を欺く報道ばかりを流す。そのような中で、国民が取る態度は一つしかない。政府と一心同体のメディアを信用しないことである。

 共産主義体制や独裁主義体制においては、国民は報道について「どうせ嘘だ」と思っていればいい。現に共産主義体制の報道は嘘だらけである。しかし、民主主義体制になったら国民に自動的に真実が転がり込むわけではない。もし、北朝鮮民主化されたら、北朝鮮の国民は、どの情報を信用するか、自分で考えて判断するしかない。共産主義メディアは嘘だらけであるが、資本主義メディアも嘘だらけである。

 しかし、多くの国民はおそらく大手メディアを信用してしまうであろう。民主主義のベテランであるアメリカ国民でさえ、およそ200年くらい同じパターンで騙され続けている。民主主義歴70年以上の日本国民も、いまだに騙され続けている。北朝鮮が民主主義体制になるとしても、デモクラシー初心者の国民が、すぐにデモクラティックになるはずがない。結局のところ、彼らも民主主義国家における奴隷とならざるをえないであろう。せっかく独裁体制の奴隷から抜け出せても、今度は民主主義国家において奴隷となってしまうのだ。

 民主主義国家における報道機関は、国家権力ではなく、民間の会社である。日本においては、NHKですらも国営組織ではなく、民間の法人である。こうした民間企業により、政府と癒着した報道が国民に流され、いかにも中立公正な「ニュース」という風体をとる。まるで間違いのない「事実」のような顔をした情報が国民に流されるのだ。

 独裁国家が国民を騙すことは誰でも知っている。しかし、民主主義国家においても政府は平気でウソをつき、報道は平気でウソを垂れ流す。これを国民はどれだけ自覚しているだろうか。イラク兵がクウェートの病院を襲い、赤ん坊を病院の壁に投げつけたという報道はウソだった。涙の証言をしたナイラは駐米クウェート大使の娘だった。油まみれの水鳥は、フセインの軍隊による犠牲者ではなかった。中東の平和をかき乱すとされた核ミサイルは、イラクに一発もなかった。核施設のためのアルミ製チューブと言われた部品は、ただの建築用チューブだった。

 何もかもがウソであり、ウソの大合唱であった。それによってイラク人やアメリカの若き米兵が大量に亡くなったが、政府もメディアも一切責任を取らない。チェイニーは軍事関連会社のハリバートンの役員であったから、あの戦争で相当に儲けただろう。ブッシュ一族は軍事投資会社であるカーライル・グループの幹部である。戦争で軍事関連企業は儲かり、そこに投資した金融業も儲かり、過熱報道をしたメディアも儲かった。犠牲者は戦場に行ったアメリカの貧困層の若者とイラク国民である。金持ちたちは、彼らを犠牲にして大儲けしたのだ。

 当時の世界の人々は、気づかなかった。大量破壊兵器は、イラクにあるとずっと言われていたが、実はもっと身近なところにあったのだ。それは利権のためなら何でもする政治家であり、関連企業であり、大手メディアである。アメリカは、国自体が大量破壊兵器であり、それを支援する日本も同様である。兵器とは、爆弾やミサイルだけではない。戦争によって儲けようとする政治家や企業は大量破壊兵器であり、戦争を煽るメディアも兵器であり、メディアの言うことを鵜呑みにする国民も兵器である。

 当時、子どもを爆弾で亡くしたイラク人の女性が、テレビカメラに向かって、「うちの子がなぜ死ななければならないの!」と泣き叫んでいた。その問いに対する答えは単純である。そうした人達が戦争で死ねば、地球の裏側の誰かが、非常に儲かるからである。誰かの悲しみは、誰かの利益である。

 民主主義国家においては、「報道の自由」が憲法によって保障されている。その「自由」は、履き違えられて、「政府から流れてくる情報をそのまま報道する自由」となったり、あるいは逆に「肝心なことを報道しない自由」となったり、「忖度した情報を流す自由」となったりする。本来、「報道の自由」とは、国民が真実を受け取ることを国家によって妨げられないことを意味する人権である。しかし、それは大手メディアが「金を儲ける自由」と成り果ててしまった。

 この履き違えられた自由をもとにして、大手メディアはきちんと事実を検証せず、政府筋から貰った情報をそのまま紙面に載せる。あるいは知っていて知らぬフリをする。例えばナイラ証言にしても、ナイラは大使の娘であったわけだから、画面でその顔を見た瞬間に気づいた人はいたはずだ。国務省関係者や外交官、あるいは外交担当のジャーナリストの中には、その茶番に気づいた者もいただろう。しかし、そうした外交のプロたちは、気づいていても、あえて声をあげなかった。余計なことを言って自分の地位と年収が脅かされることを恐れたわけである。

 アルミ製チューブについても同様である。核施設用のアルミ製チューブと、通常の建築資材としてのアルミ製チューブでは明らかに形が違う。普通の建築用アルミ製チューブは、濃縮ウランの製造という厳しい環境では使用できない。太さも強度も明らかに異なる。これは、公開された写真をもとに、ジャーナリストが核施設の建築に携わる専門家に取材すれば、簡単にわかることである。しかし、彼らはそのような取材をしなかった。あるいは取材の結果、あれは濃縮ウラン用のチューブではないと明確にわかったのかもしれない。わかっていながら口を閉じたのだろう。

 おそらく、大手メディアのそうした在り方を批判したり、文句を言うことは建設的ではないだろう。彼らは自らの既得権益を守っているだけであり、企業活動の自由が保障されている民主主義国家において、金儲けしているだけである。金儲けの自由が保障されている民主主義国家において、金儲けのために存在している企業を責めても意味はない。彼らには「報道の自由」があり、「報道しない自由」もある。それは、「わかっていながら隠す」という自由であり、当たり障りのない報道をして自分の利権を守る自由でもある。

 現在(2019年7月10日現在)、「新聞記者」という映画が日本全国で公開されているようである。私はまだこの映画を見ていないが、次のようなセリフがこの映画に出てくるそうである。

 

「この国の民主主義は形だけでいいんだ」

 

日本には民主主義によく似た形があるだけ

https://president.jp/articles/-/29272

 

 独裁国家共産主義国家が民主主義国家になれば、「報道の自由」が確立されるだろう。しかし、それと同時に、その国は、「形だけの民主主義」に陥る危険性もある。この「形だけ」に国民が満足する時、その国は支配者層にとって大変に操りやすい国となる。

 嘘の情報をもとに戦争が起きても、メディアはその嘘を暴かないし、国民もそれを疑わない。後でそれがバレても、誰も処刑されない。誰も罰せられることはない。費用は全額税金、死傷者は一般国民、儲かるのは国際金融資本家という構図が出来上がる。「形だけの民主主義」は、国自体が一つの大量破壊兵器となる可能性を秘めている。

第十七回 大手メディアという既得権益(その二)

 国税庁発表によると、平成27年(2015年)の日本人サラリーマン平均年収は420万円だそうである。大手企業の社員、例えば日立や東芝のような大企業の社員の年収も、700万から800万程度のようだ。他方、朝日新聞の社員は、30歳で平均年収1000万をこえる。NHKも同様である。フジテレビなら1500万である。そのあたりの情報については、ネット上で様々なサイトが伝えているが、例えば以下のサイトでは、大手メディアの平均年収について比較して書かれている。

 

日本にはマスメディアの危機なんてない。あるのは社員の高すぎる給料だけだ。

http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/51672231.html

 

 公務員ではどうだろうか。例えば警察官の場合、年収1000万をこえるには、警部以上に出世する必要があるようだ。日本の警察官は約25万人。そのうち、警部以上にまで出世できる確率は約10%だそうだ。つまり、約9割の警察官は、年収一千万に到達しない。

 これに対して、大手メディアに勤めていれば、普通でも30歳になれば年収1000万に到達する。となると、余計な記事を書いて島流しになったり、クビになったりするよりかは、当たり障りのない仕事をしながら、そうした利権を手放さない方が利口である。それゆえ、大手メディアの報道は基本的に安全策であり、結果として大本営発表となる。

 30代で平均年収1000万を突破する大手メディアの社員は、平均年収420万の一般国民と比べれば、特権階級と言える。平均年収420万の一般国民は、「我らの味方」という感情で、メディアに対して権力の監視を期待するだろう。しかし、特権階級の皆さんからすれば、そんな期待をされても困る。彼らからすれば、庶民の味方として「反権力」になって、既得権益を失うわけにはいかない。

 権力を監視し、権力の痛い腹について報道することで、政権中枢やエリート官僚から嫌われたり、その結果自分の既得権益を失ったりすれば、そこで働く社員からすれば、何のために大手メディアに就職したのかわからなくなる。彼らにとって権力の監視は二の次であり、一番の目的は毎月高い給料を貰い、それで住宅ローンを払ったり、年老いた親を高級老人ホームに入れたり、子どもをいい大学に進学させることである。

 私は大手メディアの社員の皆さんが高給であることを批判したいのではない。彼らにも生活がある。その生活を獲得するために、彼らは学生時代に勉強を頑張り、いい大学を卒業し、大手メディアに就職したわけである。そんな彼らを責めることは誰にもできない。それゆえ、低所得者層が彼らの高給を羨んで批判しても、何にもならないのである。

 また、彼ら特権階級が自らの階級の強みを活かして大本営発表を続けることについても、誰も責めることはできない。民主主義国家においては「報道の自由」が保障されているのだから、誰が大本営発表をしようが、それも「自由」である。それゆえ、特権階級の皆さんが、その特権性により大本営発表を日々垂れ流し、それによって特権的な高給を得ていることは、自由主義国家における自由であるから、誰もそれを責めることはできないのだ。

 問題は読者の勘違いである。彼らの既得権益を「既得権益」だと認識せず、例えば朝日新聞を読んで「自分は反権力メディアを読んでいる」と勘違いするならば、そちらの方が問題である。もちろん、朝日は「反権力」の外面をしており、読売は「権力べったり」の外面をしている。しかし、それは国民にも右翼的なテイストが好きな人もいれば、左翼的なテイストが好きな人もいるから、それぞれのニーズをもとに商品があるというだけの話である。「カルボナーラ風うどん」はスパゲッティでもなければイタリア料理でもない。あくまでも「うどん」である。テイストに騙されると、読売が右で朝日が左だと本当に思い込んでしまう。実際には、朝日が左翼で読売が右翼なわけではない。どちらも大手メディアであり、利権である。

 これは、自民党を右翼や保守だと思い込んで投票している愛国者の勘違いと似ている。もちろん、自民党も一枚岩ではないので、一つの思想に決めつけることはできない。ただ、安倍晋三はCIAのエージェントであった岸信介の孫であり、要はアメリカ派である。つまり、国産金融資本勢力御用達の政治家である。日本会議も基本的にアメリカ派であるから、一水会などの右翼勢力は日本会議を嫌っている。

 だから、アメリカからの独立を願っている日本の右翼は、アメリカ派の政治家が嫌いである。彼らは安倍晋三が嫌いであるし、郵政民営化によって日本の郵便局をアメリカ金融資本に売り渡した小泉純一郎竹中平蔵のことも嫌いである。

 それゆえ、安倍政権を支持するなら、そういうことをきちんとわかって、「アメリカ万歳!」とか「ゴールドマンサックス万歳!」という気持ちで支持するべきであるし、そういう気持ちで支持するなら問題ないだろう。問題は、自分のことを保守または右翼だと自認しながら、結果としてユダヤ人を支援していることをまったくわかっていない支持者である。それと同様、朝日新聞を反権力メディアとして購読しても、それは勘違いである。

 ほとんどの国民は、大手メディアの政府広報を「報道」だと勘違いしてしまう。つまり、大手マスコミの言うことを「大本営発表」ではなく、「ニュース」として受け取ってしまうのだ。NHKのニュースや朝日新聞の記事を、朝鮮労働党の広報と同じ種類のものだとは見ない。確かに、朝鮮中央テレビの報道は嘘だらけである。しかし、ニューヨーク・タイムズの報道も嘘だらけなのである。

 だから、朝日新聞の記事やNHKのニュースを、朝鮮中央放送共産党ニュースと同じ種類のものだと自覚して見るのなら、何の問題もない。基本的に、大手メディアは薄くて広い報道をするわけだから、情報収集としては便利であるし、わかって見るのなら問題はない。天気予報やテレビ番組表、イベント情報や映画情報など、役に立つ情報も載っている。だから、問題は大手メディアにあるというよりも、大手メディアを「報道」として信じてしまう国民の方である。

 どの国も「信じやすい人」、「騙されやすい人」というのはいるものだが、日本人はどうやら大手メディアに騙されやすい国民性のようである。以下のサイトは、その旨を説明している。

 

メディアへの信頼度が高いだけに世論誘導されやすい日本

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/10/post-4034.php

 

 世界報道自由度ランキング(Press Freedom Index)において、アメリカは何位で、日本は何位だろうか。世界報道自由度ランキングは、国境なき記者団が年に一回発表している指標であり、Googleで「世界報道自由度ランキング」と検索すれば、誰でも見ることができる。

 これによれば、日本は67位、韓国は41位、台湾は42位、アメリカは48位である。1位はノルウェーである。日本は、ボツワナ、トンガ、フィジーガイアナベリーズマダガスカルより下である。私は、そうした発展途上国において、どのような憲法があり、どのような自由が保障されているかを知らない。しかし、日本国民は、大日本帝国における報道規制言論弾圧に辟易した国民のはずである。また日本という国は、皇軍万歳報道のおかげで300万人の死者を出した国のはずである。なのに、なぜ67位なのか。そして、国民のほとんどがこれをなぜ何とも思っていないのか。その原因については、今の私にはまだわからない。

第十六回 大手メディアという既得権益(その一)

 前回のブログで見たように、1835年のアラモ砦の戦い以来、アメリカが戦争を起こすパターンは約200年に渡って同じである。政府および関連企業が戦争を起こすためのシナリオを書き、メディアがそれに協力し、国民はそれに騙される。リメンバーアラモ、リメンバーメイン、リメンバーパールハーバー、リメンバートンキン、リメンバー911。内容は変わっても、形式は驚くほど同じだ。

 戦前の日本や現在の北朝鮮のような「言論の自由」や「報道の自由」が存在しない国家体制であれば、政府とメディアが一体となって国民を騙し続けるという構図は当たり前と言える。そういう国であれば、そもそも国民には「知る権利」がない。憲法において「知る権利」や「言論の自由」が保障されなければ、自由な報道は不可能であり、国家御用達の報道に国民が異を唱えることも許されない。

 「勝った、勝った、また勝った」と連日報道が行われていた大日本帝国においても、それを疑う人間はいただろう。ではそういう人が自らの疑念をもとに独自で取材をし、その成果を国民に広く知らしめることはできたであろうか。皇軍が大陸や洋上で手痛い敗戦を蒙っていたことを独自取材し、紙に印刷して国民に配ったとしたら、その人はどうなるだろう。その内容が真実であったとしても、間違いなく治安維持法によってその人は逮捕される。結果、特高に拷問されて死ぬか、大陸に送られて731部隊の生体実験の材料にされたかもしれない。

 では、「知る権利」や「言論の自由」、「報道の自由」が憲法で保障される国家においては、大日本帝国北朝鮮と違い、メディアは真実を報道できるのであろうか。その答えは、半分イエスであり、半分ノーである。半分YESというのは、メディアが真実を報道しても国家に逮捕されないということである。つまり、メディアは自由に報道できる。半分NOというのは、大手メディアは決して真実を報道しないということである。民主主義国家においては「言論の自由」が保障されているので、政府にとって都合の悪い内容が報道されても、治安維持法によって逮捕されることはない。それゆえ、真実の報道は国家によって保障されているのであるが、大手メディアはそうした自らの権利を放棄するのである。

 なぜなら、大手メディアは巨大な「利権」だからである。戦争は、国家間の憎悪や宗教の違いが原因ではなく、利権争いが原因だと私は何度も書いてきた。国際金融資本家からすれば、国家間における宗教の対立や人権の問題などはどうでもいい。民主主義か独裁国家かという問題も、どうでもいい。正義がどっちにあるかということも、どうでもいい。戦争によって独裁国家を民主国家に変えるという目的は建前にすぎない。本当の関心は「いくら儲かるか」である。そのために戦争をいろいろな手練手管で「起こす」し、邪魔者は排除する。

 ヴィクター・ソーン(Victor Thorn 1962-2016)が、世界四大金儲けは、戦争、麻薬、エネルギー、金融だと言ったが、その四つは密接にからんでいるため、実際には、金儲けは一つであり、それは一つの共同体だと言えるだろう。四つの利権に群がる人々が戦争を起こすのである。もちろん、政府は国民に対して、そのような本当のことは言えない。利権にからむ大手メディアも、本当のことは言えない。それゆえ、国民はいつでも「正義の戦争」という夢を信じて死んでいくのである。

 独裁国家共産主義国家において、国民がメディアに騙される理由は、政府とメディアが組織として同体だからである。他方、民主主義国家においても国民が相変わらず騙され続けることの理由は、メディアと政府は別組織であるが、メディアはメディアでそれ自体「利権」だからである。国際金融資本家、およびその操り人形である政治家は、自らの利権のために国民を騙す。騙して戦争を起こし、それにより、金も権力もない一般国民は大量に死ぬ。こうした詐欺と暴力の構造に、メディアも重要な役割を演じているのである。

 こうした暴力と悲劇を防ぐために、国民には憲法で「言論の自由」や「報道の自由」が保障され、報道機関には権力を監視するという役割が当てられている・・・と建前ではなっている。これが民主主義国家の建前であるが、この建前が機能することは、憲法上でいくら「報道の自由」が保障されようとも、極めて難しい。なぜなら、国民の多くが信じる「大手メディア」は、巨大な「利権」であり、利権によって利権を監視するという構造が、民主主義国家における「権力の監視」だからである。

 具体的な例をあげよう。大日本帝国が戦争をするに当たっては、大新聞やNHKラジオなどの御用メディアが、国民の戦意高揚のために大変に役に立った。これと同様、民主主義国家のアメリカがイラクを滅ぼし、その結果莫大な利益を国際金融資本家が得るために、ニューヨーク・タイムズは大変に役に立った。

 イラク戦争開戦の大義とされ、戦争に踏み切るか否かについての極めて重要なファクターであったのが、イラク大量破壊兵器保有しているという情報であった。これの真偽について、開戦前は多くの議論があったが、当時のニューヨーク・タイムズのジュディス・ミラー記者は、イラク大量破壊兵器保有している旨の記事を多く書いた。911事件の約一年後、彼女は2002年9月8日のニューヨーク・タイムズ一面トップ記事を同僚記者との連名で書いた。それは、イラクフセイン政権が核兵器の部品調達を急いでいるという内容の記事であった。

 イラク核兵器の開発のために、濃縮ウラン製造のための遠心分離機に使われるアルミ製チューブの購入を企んでいると同紙は書いた。その後、チェイニー副大統領、ラムズフェルド国防長官、ライス大統領補佐官がTVのニュース番組にゲスト出演し、ニューヨーク・タイムズの一面記事を紹介しながら、「イラク大量破壊兵器保有していることは間違いない」と国民に向かって訴えた。こうしてアルミ製チューブは、全米大手メディアのネットワークを経由して、国民に広く知られるものとなった。

 通常なら原子力工学の専門家でなければ知るよしもない濃縮ウラン施設用のアルミ製チューブが、アメリカ国内で有名なものとなったのだ。その後、ブッシュ大統領パウエル国務長官がアルミ製チューブについて国連で演説し、パウエルはアルミ製チューブの写真をテレビカメラに向けながら国連で演説をした。こうして、ニューヨーク・タイムズが紹介したアルミ製チューブがきっかけとなって、アメリカ国民のあいだでイラクの核開発を疑う人は少数派となり、多数派の国民がイラクにおける大量破壊兵器の存在を信じるようになった。

 こうしてアメリカによる「正義の戦争」は遂行された。以前にも書いたように、イラク戦争による死者は、約50万だと言われている。この悲劇の茶番劇の茶番性が明らかになったのは、50万人がお亡くなりになった後である。誰もが知るように、イラク大量破壊兵器はなかった。世界的に有名となった例のアルミ製チューブは、濃縮ウラン用のものではなく、単なる建築資材用のアルミ製チューブであった。核開発とはまったく関係のないチューブの写真が、濃縮ウラン用のアルミ製チューブだとでっち上げられて使われたのだ。

 さらに、後になって、ニューヨーク・タイムズの一面記事は、当時の政府関係者からニューヨーク・タイムズの記者に流された情報だったことが判明した。ニューヨーク・タイムズは、政府関係者からアルミ製チューブについての情報を受け取り、それを細かく検証せずに、そのまま紙面に載せてしまったのだ。核開発用のアルミチューブは、一般の工業用のアルミチューブとは違い、耐久性の高いものでなければならず、太さや形状や材質がまったく違う。しかるべき原子力工学の専門家や、原子力施設専門の建設業者にきけば、それが原子力用のアルミチューブでないことはわかるはずであった。しかし、ニューヨーク・タイムズはそうした検証をせずに、受け取った情報をそのまま紙面に載せてしまった。

 チェイニー副大統領は、TV出演した際に「ニューヨーク・タイムズの一面に載っているとおり、イラク大量破壊兵器保有していることは間違いありません」と声を大にして国民に訴えた。つまり、彼は自分でニューヨーク・タイムズに情報を流し、自分でつくった紙面を指差して、「新聞に載っているから間違いない」と国民に力説したわけである。

 この時のアメリカ政府がやったことは、戦前の日本の大本営発表や、共産主義国家のTVニュースと同じである。政府と報道機関が同体なのである。そこには権力の監視なんてものは無いに等しい。ただ、民主主義国家においては、一応、政府とメディアは別物で、メディアは権力の監視が役目だという建前になっているために、独裁国家ファシズム体制と違って複雑でわかりにくい。国民は、北朝鮮のニュース映像を見て、「報道の自由がない国は憐れなもんだな」という気分になるが、実際のところは自分の国は北朝鮮と違ってメディアが権力を監視しているという夢を見ているだけである。

 この件で、ニューヨーク・タイムズだけを責めても意味がない。他の新聞がきちんとその記事を検証したかと言えばしなかったわけであるし、TVの方も、ニューヨーク・タイムズの記事が間違っていることを、やる気があれば独自に検証できたはずである。そうした検証があれば、出演した政治家の言うことをそのまま鵜呑みにするのではなく、自らの検証をもとに政治家に反論することもできたはずである。また、情報を受け取る国民の方も、それを信じない自由は持っていたわけだから、疑うことによって、自分で調べて考えることができたはずである。それゆえ、イラクで50万人の死者を出した責任は、ニューヨーク・タイムズだけにあるわけではない。

 民主主義国家においては、メディアは権力の監視の役割を担い、権力の暴走を止めるという建前となっている。しかし実際のところ、大手メディアの仕事は、権力と親密な関係になって、小さなメディアやフリージャーナリストでは手に入らない情報を獲得することである。そうやって、素人では知りようのない大本営の情報を発表することがプロとしての役割となってしまっているのだ。

 権力と親密であることは、大手メディアにとって財産である。つまり、既得権益である。それゆえ、彼らはそれを国民に向かって隠す。NHKの幹部が頻繁に安倍総理や菅官房長官と夕食をともにしていることを、NHKは夜のニュースで報道しない。大手新聞社の政治部長は、自分が政権中枢や大臣やエリート官僚と親密な関係を持っていることを自慢に思っている。権力の監視ではなく、権力とどれくらい自分が親しいかが彼らの自慢なのであり、それが出世の道なのである。

 国民は自分が見ているTVや新聞が、どのような既得権益で成り立っているかを、普通は考えないものである。へたをすると、一生考えない。大手メディアの社員はいくら給料を貰っているか。そのことをほとんどの国民は考えない。日本国民のほとんどは、NHK、フジテレビ、朝日新聞の社員の平均年収を知ったら驚くだろう。

 大手メディアは、権力と親密になることで自らの仕事が成り立っている。それが民主主義国家における彼らの姿である。彼らは国民に大変に信用されており、少数の会社が利権を独占しているために、富がそこに集中している。大手メディアの社員の給料は高い。癒着によって情報が入り、苦労して取材しないで済むから、仕事は楽だ。楽な仕事で高い給料が貰えるのだから、彼らの仕事で大事なことは、余計な仕事をしないことである。つまり、社会に衝撃を与える事実を報道せず、毒にも薬にもならぬような記事を配信し続けることが彼らの大事な仕事なのである。

第十五回 アメリカの開戦パターン

 どこの国であれ、国民は生活第一であるから、戦争を望まない。そのため、政府が戦争を遂行するには世論の喚起、国民の賛同が必要である。2019年6月13日、ホルムズ海峡近くのオマーン湾(Gulf of Oman)で二隻のタンカーが何者かによる攻撃を受けた。今のところ、アメリカ、イギリス、サウジアラビアUAEの各政府は「イランの責任」だと明言しており、イラン政府はこれに反対している。

 これに対して、日本は誰が犯人であるか、今のところ態度を明確にしていない。国連のグテーレス事務総長は、「完全に独立した組織が事実関係を調査する必要がある」と述べ、アメリカ、イラン、双方の主張のどちらも信用しないという態度を明らかにしている。ドイツのハイコ・マース外相は14日、米政府の証拠に疑問を呈しており、現在出てきている証拠は十分なものではないと述べている。イギリスの最大野党、労働党のクリス・ウィリアムソン議員は、「ベネズエラの民主的な政権を排除する試みにしろ、イランの政権交代を図る動きにせよ、アメリカはその帝国主義的な国益のために世界を不安定化させており、トランプ政権がその破壊的な計画実現のために利用するウソを受け入れてはならない」と述べている。

 日本のネット上の様々な声においても、「アメリカの主張は簡単には信用できない」という意見が多い。なぜアメリカ政府の公式発表を、世界の様々な人々が信用しないのか。それは、やはりアメリカのこれまでの歴史を見ると、「信用できない」となるのが自然であるからだろう。アメリカ政府が、これまで様々な工作を行うことで戦争に賛同する世論を形成してきたことは、明らかな歴史的事実だからだ。

 もちろん、今回の2隻のタンカー攻撃事件において、イラン政府がウソをついており、アメリカ政府の主張が正しいという可能性もある。どちらがウソなのかは今のところはわからない。しかし、アメリカの歴史において、あまりにも同じパターンが繰り返されているため、世界の人々からは「信用できない」という意見が多数のぼっても、致し方ないと言うしかない。

 

1835年 アラモ砦の戦い(アメリカ・メキシコ戦争

1898年 メーン号爆破事件(アメリカ・スペイン戦争)

1915年 ルシタニア号事件(第一次世界大戦

1941年 真珠湾攻撃第二次世界大戦

1964年 トンキン湾事件ベトナム戦争

1990年 ナイラ証言(湾岸戦争

2003年 国連のパウエル報告(イラク戦争

2013年 シリアの化学兵器使用(米軍のシリア攻撃宣言)

 

 私が今、思い浮かぶだけでもこれだけあるのだから、調べればもっとあるのだろう。アメリカ政府は歴史上、先制攻撃を捏造、あるいは工作してきた。なお、2001年の911事件については、自作自演であることについての調査研究や論説はインターネット上でいくらでも出てくるし、書物も多く出ているので、ここでは割愛させていただく。

 「アラモ砦の戦い」は、1835年、「アラモ砦での戦いを思い出せ」でアメリカ世論を煽り、アメリカがメキシコとの戦争に突入する発端となった事件である。1835年、当時のテキサスはメキシコの領土であったが、アメリカから白人が多数入植してきた。そこに住み着いた白人たちは、後にアメリカ合衆国指導のもとにテキサスの独立運動を起こし、メキシコ政府の軍と戦闘状態になった。当然アメリカは独立軍に対して資金援助してバックアップしたが、多勢に無勢でアメリカの義勇兵はアラモ砦に追い詰められた。

 義勇軍は繰り返し戦況を合衆国軍に伝え援軍を待ったが、合衆国側は無視し、義勇軍は結局全滅した。そしてメキシコ軍がアラモを去った後、惨殺された義勇兵の惨状を国中に広め、「アラモ砦での戦いを思い出せ」を合言葉に世論を煽り、対メキシコ戦争に突入した。これによりアメリカ合衆国はテキサスをはじめ多くの土地をメキシコから奪い取り、その後の大国へとなったのである。

 1898年のメーン号爆破事件は、メーン号というアメリカの戦艦が何者かによって爆破された事件である。当時スペイン領だったキューバに停まっていたメーン号が爆破、沈没され、「メーン号を忘れるな」と新聞を通じて国民感情をあおり、アメリカ政府はスペインとの戦争を正当化して開戦した。しかし、爆破原因については現在においてもわからず、スペインによってなされたという証拠はなく、自作自演説も根強い。

 ルシタニア号事件は、第一次世界大戦中の1915年、アイルランド南岸沖を航行していたイギリス船籍の豪華客船ルシタニア号が、ドイツのUボートの放った魚雷によって沈没、アメリカ人128人を含む1198人が犠牲となった事件である。軍事艦船ではない民間の船を沈没させたドイツ軍に対して、アメリカの世論の怒りは沸騰し、それまで中立であった米国議会でも反ドイツの機運が高まり、アメリカ参戦のきっかけとなった。しかし、その後の海底調査によって、沈没したルシタニア号には国際法違反の大量の武器と火薬が積載されていたことが判明し、当時のドイツ軍の攻撃は軍事物資の輸送船に対する攻撃だと判明した。もちろん、当時のアメリカ政府はこれを知っていたわけだが、国民には知らせなかったわけだ。

 1941年の真珠湾攻撃については、多くの日本人がその内実を知っていることであるから、私が説明する必要もないだろう。1964年のトンキン湾事件については、第十二回のブログで説明したとおりである。1990年のナイラ証言についても、多くの人が知っている有名な事件であるから、私がここで説明する必要はないかもしれないが、一応、簡単に確認しておく。

 イラクに侵攻されたクウェートから命からがら逃げてきた「ナイラ」という15歳の少女が、1990年10月10日、非政府組織トム・ラントス人権委員会においてイラク軍の残虐行為について証言した。その映像はTVニュースを通じて多くのアメリカ人がショックを受けた。「イラク軍兵士がクウェートの病院から保育器に入った新生児を取り出して放置し、死に至らしめた」とナイラは涙ながらに語ったのである。これにより、アメリカ国内の反イラク感情が高まり、イラクへの攻撃を支持する世論が形成されることとなった。

 しかし、後にこの「ナイラ」という少女は戦火の中で被害にあったクウェート人ではなく、クウェート駐米大使の娘であったことがわかった。彼女はイラククウェート侵攻時、大使の娘としてアメリカで生活していたのであるから、戦時下のクウェートの病院でどんなことがあったか知るわけがない。シナリオを書いたのは、アメリカの広告代理店兼PR戦略会社であるヒル・アンド・ノウルトン・ストラテジーズ(Hill+Knowlton Strategies)であることも後にわかった。なお、日本のTVでも頻繁に流された石油まみれになった水鳥は、米軍がイラクの石油精製施設に撃ち込んだミサイルが原因で油まみれになったことも、後に判明する。当時の日本人も含め、世界中の多くの人々が、イラクフセインのせいで環境が破壊され、無辜の水鳥が被害にあったと信じ込んだ。

 2003年の国連のパウエル報告は、イラク化学兵器生物兵器などの大量破壊兵器を密かに開発、所持していることをパウエル国務長官が国連で報告したものであるが、後にほとんどが事実誤認や捏造だったことが判明している。2013年8月のオバマ政権によるシリア攻撃宣言は、シリアのアサド政権が一般市民に対して化学兵器を使用し大量虐殺をしたことを理由とする報復措置宣言であったが、後に国連調査委員会のスイス人、カルラ・デル・ポンテ(Carla Del Ponte 1947年2月9日 - )は、化学兵器を使用したのはシリアの反政府組織だったと述べている。

 このように、これまでアメリカ政府の発表がウソやでっち上げだったことは多くある。戦争の陰には、いつの時代も三位一体の構造がある。政府のウソの発表、それをウソだとわかっていても政府の言いなりになって国民に伝えるメディア、そのメディアを信じてしまう国民という三位一体の構造である。騙す政府と騙される国民は、戦争遂行に必要な構造である。アメリカの場合は、このパターンをおよそ200年やっているから、そろそろ国民の側も気づいてくるころだろう。

 それゆえ、今回のオマーン湾における2隻のタンカー攻撃事件を原因として、中東で大戦争が起こるということは極めて考えにくい。攻撃されたタンカーは日本とノルウェーの会社が運営するものであり、アメリカの船舶が攻撃されたわけではないし、アメリカ人の死者が出たわけでもない。また、アメリカがこれまで先制攻撃を捏造してきた歴史は、このように誰が調べても簡単に見つけることができる事実である。それゆえ、アメリカ政府がいくら「イランの攻撃だ!間違いない!」と吠えたとしても、それをそのまま鵜呑みにする人は、国民の中でも少数派であろう。

 ただ、今回のタンカー攻撃事件が戦争の引金にならないとしても、様々な工作が手を変え品を変え行われれば、中東の緊迫した情勢はさらに緊迫する。タンカー攻撃は明らかにプロの軍人の仕事であるが、それはイランの正規軍でなくとも、イラン内部の反イラン組織にも可能である。戦争を起こしたい人達から資金や武器を援助された勢力が、戦争を引き起こすためにそういった工作をする可能性は今後も当然ある。それに対して、国民がどれだけ政府の発表を疑い、安易に戦争に流れないかどうか。今は、それが問われている状態であろう。

第十四回 ホルムズ海峡におけるタンカー攻撃とバルーチ人組織

 ホルムズ海峡は世界の原油物流量の約5分の1が往来する海峡であり、日本にとっても流通の生命線である。そのホルムズ海峡において、昨日(2019年6月13日)、巨大なタンカー2隻が何者かによる魚雷または機雷の攻撃を受けた。

 1隻は東京都千代田区の海運会社「国華産業」が運航する、パナマ船籍のケミカルタンカー「Kokuka Courageous(コクカ・カレイジャス)」号で、サウジアラビアのアル・ジュバイル港からシンガポールへ2万5千トンのメタノールを輸送中に、エンジン付近に魚雷を被弾した。国華産業の堅田豊社長は、「エンジンに近い部分に砲弾を受け、外板が貫通した。機関室の鉄板まで近づいて、その火花で延焼が生じた。」と話した。乗組員21人は全員フィリピン人で、けが人はいないとのことである。

 もう1隻はマーシャル諸島船籍で、ノルウェーの船会社「フロントライン・マネジメント」所有の「Front Altair(フロント・アルタイル」」であり、UAEのルワイス油田地域で石油化学燃料であるナフサを台湾の高雄に向けて輸送中に、機雷の爆発によって炎に包まれた。船員の23人は全員脱出に成功した。

 これに関連して、ニューヨーク・マーカンタイル取引所原油先物相場は急反発し、指標の米国産標準油種(WTI)7月渡しが一時1バレル=53ドル台に値上がりした。なお、12日の終値は前日比2.13ドル安の1バレル=51.14ドルと、1月以来の安値水準だった。また、北海産プラント油は、一時、1バレル当たり4%以上で急騰した。

 現在のところ、どの国の、どの組織に属している人間が2隻のタンカーを爆弾で炎上させたのか、私には全くわからない。しかし、アメリカのポンペイ国務長官は緊急記者会見をひらき、「今回の攻撃について、アメリカ政府はイランに責任があると分析している」と発言し、「安部首相がイランに歴史的な訪問を行い、対話に応じるよう求めたのに、イランは拒絶し、日本のタンカーを攻撃し、日本を侮辱した」と発言した。

 これに対して、イラン政府は「アメリカの根拠なき主張を断固として認めない」と述べ、タンカー攻撃に対するイラン政府の関与を断固として否定している。また、イラン外務省の報道官は、ツイッターで「日本の総理大臣がイランの最高指導者と面会するのと時を同じくして、日本に関連するタンカーが攻撃されるという『怪しい事件』に懸念を表明する」と述べている。

 国連の安全保障理事会は、アメリカの要請を受けて緊急の非公開会合を開催し、アメリカのコーエン大使代行は会合後、「イランは攻撃を実行できる武器や専門知識、諜報機関による情報を有している」と指摘し、タンカー攻撃はイラン政府によるものだと示唆している。その一方、イラン政府に対して、アメリカ政府との交渉のテーブルにつくよう強く求めた。

 これに対して、イラン代表部は「イラン嫌いのキャンペーンの一つだ」と言及。「アメリカは核合意から不当に離脱したのに、交渉に戻ってくるように要請するとは皮肉なことだ」と述べ、交渉に応じる用意がないことを示唆し、「アメリカの経済戦争、イラン国民に対するテロ行為、地域における軍事的存在感が、ペルシャ湾地域の不安定の主な理由だ」と述べ、アメリカに対する憤りを表明している。

 結局のところ、アメリカとイラン、両者の見解は正反対であり、今のところはどちらが正しいかは断定できない状態である。この点、テヘランで取材している産経新聞は興味深いニュースを上げている。イラン革命防衛隊の元司令官であるキャナニモガッダム・ホセイン氏は、テヘランでの産経新聞の取材に応じ、イラン南東部の反政府組織である「ジェイシ・アドリ」がタンカー攻撃を行った可能性があると述べているそうだ。

 産経新聞は「ジェイシ・アドリ」と書いているが、これはバルーチ人武装組織である「ジャイシュ・アル・アドル(Jaish al-Adl JAA)」のことではないだろうか。バルーチ人とは、イラン南東部、パキスタン西部、アフガニスタン南部にまたがる地域に暮らすイスラムスンニ派の民族であり、シーア派イスラム国家であるイラン国内ではスンニ派は少数派であることから、バルーチ人はイラン国内でスンニ派の権利の保護を求めてきた。

 そのバルーチ人の権利保護の組織で最も大きなものが、「ジュンダラ(Jondollah)」である。バルーチ人の中のリーギー部族を中心に2003年に設立されたとされるバルーチ人権利擁護団体兼武装組織である。主にイラン南東部のシスタン・バルチスタン州で活動しているとされる。ムハンマド・ダヒル・バルーチが最高指導者とされている。

 この「ジュンダラ」であるが、イラン政府に対する攻撃を何度も行っている。例えば、2005年6月にイラン革命防衛隊(IRGC)隊員を誘拐し、その処刑動画をUAEの衛星放送局「アル・アラビーヤ」に送付するという事件を起こしており、これを機に、イラン政府や軍と激しく対立している。「ジュンダラ」は2006年3月にイランの州政府職員ら23人を殺害したほか、2009年10月には、シスタン・バルチスタン州で革命防衛軍の幹部及び地元部族が参加する会合を標的とした自爆テロを実行し、革命防衛軍関係者や地元部族35人を殺害している。

 イラン政府からすれば敵である「ジュンダラ」であるが、その資金源は麻薬取引だと言われている。この組織はイランのみならず、アフガニスタンパキスタンにもまたがった民族組織であるため、イラン政府も彼らを武力制圧することは容易ではない。隣国のアジトに逃亡することが容易だからである。なお、アフガニスタンと言えば、なんといっても麻薬であり、アメリカによるアフガニスタン戦争の原因も天然資源と麻薬である。

 その「ジュンダラ」のもう一つの大きな資金源として噂されているのが、米中央情報局(CIA)である。CIAがジュンダラなどのイラン反体制派の少数民族グループを支援し、イランの内部崩壊を狙っているというわけだ。ジュンダラはパキスタンアフガニスタンなどにも1500人以上の武装活動家を抱えているとされるが、おそらくCIAの援助のもとで軍事訓練をした武装集団であろう。CIAによるジュンダラへの援助は、ブッシュ政権下で開始され、オバマ政権発足当初援助が停止されが、その後支援が再開されたという。

 その「ジュンダラ」の元メンバーがアブドルラヒム・ムラザデフを指導者として結成した組織が、「ジャイシュ・アル・アドル」である。「ジャイシュ・アル・アドル」もイラン政府に対してテロ活動を行っており、有名なものでは、2018年9月のテロがある。それは、イラン南西部アフワズで行われた軍事パレードを狙ったテロであり、革命防衛隊の隊員ら25人が死亡した。このテロに対し、イラン最高指導者ハメネイ師は、実行犯がサウジとUAEアメリカから資金援助を受けていたと非難した。

 もちろん、現段階では2隻のタンカーを攻撃した犯人はバルーチ人組織だと断定することはできない。イラン革命防衛隊の元幹部が、テヘランでの産経新聞取材に対して、憎き敵であるバルーチ人組織の名前をあえて挙げたという可能性もある。しかし、ネット上の書き込みコメントを見ると、実行犯がイラン政府であると疑っていない人もおり、日本も早く憲法改正をして自衛隊武力行使できるようにすべきだという意見もあった。

 実行犯が誰で、どこの国の、どの組織に属する人間であるか、今の段階ではわからない。しかし、日本のタンカーがホルムズ海峡で攻撃され、それをもとに日本の世論が憲法改正へと傾き、改正された憲法をもとに自衛隊がホルムズ海峡に派遣されれば誰が得をするのかと考えれば、得をするのは米軍であろう。自衛隊の人達が最前線で米軍のかわりにイラン軍と戦ってくれれば、米軍の死傷者の数は減るからである。