戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第二十六回 CSIS、その歴史と日本との関係(4)

1.イエズス会メソッドに敗れた日本

 イエズス会系列の高等教育機関は、現在、世界で200以上にのぼる。その卓越した組織づくりのメソッドは、当然、軍事組織にも使われる。例えば有名なところでは、ナチスの親衛隊(ドイツ語でSchutzstaffel、略号SS)である。

 1929年、ヒムラー(Heinrich Himmler 1900-1945)が親衛隊のトップになった時、隊員は280名にしか過ぎなかった。その後、世界恐慌の状況下でのナチスの躍進により、親衛隊は1932年末には5万人以上の大組織となっていた。この組織の屋台骨となったメソッドが、ヒムラーの研究したイエズス会メソッドであった。彼は親衛隊の組織づくりのために、イエズス会のことを徹底的に研究したのだ。親衛隊は、その急速な勢力拡大と黒い制服から、「黒いイエズス会」と呼ばれるようになった。

 このことは、イエズス会メソッドの特徴である上意下達の厳格な組織づくりの手法が、欧米の様々な場所で幅広く用いられたことを、歴史的事実として示している。イエズス会メソッドの一つの特徴が、こうした厳格な組織づくりのノウハウである。そしてもう一つの特徴が、支配地に対する詳細な分析メソッドである。その代表的なものとしては、アメリカのジョージタウン大学であり、同大学から多数の優秀な人材がCIAに送り込まれていることを見ても、メソッドの優秀性は証明されていると言える。

 「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という孫氏の兵法の言葉があるが、イエズス会メソッドの中核はそこにある。それゆえ、アメリカは日本と戦争をするにあたっても、こうしたイエズス会メソッドに忠実に実行した。他方、孫氏の兵法を古くから知っていたはずの日本人は、たいしてアメリカのことを知らず、自分の本当の実力についてもよく知らないまま、開戦に突入してしまった。

 これは現在まで続く、日米間の約80年の歴史の特徴であろう。相手は日本のことをよく知っており、常に詳細に分析し、どうやって攻略するかの戦略を考え続けている。他方、日本の場合は戦前においてはアメリカについてよく知らないままに殴り合いの喧嘩に突入し、戦後はただ盲目的に従うだけである。戦前は喧嘩の相手を分析せず、戦後は親分のことを知って対策を練ろうとしない。

 太平洋戦争において、日本はアメリカになぜ負けたか。このことを日本人に質問すれば、物量の差、兵力の差といったハード面に着目した答えが多く返ってくることだろう。しかし、物量の差、兵力の差だけで考えるなら、ベトナム戦争アメリカ軍が勝てなかった理由が説明つかなくなる。それゆえ、日本がアメリカに負けた理由としては、ソフト面の差、つまり知力の差だと答えることが最も適切だろう。

 日本人がアメリカ人を「鬼畜米英」と蔑み、敵性語を排斥していた時に、アメリカ人はイエズス会メソッドに則り、日本人の研究に全力を注いでいた。彼らの狙いは、日本軍が使っていた暗号であった。そのために、彼らは日本について多方面から研究した。暗号の解読には、数学的な知識と思考力、暗号機器の技術力だけでなく、日本語や日本文化に対する高度な理解が必要だったのである。

 例えば、「ニイタカヤマノボレ」や「トラトラトラ」といった暗号をデータとして解読しても、「新高山」や「虎」といった日本語の文化的な意味がわからなければ無意味である。つまり、暗号解読のためには、数理解析や工学などの理数系の学問的知識だけでは不十分であり、日本語や日本文化といった文系の学問的知識も必要なのである。

 アメリカは当初、電気式計算機によって暗号の解読を行っていたが、開戦後には真空管による計算機を発明し、さらにスピードをもって解読作業を行った。なお、こうした戦時中の軍事技術としての暗号解読技術の開発は、計算機の性能を飛躍的に向上させ、戦後のコンピューター技術の基礎を築いた。現在のコンピューター関係の技術は、そうした軍事技術が基盤となったものである。

 こうして、日本軍が用いていた暗号は、ほぼ全て、米軍により解読されてしまった。日本人は気づいていなかったが、この戦争は全てが筒抜けの中で行われていたのである。日本人は戦後になっても、このことを知らなかった。自分達の機密情報が全て筒抜けだったことを日本人が知ったのは、戦争が終わってから30年以上が経ってからである。

 

2.欧米におけるIntelligenceの意味

 ブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter 1898-1988)は、ドイツのキール生まれのイエズス会神父であるが、1934年、ドイツ・イエズス会日本布教部代表として日本に赴任した。その二年後、上智大学理事に就任。1945年の日本の降伏直後から1952年までは、駐日ローマ教皇庁代表・バチカン公使代理を務め、GHQ最高司令官マッカーサーを補佐していた。

 彼は、靖国神社を守った神父として伝説が残っているため、日本の右翼関係の人の間では有名である。GHQ靖国神社をつぶして競馬場にしようとしていたが、ビッテル神父がそれに反対したおかげで、靖国神社がつぶされずに残ったという伝説である。私はこの伝説が本当か嘘かは知らないが、ドイツ人の神父がアメリカのマッカーサーの補佐役をしていたという事実は興味深いと思う。

 マッカーサービッテル神父を補佐役としていたのは、ビッテル神父が日本に相当詳しかったからであろう。つまり、ビッテル神父イエズス会士として、日本に関する情報を収集し、日本を分析していたということだ。その知見がGHQにとって相当に役に立ったのだろうと思われる。

 結局のところ、帝国主義的な意味での戦争というものは、人殺しによって相手国を占領・植民地とし、その国から莫大な利益を得ることである。日本がアメリカと戦争をした理由は、アメリカを植民地化することではなかったが、アメリカにとって戦争の理由は日本を植民地化することであった。戦争というものは苦労が多く大変なことだが、植民地運営も苦労が多く大変なことである。その際、最も大事なものは質の高い情報をもとにした戦略である。

 太平洋戦争の真っ只中において、米兵が死体となった日本兵の軍服から手紙や物品を抜き取り、本部に渡していた理由は、戦争に勝つための情報収集という目的だけではない。それは、戦後の統治のためでもあった。原住民の言語や文化や思考パターンを徹底的に分析することで、円滑な植民地支配が可能となる。

 そもそもヨーロッパの大学における言語学民俗学民族学文化人類学、地理学、地政学などの学問は、全てアジア・アフリカとの戦争および植民地支配と結びついている。ケンブリッジ大学やオックスフォード大学における学問的蓄積は、イギリス軍の世界征服と植民地支配に大いに役に立った。つまり、それらの長い伝統を持つ大学は、世界的な学問の中心地であると同時に、軍事的・政治的な情報センターでもあるのである。

 つまり、欧米におけるIntelligence(知性・情報・知力)とは、学問、軍事、政治、植民地支配が一つになったものである。CIAのIとはそういったIntelligenceのことであり、CSISのStudiesとはそういったことについてStudyする(研究する)ことである。

 日本人からすると、研究機関や学問機関というものは、学校のお勉強の発展形というイメージかもしれない。つまり、無色透明、公正中立なお勉強というイメージである。しかし、欧米の研究機関や学問機関は、軍事や植民地支配のノウハウと深く結びついたものである。そういった学問姿勢が人類的次元という見地から正しいのかどうかはともかく、実際問題として、帝国主義国家のIntelligenceは何百年にも渡る植民地支配のノウハウなのである。

 イエズス会メソッドは、そうしたノウハウのうちの一つであり、最も優れたメソッドのうちの一つである。それは、布教活動と軍事と植民地支配が一つになったものである。この考え方が、現代においても多くの組織に受け継がれている。CIAも、CSISもそうである。そこでのIntelligenceやStudyといった言葉は、軍事や植民地統治といった言葉と切り離せないものなのである。

第二十五回 CSIS、その歴史と日本との関係(3)

1.「布教=支配」という原則

 イエズス会が鋼の精神で世界的にその布教の波を広げるとともに、イエズス会から影響を受けた貴族、すなわち騎士達も、ヨーロッパで目覚ましい戦果を挙げる。イエズス会の強固な精神力と規律を重んじる組織作りのノウハウは、強い軍隊、強い国家をつくる上でも極めて有効な方法だったからである。そのため、当時ヨーロッパを席巻していたプロテスタント勢力に対抗する旧教陣営としては、イエズス会は最後の希望の砦であった。こうして、イエズス会はヨーロッパの保守層で支持を獲得していく。

 イエズス会メソッドは、ヨーロッパ旧教陣営の富国強兵のための柱になっただけでなく、アジアやアフリカに対する植民地支配のメソッドともなった。布教とは、支配である。これは、布教される方の立場のアジア人やアフリカ人からすれば大変に迷惑な話かもしれないが、布教する方のヨーロッパ人からすれば当たり前のことである。

 例えば、15世紀中盤のローマ教皇であったニコラウス5世(Nicholaus V、1397-1455)は、1452年、ポルトガル王アフォンソ5世(Afonso V、1432-1481)に対して、「異教徒を永遠に奴隷としてよい」という許可を与えている。また、「敬虔王」と呼ばれたポルトガル王のジョアン3世(João III, 1502-1557)は、「いかなる原因により異教徒に対して正当戦争を行うことができるか」という文書の中で、次の三項目をあげて、キリスト教徒は異教徒を支配できると述べている。

 

一.イスラム教徒やトルコ人は、これまでにキリスト教の国土を不当に占拠し領有していたのであるから、彼らに対して行ってきた、また、今後行うであろう戦争は正当である。

二.救世主(イエスキリスト)は未信徒を改宗させ、霊魂の救済を行うように命じ、自己の利害をかえりみない宣教師を派遣したので、彼らは布教地で優遇を受ける権利がある。

三.布教事業の妨害も圧迫もしない人々についてだが、彼らは自然法に反する重大な罪を犯すような野蛮な悪習を守り、それをやめようともしない。こういう者の土地を占拠し、武力で彼らを服従させる戦争は正当である。

 

 ジョアン3世からすれば、イスラム国家の領地は、本来キリスト教徒の土地であるから、キリスト教徒が取り返すべきなのである。もちろん、イスラムの方はこれを侵略戦争と見て抵抗するだろうが、その場合、彼からすれば、そうした抵抗は武力で征圧すべきなのである。無抵抗のおとなしい民族も、彼からすれば野蛮人であり、野蛮な悪習を改善するためにその土地を支配し、彼らをキリスト教徒にすべきである。

 このように、布教精神のカタマリであったジョアン3世は、当時のヨーロッパにおいては人種差別主義者ではなく、「敬虔王」と呼ばれるにふさわしい人物であった。そんな「敬虔」な王様の耳に、当時ヨーロッパで話題となっていたイエズス会という新しい修道会の名前が入ってくる。王はその会の活動内容を知るうちに、大きな感銘を受けた。彼はロヨラに近づき、彼を激賞するとともに、ポルトガル領内の植民地の異教徒をキリスト教徒に改宗させるべく、人材を紹介してほしいと頼んだ。

 ロヨラはその要請に応じて、フランシスコ・ザビエル(1506-1552)を推挙した。こうして、イエズス会ポルトガル王室がスポンサーとなり、ザビエルの遠征がはじまった。もちろん、この時の日本人には考えもつかなかった。まさか、21世紀まで続く、イエズス会と日本との因縁に満ち満ちた関係が、この時生じたのだとは。

 

2.ザビエルからCSIS

 ザビエルが東洋遠征に出た時、鹿児島の若者だったヤジロウ(弥次郎、1511頃?-1550頃?)は、人を殺したことで、薩摩に来航したポルトガル船に乗ってマラッカ(現在のマレーシア)に逃げた。当時のマラッカはポルトガル領であったため、マラッカで暮らしたヤジロウはポルトガル語を習得した。

 はじめ、ザビエルは当時ポルトガル領であったインドのゴアに赴いた。そこを拠点にインド各地で布教活動をし、相当の成果を上げたため、彼はゴアの宣教監督となった。しかし、仕事(布教精神)に燃えていた彼は、それだけでは満足できず、さらに東のターゲットであるポルトガル領マラッカへと赴いた。そこでポルトガル人船長の紹介で出会った人物が、ヤジロウであった。

 ヤジロウは、祖国で人を殺したために、罪の意識を抱えていた。そこで、ザビエルのすすめにより、ゴアで洗礼を受けることとなった。こうしてヤジロウはイエズス会キリスト教徒となったのである。そんなヤジロウとザビエルとのつきあいの中で、これまで見たことがなかった日本人という民族に対して、ザビエルの興味は日に日に増していった。ザビエルはある日、ヤジロウに尋ねた。日本でのキリスト教の布教はうまくいくだろうかと。ヤジロウは答えた。うまくいく。ザビエルは決心した。日本に行こうと。

 こうして1549年8月15日、ついにイエズス会の宣教師が日本の地に降り立った。この時のイエズス会のメンバーは、ザビエルとヤジロウも含めて、数人しかいなかった。この時の彼らには想像もできなかったことだろう。それから500年が経たないうちに、イエズス会の派生組織であるCSISが日本のHandler(ハンドラー)になるとは。

 イエズス会の世界的拡大とともに、ヨーロッパ以外でも、イエズス会系の教会や学校が次々と建てられることとなった。アメリカでは、イエズス会のジョン・キャロル大司教が、ワシントンD.C.の近郊、ジョージタウンという町に大学を設立した。これがジョージタウン大学である。それは、キリスト教の教義と学問を学ぶ施設であると同時に、政治と軍事と植民地支配のための頭脳センターでもあった。

 大統領であったビル・クリントンイラク戦争時の国防長官であったドナルド・ラムズフェルド、元国連高等難民弁務官で現在は上智大学名誉教授の緒方貞子衆議院議員外務大臣である河野太郎、元参議院議員安倍晋三のことが大好きな山本一太群馬県知事は、ジョージタウン大学の卒業生である。

 こうした軍事戦略機関であるジョージタウン大学の中で、イエズス会の神父であるエドマンド・アロイシャス・ウォルシュ(Edmund Aloysius Walsh、1885-1956)は、「エドマンド・A・ウォルシュ外交学院」を設立した。その組織が、1987年にジョージタウン大学から独立した研究組織となった。これが、Center for Strategic and International Studies、つまりCSISである。

 普通の日本人は、軍隊のトップであるマッカーサー元帥と、イエズス会のウォルシュ神父が、1948年の東京で仲良く二人で歩いている写真を見ても、その意味はよくわからないであろう。しかし、相手の立場に立ってみれば、その二人が親密な関係にあることは当然である。彼らからすれば、宗教と軍事と政治と植民地支配は、同じものだからである。

 問題は、この構造が1948年の日本で終わっているものではなく、現在も続いていることである。さらに問題なのは、このことを日本人のほとんどが知らないことである。日本人は彼らのことを知らず、関心もない。しかし、彼らは日本人のことをよく知っており、表から裏まで緻密に分析している。彼らはザビエルの到達以来、日本人の特徴と弱点を詳細に分析し、本部にレポートし続けて来たのである。

 現地人の心を乗っ取り、その結果国を丸ごと乗っ取る。そのためには現地人の長所も短所も、習性も思考パターンも、すべてに渡って知る必要がある。それはイエズス会の神父たちが、世界の各地に赴任し、長年に渡って行ってきたことである。それゆえ、彼らは日本人よりも日本人について詳しく知っているかもしれない。しかし、日本人は、イエズス会のことも、CSISのことも、何も知らないし、関心もないのかもしれないのである。

第二十四回 CSIS、その歴史と日本との関係(2)

1.イグナチオ・デ・ロヨラと学校システム

 イエズス会初代総長であったイグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556)は、もともとバスク地方アスペイティア(現在のスペイン東北部)の騎士であり軍人であったが、29歳の時、戦地での負傷をきっかけに療養生活に入る。足を負傷し、父の城で身動きがとれなかったロヨラは、暇をもてあました。そのため、騎士道に関する本を読もうと思ったが、あいにくその手の本はなかった。仕方なく、彼はたまたまそこにあったキリストの生涯や聖人に関する本を読んだ。その時、不思議なことに彼は自分の生き方はこれだと思ってしまう。

 自らの生き方を確信したロヨラは、健康を回復した後も軍務に戻ることはなく、モンセラートのベネディクト会修道院を訪れ、一切の武具を聖母像の前に捧げ、聖母に対して献身的に生きることを誓う。その後、カタルーニャのマンレザの洞窟に籠り、瞑想生活をおくるようになる。そこで、彼は啓示を得たと言われている。それが、彼の言う「霊操」という思想の出発点となった。

 身体は運動などで鍛えなければ、強くなることはない。それが「体操」である。これと同じく、霊も「霊操」によって鍛えられなければ強くなることはない。鍛えられた軍人が頑健な身体を持つことと同じように、「霊操」によって鍛えられた霊のみが神の御意志を見出すことができる。これは、もともと軍人であったロヨラらしい霊的修行思想であった。

 彼はこの修行方法を体系的にまとめ、求める人々があれば隠さずに教えた。そのため、噂を聞きつけて様々な人々が彼のもとを訪れるようになる。パリ大学で哲学を学んでいたフランシスコ・ザビエル(1506-1552)も、ロヨラの影響を受け司祭となり、後に日本に来ている。こうして優秀な若者を次々と引き寄せたイエズス会は、ヨーロッパにおいて強烈な光を放つ修道会へと成長していった。

 この時のイエズス会の主な活動は、黙想を中心とした修行生活、欧州各地での宣教活動、病院での奉仕活動などであった。またロヨラはもともと軍人だったこともあり、規律を尊ぶ組織作りに長けていた。そのため、彼は各地の修道会の組織化、神学校や一般学校の設立にもその才能を発揮した。ロヨラの志に深い感銘を受けたシチリア総督のホアン・デ・ヴェガ(1507-1558)は、ロヨライエズス会士をシチリアの都市メッシーナに招き、メッシーナ大学を開設させた。

 こうしたロヨラの卓越した組織作りの才能が教育システムとして開花し、メッシーナ大学は後のイエズス会教育機関の範型となった。アメリカのジョージタウン大学、日本の上智大学もその発展形である。上智大学のホームページの記述によると、現在、イエズス会が設立母体となっている高等教育機関は、世界で200校以上あるとのことである。

 

2.ロヨラという原点から戦略知能集団への道

 イエズス会の原点は、ロヨラの黙想体験にある。元軍人が読書の体験により、生き方を180度変える決心をした。その決心を皮切りに、洞窟で黙想をするようになり、矮小な自己の不存在を喝破したという体験である。こうした人物が洞窟から世間に出てくると、その「無」の波動は、良くも悪くも強烈なものである。その振る舞いと言動が、明らかに世間の規格から外れるからだ。

 世間は常に退屈し、不満を抱えた共同体である。それゆえ、洞窟から出て来た男を放っておくことはない。ブラックホールに星々が吸い寄せられるように、彼のもとには様々な人が集まってきた。世間の虚飾に飽き飽きした人。世の中で虐げられ、惨めな思いを抱えている人。オカルト趣味の神秘愛好家。神の御加護で現世利益を得ようとする俗人。癒しを求めてスピリチュアルに走る人。悪事の限りを尽くして大金を得たおかげで、罪の意識を抱える金持ち。

 原初は穏やかな清流でも、様々な汚濁を巻き込むうちに、その河は膨れ上がった激流となり、街を覆いつくす。これはいつの世でも不変な、集団の拡大発展の形式である。と同時に、啓示を受けた個人の内面的変化の過程でもありうる。年月を経たイエズス会が原初の会と同じであったはずもないが、ロヨラの心も、洞窟にあった時のものと後のものとでは、もしかしたら異なっていたのかもしれない。

 キリスト教に限らず、仏教であろうが、他の宗教であろうが、その誕生と拡大の過程は恐ろしいほどに似ている。原初、その意識は観想による徹底した空性(くうせい)の自覚にある。そこに、世間に溢れるガラクタとしての言葉や観念は、取り付く島もない。徹底した観想によりガラクタを削ぎ落とした「霊操」としての意識は、あらゆる観念の拠り所を失う。洞窟を子宮とした意識は、自らを洞窟とするのである。

 そこにはキリストも仏(ほとけ)も、世界も宇宙もない。そうした観念のもととなる言語が絶せられているからである。その時、空性そのものの体験が、「空性」という言葉と出会う。それまで辞書や本の中で目にした知識としての言葉が、ここではじめて血肉を得た言葉となるのだ。こうして、実在と言葉がはじめて合致する。これを「降りてくる」と表現するならば、「啓示」や「降霊」、あるいは「御言葉(みことば)」と表現することもできよう。

 体験から必然的に生み出される言葉(Logos)と、世間に流通する情報としての言葉(Language)とでは、面構えとして同じ「言葉」であっても、その中身がまったく違ったものである。それゆえ、言語(Language)という流通貨幣としての言葉しか知らない精神は、受肉された言葉(Logos)に引き寄せられる。こうして、「空性」という台風の目を中心とした宗教集団が形成されていく。イエズス会という巨大組織の原点は、ロヨラというたった一人の「空性」の自覚なのである。

 しかし、祖師亡き後の宗教組織は形骸化する。これはキリスト教に限らず、どんな宗教組織でも抱える宿命である。台風が強力なのは、その中心が無だからである。それゆえ、中心としての無の死とともに、台風全体が死んでいくのは必然である。残されるものは、台風のあとの残骸としての街である。

 ロヨラの強烈な軍人精神は、兵士としての暴力性を捨てた後の彼にもそのまま残り、そのエネルギーは彼を強固な黙想へと追い込んだ。彼を強い軍人に育てたのも、またその同じ彼に軍事を丸ごと捨てさせ、洞窟に追い込んだのも、この同じエネルギーである。そうして彼は、「無心」という台風の目となったわけだが、そこに吸い寄せられた有象無象の心は、彼ほど強い精神力を持たない。軍人として徹底的に身体を鍛え上げ、その同じ力でもって精神を鍛え上げるというロヨラの生き方は、世間の安きに流れる人生と合致するものではない。

 そのため、彼の後継者達はロヨラの徹底した強い黙想の相続人にはなれなかった。弱い精神は強い精神の跡継ぎにはなれないため、中身ではなく、その形だけを受け継いだ。つまり、彼の規律に満ちた組織作りの才能と風格に満ちた看板だけを受け継ぐ。それがロヨラ亡き後のイエズス会である。つまり、始祖亡き後の会は、黙想と無心を求める強い心ではなく、目に見える成果を求める強力な知能集団となったのである。

 こうして、イエズス会は軍隊的な規律とピラミッド形式の上下関係を持った神父の集団となった。それは、上からの命令に「死体のごとく」に従う組織であり、地の果てまでも行軍して布教する宗教集団である。彼らはその高い知能と強固な信仰心、鋼のような訓練魂を抱えて、東洋の僻地にまで降り立つ。そこで彼らは現地の言語を習得し、民族の弱点を徹底的に分析し、最も有効な布教方法を考えるのである。

 これは、効果的な布教方法というだけにとどまらず、優れた植民地支配のための戦略的知性へと発展した。こうしてイエズス会メソッドは、西欧のみならず、アフリカやアジアも席巻する暴風となったのである。

 

絵:ゴヤ(1746-1828)が描いたロヨラ(San Ignacio de Loyola)

 

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San Ignacio de Loyola

 

第二十三回 CSIS、その歴史と日本との関係(1)

1.税金の使い道はCSISが決める

 日本人のほとんどは、自分が毎月いくら税金を払っているのかおそらく知らないだろう。また、日本人でCSISについてよく知っている人は、ほとんどいないだろう。そうなると、日本国民が納めた税金を、CSISと日本の為政者がスクラムを組んで、好き放題に使うことができるという状況が生まれる。その結果、よくわからないうちに原発が再稼働し、自衛隊が海外で積極的に軍事作戦に参加し、秋田と山口にイージス・アショアが建てられることとなる。

 もちろん、国防上の観点から、自衛隊の海外活動、あるいはイージス・アショアの建設に賛成だという人もいるだろう。それゆえ、自民党政権による税金の使い方に賛成だという人もいるだろう。しかし、選挙の時に自民党に投票する人や、安倍政権に賛成する人の中で、果たしてCSISについて詳しく知っている人はどれくらい存在するだろうか。

 日本人の多くは、政治家や官僚がこの国の政策を作成していると思っている。しかし、仮に、政策の骨格は外国人が作っており、日本の政治家や官僚はそれに肉付けして実行しているだけなのだとしたら、どうだろう。日本の舵取りは日本人が行っているのだという夢を、日本人が集団で見ているのだとしたら、どうだろう。

 

野田民主党政権安倍自民党政権を動かすアーミテージ・ナイレポートとは何か。

https://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/309dd5f2095a7c8effa39f514d50d2bb

 

2.軍人神父である創設者

 CSISは、光と影のように正反対のものとして描かれることが多い。光としてのCSISは、優秀なエリート集団としてのCSISである。CSISに賛同する人達は、アメリカの優れたシンクタンクとしてCSISを描く。アメリカのエリートが集った世界最高レベルの頭脳集団ということだ。そこには、ある種の憧れの匂いがある。

 他方、CSISをネガティブに捉える人達は、CSISをジャパン・ハンドラーズ、つまり日本という国を陰で操っている怪しい組織として描く。日本を裏で支配する軍産複合体の組織というイメージである。この正反対の光と影の印象は、両方とも正しいものだと言えるだろう。

 この点、私はCSISを単なるエリート、あるいは逆に、単なる悪者として捉えて終わりにしたくはないと思う。CSISと日本の関係は、もっと根深い問題だと思うので、ここではCSISの歴史的な成り立ちから考え直してみたいと思う。

 CSISの起源はアメリカのジョージタウン大学である。

 

ジョージタウン大学

https://japanstudyabroad.org/?cat=697

 

 ジョージタウン大学は、ビル・クリントンなどの政治家やアメリカのエリート官僚、エリート軍人を多数輩出している大学である。日本人の多くは、アメリカのエリート大学と言えば、ハーバード大学コロンビア大学スタンフォード大学などを思い浮かべるかもしれない。しかし、アメリカにおける政治や軍事関連のエリート大学は、何といってもジョージタウン大学なのである。なぜなら、この大学はイエズス会が建てた大学だからである。

 イエズス会は、「教皇の精鋭部隊」と呼ばれたが、これは創立者であるイグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556)が修道生活に入る以前に騎士であり、もとは軍人であったことに由来する。イエズス会は、徹底的な規律をもとに、下位の者が上位の者に「死体のように」従う組織として作られた。

 こうした教会と軍隊の結合という思想をもとに作られた組織はまことに合理的であり、かつ強力であったため、軍隊から影響を受けたイエズス会は、国家の軍隊に影響を与え、両者が融合して、宗教的な軍隊と軍隊的な宗教ができあがったのであった。

 この考え方は、イエズス会の神父経由で織田信長にも影響を与え、織田軍、豊臣軍、徳川軍が強力な軍隊組織となる礎となった。現代のアメリカ軍の強さも、その根底にはイエズス会の思想がある。それゆえ、イエズス会により建てられたジョージタウン大学は、現代でもアメリカのエリート軍人養成校なのである。

 このジョージタウン大学の中に、イエズス会の神父であるエドマンド・アロイシャス・ウォルシュ(Edmund Aloysius Walsh、1885-1956)が、1919年、「エドマンド・A・ウォルシュ外交学院」を設立した。つまり、イエズス会の神父が、大学の中に国際政治と軍事に関するシンクタンクをつくったのである。これが、現在のCSISの前身である。つまりCSISとは、イエズス会がそれまで培ってきた国際政治、軍事、侵略、統治のノウハウを集約させた戦略的な知能団体なのである。

 

写真:1948年の東京でマッカーサーと歩くウォルシュ神父

 

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第二十二回 この国の税金の使い道

1.税金が高く、福祉が薄い国

 日本人は生涯において、どれくらいの税金を払うのだろうか。自分が生涯に払う税金の合計について、知っている人はあまりいないだろう。

 

生涯「税金」はいくら払うか

https://president.jp/articles/-/433

 

 例えば生涯納税額の合計が5000~6000万円くらいだとしよう。それは世界的に見ると高いのだろうか、安いのだろうか。北欧の福祉国家と比べると、日本は税金が安いというのが社会常識になっている。日本は北欧の国家に比べると、福祉・セーフティネットが明らかに薄いが、その分、税金は安いということになっており、誰もこれを疑わない。果たして、これは本当だろうか。

 

税金が高い国ランキング!税率が高い国の国民は幸せなのか?

https://venture-finance.jp/archives/16520

 

 私は、上記サイトで言われていることが、統計調査的に信頼性のあるものかどうか、わからない。もしこのサイトの言っていることが本当だとしたら、日本という国は、イギリスやフィンランドよりも税金が高いということになる。そして、明らかにイギリスやフィンランドよりも国民への福祉的恩恵が薄い。つまり、高い税金を払っているわりには、リターンが少ないということである。

 これが真実であるか否か、私にはわからない。しかし、ある種の納得感はある。なぜなら、日本はヨーロッパ諸国よりも、国際金融資本家に食い物にされている国だからである。日本という国が、高い税金と薄い福祉で成り立っているという説明は、妙な納得感がある。その間の差額は、誰かが吸い取っているということだ。

 日本人のほとんどは、生涯で税金をいくら徴収されるのかを知らない。また、関心もない。そういう国民的傾向性は、支配者層からすれば大変にありがたいことである。ここで言っている「支配者」とは、日本人ではない。内閣でもなければ、国会でもなければ、裁判所でもない。白人の国際金融資本家たちである。その手下である日本人の政治家や官僚たちが、彼らの言いなりになって、日本という国家を運営している。その構造は、大まかに示せば、以下のようになる。

 

A.支配者(外国人)

B.Aの手足になる日本人の政治家、官僚、大企業経営者(年収はDの2倍~100倍)

C.この支配構造を国民に知らせないように頑張る大手メディア(年収はDの2倍~4倍)

D.この構造を知らない(知る気がない)一般国民(生涯納税額5000万~6000万)

 

 江戸時代には士農工商という身分制度があった。農民は名目上二番目の階級だが、実質上は「生かさず殺さず」の身分である。農民がくたばってしまえば、農民から米(年貢)が取れなくなって困る。それゆえ「殺さず」である。しかし、できるだけ搾り取りたいので、「生かさず」となる。

 この点、現代の場合は勉強を頑張って東大に進学すればBまで行けるかもしれないので、江戸時代よりかは夢のある世界かもしれない。ジャパニーズ・ドリームである。しかし、Japaneseである以上、Aには行けないので、出世には限界はある。最高裁長官もアメリカ大使より下であるし、総理大臣もアメリカのカジノ経営者より下である。

 これは私のみが言っていることではなく、気づいている人にとっては常識的なことである。例えば、自衛隊の元陸将補である池田整治氏は、著書の中で上記A~Dの構造とほぼ同じことについて述べている。詳しくは、「マインドコントロール」(池田整治 ビジネス社)58-59頁を参照していただきたい。

 

2.日本の税金を使って、日本を巨大なイージス艦にする

 日本国民がたくさん税金を国に納めても、北欧の福祉国家と違い、国民へのリターンは薄い。それは、税金の使い道がいろいろとあるからである。例えば、カジノもつくらなければならないし、駐留している米兵に美味しいものを食べさせなければならないし、アメリカの国債も買わなければならない。アメリカの武器会社から軍事物資をたくさん買わなければならないし、そして、今後は秋田と山口にイージス・アショアをつくらなければならない。A層の人達が次から次に要求してくるので、B層の人達も大変である。

 B層と言えば、先月、日本においてB層のメンバーを選ぶための参議院選挙(2019年7月21日投票)が行われた。そこでは、経済政策や年金問題憲法改正等が争点となったが、「政治家としてどのようにCSISと向き合うか」という問題は一切争点とはならなかった。常識的に考えれば、これは奇妙なことである。なぜなら、日本という国家に対して、CSISは巨大な影響力を持つ組織であり、これの意向により日本国民の巨額の税金の流れ先が決まり得るからだ。

 しかし、CSISについてまったく争点にならないということも、ある意味仕方のないことである。日本人のほとんどはCSISについて知らないし、CSIS自身としても、日本において自らを有名にしたいとは思っていない。彼らは自らを隠れた組織にしておきたい。そのためCSISは、一部の日本人を除けば、日本国民にとって見えざる組織である。こうした不可視化に、日本の大手メディアも協力している。

 日本においては何事も「いつの間にかできちゃった」ということでいいのである。日本人からすれば、カジノもイージス・アショアも、「いつの間にかできちゃった」ものである。裏庭の木にキノコが生えたようなものであり、感覚としては自然現象に近い。

 しかし、「いつの間にか」ということは実際には存在しない。裏庭にキノコが生えるように、ミサイル基地が日本の国土に自然に生えるはずがない。ということは、誰かが日本の政治家や官僚に「つくれ!」と命令しているわけであり、その制度設計の内容を考える組織がCSIS(Center for Strategic and International Studies)なのである。これは日本の組織ではなく、アメリカのシンクタンクである。つまり、A層である。

 

安倍政権が3億円の寄付をした米シンクタンクの正体!

https://lite-ra.com/2019/03/post-4610.html

 

イージス・アショアに大金を払い、日本は米国の「不沈空母」にされる

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65539

 

 北朝鮮や中国が日本にミサイルを撃ってくる。日本国民は大手マスコミを通じてそのように教育されている。もしその教育内容が本当なら、日本で最も人口が多い都市は東京と大阪であるから、ミサイルの軌道から考えて、新潟と福井にイージス・アショアを建てるのが道理であろう。しかし、アメリカからすれば、米太平洋艦隊の拠点はハワイとグアムである。それゆえミサイル軌道を考えれば、秋田と山口にイージス・アショアを置くのがよい。

 その結果、新潟と福井ではなく、秋田と山口にイージス・アショアが建てられることとなる。もちろん、費用は全額日本の税金である。6000億円以上かかると言われている。なお、秋田県平成28年度一般会計の歳入は6005億円。つまり、秋田県の人達が一年間働いて納めた税額と同じくらいである。

 

<税を追う>地上イージス 総額6000億円超も 防衛省公表は2基4500億円

https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201811/CK2018110902000152.html

 

 ちなみに、ロッキード・マーチンの戦闘機F35一機のお値段は、大体100億円と言われている。保育園を一つ建てるのに1億円だと考えると、戦闘機一機で保育園が100個建つわけである。しかし、日本は福祉国家ではない。植民地である。B層からすれば、福祉よりA層の命令の方が何百倍も大事である。

 なお、フィンランドの法律では、保育園の月々の費用が上限290ユーロ(約36000円)と決まっており、所得が低い場合はこれより安くなる仕組みとなっている。また、小学校から大学まで学費は無料。18歳未満の医療費も無料。また、妊娠補助金、母親手当、父親手当、児童手当、保育手当などの手厚い福祉サービスがある。

 日本人はこれについて、日本はフィンランドよりも税金が安いのだから仕方がないと思って、納得している。しかし、日本には保育園に入りたくても入れない待機児童が2万人いる。その福祉のレベルの低さは、フィンランドと同じ土俵では比べることができないものである。これを、「その分、税金が安いのだから仕方がない」と納得してくれる日本人は、A層にとっては大変都合のいい国民である。彼らからすれば、世界の被支配民族がみんな日本人みたいになってくれれば嬉しいことだろう。

第二十一回 日本のカジノは誰のため

1.日本におけるカジノ政策

 現在の日本には、日米同盟という名の下に、まるで日本とアメリカが対等な関係にあるかのような幻想がある。しかし、実際には日米間には明確な上下関係がある。それは前回見た司法権の例で明らかであり、植民地は常に宗主国に利用される運命にある。それは軍事的な利用だけでなく、当然、経済的な利用も含む。

 例えば、現在の日本においては、カジノを建てるための政策が進められている。「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」が2016年に成立しているが、要は日本にカジノを建てるための法律である。これにともない、2017年3月24日、総理大臣を本部長とし、全ての国務大臣を構成員とする特定複合観光施設区域整備推進本部が内閣に設置され、制度が本格的に実行されるべく準備が着々と進んでいる。

 現在のところ、大阪府長崎県、北海道がカジノの有力候補地となっているようである。

 

日本のカジノ有力候補地はココ!各都道府県のIR誘致状況まとめ【2019年6月最新版】

https://vegasdocs.com/casinohouan/kouhochi.html

 

 カジノについて賛否は分かれている。賛成意見としては、カジノが置かれる地域の経済が活性化されるという意見がある。カジノはただそれだけで設置されるものではなく、巨大リゾート施設の一環として建てられる。それゆえ、カジノも含めたリゾート全体に観光客が集まり、地域経済が活性化され、自治体収入の大幅アップが期待されているのだ。

 他方、反対意見としては、ギャンブル依存症の日本人を増やしてしまうという心配がある。ギャンブル依存症は、本人が苦しむだけでなく、家族などまわりの人達も非常に苦しむ。また、施設周辺の治安が悪化することへの懸念もある。なお、日本におけるギャンブル依存症の数は、2017年に厚生労働省が把握している数で、320万人いるそうである。ちなみに、長崎県の人口は約140万人である。

 

ギャンブル依存症疑い320万人 厚労省推計、諸外国と比べ高く

https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG29H65_Z20C17A9CR8000/

 

2.なぜカジノなのか

 しかし、カジノ政策について、メリットとデメリットの間で天秤のように心が揺れ動くよりも前に、私としては、「なぜカジノなのか?」ということが不思議であった。地域経済の活性化という目的のためなら、カジノでなくとも遊園地や水族館でもよかろう。

 千葉県にあるディズニーランドの年間訪問者数は、2018年度で3255万人であり、沖縄県美ら海水族館の年間訪問者数は、2017年度で500万人である。なお、千葉県の人口は約640万人であり、沖縄県の人口は約140万人である。一つの施設が、県民数の3倍、4倍、5倍の観光客を呼び込み、大きな経済効果を生むのである。

 カジノの場合、経済の活性化というメリットとともに、ギャンブル依存症患者の激増や、治安の悪化という不安がある。この点、遊園地依存症や、水族館依存症の問題は聞いたことがない。夫が重度の遊園地依存症で、妻の貯金を無断で使いこみ、不動産に巨額の担保を設定するという話もおそらくないだろう。水族館を建てたおかげで水族館関係のマフィアが地域をうろつくようになったり、麻薬の売人が増えたりといった話は聞いたことがない。

 カジノを建てるということは、遊園地や水族館にはない大きなデメリットがある。今の時点で、少なく見積もって、320万人のギャンブル依存症の人がこの国にはいる。カジノができれば、その数が増えることは確実である。なぜ、それでもカジノなのか。その疑問を解消するにあたって、次のような視点から調べてみた。それは、「日本はアメリカの植民地だ」という視点である。この視点から見れば、日本のカジノ政策は非常にわかりやすいものである。

 

トランプ氏、安倍首相に米カジノ業者の日本参入を要請か 米報道

https://www.buzzfeed.com/jp/yoshihirokando/casino

 

3.ユダヤに役立つ日本

 日本におけるカジノ反対派の人達は、ギャンブル依存症が日本に320万人いることから、カジノの建設に反対している。しかし、見方が変われば全ては変わる。ギャンブルで儲ける側からすれば、ギャンブルに弱い人間が320万人もいるという国は、大変に魅力的であり、素晴らしいことである。そんな魅力的な獲物を、獰猛な肉食獣が見逃すはずはない。

 獲物を狙う肉食獣とは誰か。それはシェルドン・アデルソンをおいて、他にいないだろう。彼はユダヤアメリカ人であり、アメリカのカジノ産業の巨頭である。そして、トランプ大統領に対する高額献金者トップ5のうちの一人である。アデルソンは熱烈なシオニストでもあり、イスラエルのネタニヤフ首相とも親しい。つまり、イスラエル右派である。

 なお、ネタニヤフが所属する政党はイスラエルリクードであるが、リクードに多額の資金援助をした人物がチャールズ・クシュナーであり、チャールズの息子がジャレッド・クシュナー、つまりイバンカ・トランプの夫である。こうしたユダヤ人脈が、トランプ大統領のまわりを取り囲んでいるわけだから、イスラエル右派が喜ぶ政策をトランプ大統領が次から次へと実行する動機も見えてくる。

 イスラエル右派にとっての不俱戴天の敵であるイランが、トランプ政権から敵視され、日本にカジノ産業が乗り込んでくる構図も、そう考えるとわかりやすい。多くの日本人からすれば、中東におけるイランの孤立と、日本におけるカジノ政策はまったくの別物に見えるだろう。しかし、別事のようにみえる現象が、よくよく調べてみると、出所を同じくしていることがわかる。

 日本人とアデルソンはもともと関係がない。しかし、トランプのパトロンがアデルソンなら、トランプはアデルソンが欲しがる獲物を捕まえて来る必要がある。それが多額の献金を受けた男の仁義である。この仁義に、日本は植民地として従うわけである。また、日本はシオニスト運動とも関係がない。しかし、アメリカがシオニズムのためにイランと喧嘩するというなら、日本は植民地として従う。

 自衛隊がホルムズ海峡でイラン人と戦うためには、憲法を改正しなければならない。それは、日本にカジノ施設を建てるためには、カジノ関連法を新しく制定しなければならないことと同じである。ユダヤ人は、より正確に言うならイスラエル右派は、日本に対して、もっとシオニズムに貢献してほしいと思っている。

 一つは経済的な貢献、つまりお金の貢献である。シオニズム運動を前進させるには金がかかる。そのための一環として、日本にカジノを建て、ユダヤ人が儲かるように日本人に頑張って欲しいということである。もう一つは、軍事的な貢献である。シオニストの敵であるイランを滅亡させるには、米軍やイスラエル軍だけでは足りない。そのため自衛隊に頑張ってもらいたい。できれば、米兵の死者数が増えないようにするために、前線で自衛隊に頑張ってもらいたい。

 安部政権は、こうしたユダヤ的要求にこたえるために、一生懸命に頑張っている。そのため、日本の大手マスコミは、カジノ問題を報じるにあたっても、アデルソンの名前は出さない。日本人のほとんどは、シオニズム運動に関心がなく、ほとんど知らない。しかし実際には、日本という国は、シオニズム運動にきっちりと組み込まれている。その一環として、カジノが日本に建てられる。ユダヤ人からすれば、その理由を日本人が知る必要はない。「いつの間にかカジノができちゃった」ということでいいのである。

 「ボーッと生きている日本人」に対して怒るNHKのチコちゃんも、こういった問題については決して怒ることはない。なぜなら、国際資本家からすれば、日本人が自分の置かれている状況について疑問に思う必要はまったくないからである。彼らからすれば、日本人には永遠に「ボーッと生きて」もらいたい。今のところ、日本人は彼らの期待に十分に応えているようである。

第二十回 忠犬は使い終わったら捨てられる

1.田中裁判官の経歴と砂川事件

 Googleの検索ボックスに、「田中裁判官 アメリカの犬」と入れて検索すると、田中耕太郎裁判官(1890年10月25日-1974年3月1日)の情報が出てくる。

 田中氏は、日本の著名な法学者、法哲学者であり、東京帝国大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、最高裁判所長官国際司法裁判所判事、日本学士院会員、日本法哲学会初代会長という凄い経歴の持ち主である。また、文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章しており、大勲位菊花大綬章を没後叙勲、正二位を追贈されている。上智大学初代学長であるヘルマン・ホフマン氏より受洗したキリスト教徒でもある。

 経歴だけ見ると、法曹界のビッグネームというふうにしか見えない。しかし、「アメリカの犬」というワードでGoogle検索にのってしまうのは、砂川事件による。砂川事件については、前回のブログで紹介した矢部宏治さんの本にも書かれているが、東京都砂川町付近にあった在日米軍立川飛行場の拡張を巡る闘争(砂川闘争)における一連の訴訟のことである。

 1957年7月8日、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立入禁止の境界柵を壊し、数メートル立ち入った。これにより、デモ隊のうち7名が、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に違反したということで起訴された。第一審は東京地裁で行われたが、法学史上有名となっている「伊達判決(1959年3月30日)」により、起訴されたデモ隊7名は全員無罪となった。なお、伊達裁判長は、この判決の二年後に退官している。

 「伊達判決」の直後、検察側は最高裁判所へ跳躍上告した。つまり、間にある高等裁判所は飛ばされ、地裁からいきなり最高裁へと場面が転換したのである。最高裁では田中耕太郎裁判長のもとで、「原判決破棄、地裁差し戻し」という判決となり、東京地裁で岸盛一裁判長のもとで判決が下され、デモ隊に対する罰金2000円の有罪が確定した。

 田中裁判長による最高裁判決は、法学史上、最も有名な判例のうちの一つとなり、判決の背景理論である統治行為論も含めて大きな議論となり、日本全国の法学部の学生が必ず知るべき学習素材となった。つまり、日米安保条約のような高度な政治性をもつ条約については、裁判所は違憲かどうかの法的判断を下すことはできないという判決内容に対して、それでは司法権が行政権の下部権力になってしまい、司法権の独立が失われるではないかという反論が起きたのである。

 確かに、高度な政治判断について、司法権違憲判断をできないのなら、行政権に対して司法権は最終的な歯止めの力を失ってしまう。それゆえ、これは三権分立の原則を破壊するものであり、行政権に対する司法権の従属という民主主義の破壊ではないかという批判が起きたのである。

 こうして砂川事件は日本の法制史に残る有名事件となり、その判決を下した田中裁判長は日本の法律関係者なら誰も知らぬ者のいない有名人となった。日本の司法権が行政権に従属した事件として、法曹界、法学界において有名となったのである。以後、この判決は司法試験や公務員試験の法律科目における必須知識となったため、多くの大学生が好むと好まざるにかかわらず、田中裁判長について知らなくてはならないこととなった。

 

2.アメリカ側の暴露によって起きた新たな展開

 しかし判決から50年以上が経過し、砂川事件は当初の見た目とはまったく違う顔を見せるようになった。21世紀初頭に、アメリカ側が機密指定公文書の機密解除をするようになったからだ。つまり、公文書の公開によって、砂川判決に駐日アメリカ大使が絡んでいたことが明らかになった。

 東京地裁の「伊達判決」を受けて、当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を目論んで、藤山外務大臣最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけていた。それと同時に、マッカーサー2世は、田中最高裁長官とホテルで密談していたのだ。田中長官はこの時、最高裁判決が正式に出る前に、最高裁で伊達判決を破棄することをマッカーサー2世に約束していた。これは裁判所法第75条の違反である。

 

裁判所法 第75条(評議の秘密)

第1項 合議体でする裁判の評議は、これを公行しない。但し、司法修習生の傍聴を許すことができる。

第2項 評議は、裁判長が、これを開き、且つこれを整理する。その評議の経過並びに各裁判官の意見及びその多少の数については、この法律に特別の定がない限り、秘密を守らなければならない。

 

 それまで、砂川判決は、統治行為論を背景理論とした司法権の行政権への従属が問題となっていた。司法権の独立および三権分立の破壊が問題となっていたのだ。しかし、機密文書の公開により、問題はそういうことではないことが明らかとなった。つまり、司法権が行政権に従属していたのではなく、司法権や行政権も含めて、日本の三権が丸ごとアメリカに従属していたことが明らかとなったのだ。

 「司法権の行政権に対する従属だ!」とか「司法権の独立の破壊だ!」といった喧々諤々の議論、あるいは「統治行為論の問題」といった法学上の議論は、結局のところ、すべて的を外した頓珍漢な議論に過ぎなかった。実際には、三権分立司法権の独立、統治行為論もへったくれもなく、日本がそもそも独立国ではないという話だったのである。

 普通の事件において、裁判官が裁判所法75条に違反したら、即刻罷免であろう。しかし、アメリカ案件の場合は別である。米軍とは、日本にとって三権(行政、立法、司法)を超越する権力である。超越権からすれば、憲法も法律も民主主義もへったくれもない。日本の主権は、超越権の許す範囲内の権利であるから、田中裁判長の行為は超越権により許されるというわけである。

 

対米従属の正体

https://www.fben.jp/bookcolumn/2012/08/post_3372.html

 

3.忠犬を見捨てるアメリ

 私は田中裁判長を批判したいという気持ちはない。田中氏がもし、あのとき超越権に逆らっていたら、田中氏はクビになるか、地方に飛ばされるか、暗殺されるかの三択しかない。田中氏が飛ばされる、あるいは消されたら、代わりにアメリカの犬になる人物が最高裁のトップとして任命され、同じような判決が下されたことだろう。なお、日本の裁判所が「犬」であることは、現在においてもまったく変わっていないようだ。

 

最高裁は政治権力の“忠犬”」元エリート裁判官が暴く司法の闇

https://diamond.jp/articles/-/118844

 

 「冷たいな」と思うのは、アメリカがこうした情報を21世紀になってから平然と公開したことだ。田中氏とその子孫からすれば、田中氏がアメリカの忠犬として働いたことは地球が滅亡するまで機密事項にしてもらいたかっただろう。しかし情報公開により、田中氏の子孫は売国奴の子孫ということになってしまった。NHKはそれを全国放送して国民にお知らせした。

 

砂川事件 60年後の問いかけ

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259600/index.html

 

 アメリカは、忠犬田中の名誉を守るために、彼のやったことを隠し通すことはなかった。むしろ、細大漏らさず、公開した。まるで、「あなたの国の司法権のトップは、駐日大使の犬にしか過ぎない」ということを日本人に教育するために公開したかのようだ。

 日本の三権のトップは、行政権では内閣総理大臣立法権では衆議院議長および参議院議長、司法権では最高裁長官である。しかし、これらのトップも、日本国という牧場のトップに過ぎない。羊を管理する牧羊犬である。牧羊犬は羊を管理する権限を持つが、人間ではない。それゆえ、犬がいくら偉かろうが、御主人様であるアメリカからすれば、人間ではない。アメリカ人から見れば、田中裁判長の大きな勲章もドッグメダルにしか見えないだろう。

 忠犬がいくらご主人様に尻尾をふったところで、主人から尊敬のまなざしで見られることはない。それゆえ、使い終わったら、切って、捨てられる。アメリカが田中裁判長の名誉を粉々に破壊したことは、その一例に過ぎない。

 おそらく、郵政民営化によって、日本国民がコツコツ貯めてきた郵便貯金アメリカに丸ごと贈呈した小泉、竹中、安倍の三名も、何十年後には売国奴としてアメリカに情報公開されることだろう。その際、恥をかくのは本人ではなく、その子孫である。郵政民営化の内実については、武田宙大さん(内海学校)による下記動画を参考にしていただきたい。

 

かんぽ生命トラブルの真実

https://www.youtube.com/watch?v=B2cjOzdFaw4