戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第一回 ウェスリー・クラークが見た戦争計画メモ

 昔、ピーター・バラカンが司会のCBSドキュメントという夜中のテレビ番組があった。今から十年以上前の話である。私は毎回見ていたわけではなかったが、機会があるときは見ていた。イラク戦争によるフセイン政権滅亡からしばらくたって、その番組は、あるアメリカ軍の元将軍が関係者から渡されたメモの内容を特集していた。

 それによると、イラクとの戦争はもちろんのこと、シリア、レバノンリビアソマリアスーダン、イランが将来米軍により攻撃されることが計画として決まっているということであった。私はイラク戦争の前の911事件をきっかけとして、色々とネットでその背景を調べていた。それにより、戦争が偶発的に起こるのではなく計画的に起こるということを私も知っていた。なので、その将軍の発言、つまり、戦争が偶発的に起こるものではなく、計画的になされるものであるということについては、それほどの驚きはなかった。そして、第三次世界大戦が起こるとしたら、そのリストの最後に書かれているイランを中心に起こるのではないかなと、漠然と納得した。

 しかし、なんとなく納得はしたものの、いったいどうやってシリアやイランを米軍が攻撃するのか、それについては、頭の中にクエスチョンマークが残ったままであった。イラクフセインによる独裁国家であるということは世界的に知られている。それをアメリカが「正義の戦争」という理由をつけて攻撃するというシナリオは成り立つだろう。また、レバノンソマリアスーダンは、米軍が介入する以前に内戦状態で混乱している。リビアカダフィによる独裁国家として世界的に知られている。なので、イラクと同様、アメリカ政府やメディアが「悪の帝国」だと言えば、アメリカ国民はそれを信じるだろう。なので、アメリカがリビアを潰そうとしても、アメリカ国民はイラクの時と同様、反対しないはずである。

 しかし、シリアやイランは、イラクのような、見ればわかるような独裁国家ではない。世界中から多くの観光客が訪問している国であり、入国後は命の保証がなく、殺されても「自己責任」として誰も憐れんではくれないような独裁国家ではない。シリアのダマスカスやイランのテヘランは巨大な観光地であり、欧米だけでなく、日本からもJTBのツアー客が行っているような古都である。

 当時の感覚からすれば、シリアやイランは、イラク北朝鮮のような閉鎖的な独裁国家というイメージとは違い、もっと開かれた民主的な国家というイメージがあった。なので、そういった国をアメリカ軍が襲うとしても、アメリカ国民の理解を得ることは難しいのではないかと思った。なので、そのメモにある計画がウソではないとしても、当時の私には、いったいそんなことをどうやってやるのだろうという疑問があった。

 しかし、その後、そのメモの内容は本当に実行された。シリアは2011年から内戦状態になり、ダマスカスは一大観光地ではなく、戦場となった。レバノンは長い内戦が1990年に終わるが、2006年にイスラエルと戦闘状態になり、再び街が破壊される。リビアは2011年の内戦でカダフィが殺され、政権が倒れる。ソマリアは長い内戦状態の中、2007年に米軍が介入、2012年に正式な政府が発足している。スーダンは2003年からダルフール紛争が起こり、その後南スーダンが独立している。こうなると、残りはイランのみである。

 さて、私が相当前にテレビで見た驚愕のメモの内容であるが、最近、山本太郎参議院議員の秘書をしていた作家の安部芳裕氏の本を読んだら、その中にこのメモについての詳しい記述があった。安部氏によると、そのメモを見た人物は、元NATO欧州最高司令官であり、その後民主党上院議員となったウェスリー・クラークであるそうだ。クラークは911事件のおよそ10日後に国防総省で将校に会った際に、そのメモを見て、2007年のテレビ番組「デモクラシー・ナウ!」に出演した際に、その内容を暴露したそうである(『世界超恐慌の正体』 普遊舎新書 217-219頁)。

 2019年6月現在、メモの中でアメリカにまだ侵攻されていない国は、唯一イランである。これからもし、イランとアメリカが戦争をするとしても、その計画は911事件の前、つまり20世紀には決まっていたということである。戦争が偶発的ではなく、計画的に起こるものだとしても、その計画は随分前から決められていたことのようである。しかし、アルバート・パイク(1809-1891)の手紙を見ると、それは20世紀ではなく、19世紀に決められていたようである。