戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第七回 大衆を思考停止にするシステム

 マッツィーニは近代イタリア建国の父、パイクはアメリ南北戦争の将軍、ビスマルクはドイツの鉄血宰相・・・というふうに、歴史の教科書では各人物がバラバラに出てくる。しかし、そういう説明は読む者に断片的な知識を与えるが、肝心なことを伝えない。彼らに金を渡していたのは誰だということだ。金の出所が同じなら、彼らは一つの戦略のもとに存するメンバーであり、それぞれが別の支店で働いていたのだということになる。同じ事業計画の下で、マッツィーニはイタリア支店、パイクはアメリカ支店、ビスマルクはドイツ支店で働いたのではなかろうか。

 私は高校生の時に、山川の世界史教科書を大学受験のために必死になって勉強した。しかし、受験勉強が終わったら、内容はすっかり頭から抜けてしまった。おそらくそういう生徒は多かったことだろう。無理もない。世界史の教科書は、事実の羅列と、極めて表面的な因果関係の説明から成り立っている。それゆえ、シャンパンの炭酸が抜けるように、使用後はその内容がシュワっと抜けてしまうのだ。結局、必死になって勉強をしても、自分が何を勉強したか覚えていられない。

 かくして、若い頃の私も含め、大学受験のために必死になって勉強した若者は、受験が終われば自分が何を勉強したのかさえも思い出せないバカになっている。竜宮城で遊んだ浦島太郎以上のバカになっているのである。ヒトラーがアホな大衆は国家がつくるものだと言ったが、まさにそのとおりである。義務教育で子どもを学校に行かせ、無内容な勉強を、競争システムの中でさせる。マスコミはどうでもいい情報を24時間国民に向かって垂れ流し続け、スポーツやエンターテインメントで国民の精神を骨抜きにする。

 こうして畜産された大衆を国家の主権者と祭り上げ、彼らの投票によって政治家が選ばれ、その政治家が国家を運営する。しかし、その金融システムは資本家に握られており、政治家はそうした資本家から資金援助を受けなければ選挙で勝てない。選挙で勝った政治家は、当然、恩返しとして、資本家を優遇する政策を実行する。それゆえ、ある意味で、民主主義とは見えざる資本家勢力が国家を支配するための最高のシステムであると言える。

 ヒトラーは、暴力革命ではなく、民主的な選挙制度によって政権を得た。金持ちから資金援助された結果、選挙に勝ったのだ。

 

1999年以後 五島勉 祥伝社 88

「どうだ、わたしの言ったとおりだろう。選挙の極意とはこういうものだ。つまり大衆は限りなく愚かだ。大衆は女のように感情だけで動く。だから女をモノにするときのように、優しくしたり威圧したりすれば、大衆も政権も簡単にモノにできるのだ」

「青少年も同様に愚かだ。彼らには車とオートバイと美しいスターと、音楽と流行と競争だけを与えてやればいいのだ。

 それでシャンペンの空気を抜くように、かれらの頭から、“考える力”を抜き取る。あとは車とスターと流行と音楽の力を借りて、ワッとけしかければ、彼らは武器を抱いて地獄の底へでも突っ込んで行くよ」

「そのためにも、大衆や青少年には、真に必要なことは何も教えるな。必要がないバカのようなことだけを毎日毎日教えろ。それで競争させろ。笑わせろ。ものを考えられなくさせろ。真に必要なことは、大衆と青少年を操る者だけが知っていればいい」

 

 ヒトラーがこのような凄まじい大衆支配システムを、全て独力で考え出したとは考えにくい。もしかしたら、彼はヴァールブルグなどの優秀な資本家経由で、そういったシステム構築と運営について学んだのかもしれない。そもそも、近代化の波の中で、なぜ世界の様々な国家が次々と民主化されていったのか、教科書は教えてくれない。国民はそれを漠然と、民主主義、つまり大衆が勝ったのだと思っている。

 しかし、フランス革命は貧乏な一般大衆が団結して成し遂げたものではない。ロスチャイルド家は、一族であるモーゼス・モカッタ銀行を通してフランス革命のために資金を提供している。革命の主体はフリーメイソンであり、優秀なフリーメイソンであり、彼らが大衆を扇動したのであり、大衆がフリーメイソンのために少ない預貯金から寄付を集めて革命を起こしたのではない。マリー・アントワネットは、まだ王妃だった頃に、友人に宛てた手紙で、「フリーメイソンは恐ろしい」と書いている。「パンがなければケーキを食べればいい」と彼女が言ったというのは、おそらくフェイクニュースであろう。ハプスブルク家で最高の貴族教育を受けた彼女が、そんなバカなことを言うとは考えにくい。

 そもそも、貧乏な一般大衆には資金源がなく、革命をするための知的な蓄積やノウハウもない。革命であろうが戦争であろうが、莫大な金が必要である。つまり、革命には潤沢な資金と優秀な頭脳の二本立てが必要なのであり、大衆の不満や熱意だけでは、単なる一過性の農民一揆で終わってしまう。貧乏な農民たちが金持ち貴族に対して怒ってフランス革命が起こり、フランスに民主主義が生まれたというストーリーは、おとぎ話にしか過ぎない。妄想は金がなくてもできるが、革命は金がないとできないのだ。

 フランス革命の後、ナポレオンがヨーロッパを一大戦場にしてくれたおかげで、貴族政治をしく各国政府は戦費の膨張で資金繰りが苦しくなる。そこにロスチャイルドを中心とした金融資本勢力が戦費をまかなう。フランス革命戦士達とナポレオンというフリーメイソンの活躍により、フランスの王家は滅び、フランスは民営化され、ロスチャイルドの思惑通りに、民営化された中央銀行ができる。

 同時に、イングランド銀行の支配権を得たロスチャイルドは、イギリス王室と一心同体となる。その後、ビスマルクと組んでドイツを民営化し、ハプスブルク家をつぶし、その後はロマノフ家をつぶし、ロシアを共産化(民営化)する。それと同時に、アメリカにFRBを設立し、アメリカ政府を民営化する。

 こうして王朝は次々と倒れ、政府は次々と民営化される。今ではほとんどの国家が民営化されている。この民営化を民主主義の勝利、一般大衆の勝利だと考えるなら、あまりにも楽観的過ぎる。民営化されるということは、株式が公開されるということであり、強大な資金力を持った者が支配できるということである。つまり、国家が貧富の格差を是正するために政策を施すことが難しくなる。

 しかし、そんなことを言っても、大衆の頭の中は、スポーツ、芸能人、学校や会社のどうでもいい人間関係、家族の問題、報道機関の伝えるどうでもいいニュースといったことでいっぱいである。水には毒物が混入され、空気中にも毒物が混ぜられ、食べ物も毒入りである。ワクチンや健康診断も、思考停止でただ受けているだけなら、非常に危険なものである。世の中は、頭が悪くなる装置で成り立っている。

 民営化、民主化というものは、一見、いいものであるような印象を与えるが、非常に危険なものなのだ。この魅力的なネーミングによって、大衆は騙される。民主主義というと、まるで一般大衆が勝利者であるかのように錯覚させる。民営化というと、まるで国家権力から大衆が運営の権利を勝ち取ったようである。健康診断は、まるで大衆が健康になるためのシステムに聞こえるし、ワクチンというネーミングもまるで大衆を病気から救うような名前である。

 2005年、当時の首相である小泉純一郎が「俺が自民党をぶっ壊す!」「これは郵政民営化選挙だ!」というふうに、わけのわからない内容で叫んだら、なぜか選挙で圧勝してしまった。当時のマスコミは、民営化される郵貯の裏にいるゴールドマン・サックスやモルガンについては、ほとんど報じなかった。もちろん、巨大利益を得るアフラックのことは「ア」の字も出さない。アフラックはロックフェラー系の保険会社である。テレビの報道番組では「果たして民営化された後も離島に封筒は80円で届くのか?」といったテーマが討論されていた。

 会社であろうが国家であろうが、株式を公開して市場に出さなければ、閉じたシステムとして外部の介入を遮断できる。鎖国時代の江戸幕府がそうである。しかし、株式を公開して、市場に流通させるということは、それを大量に買った金持ちがその組織を牛耳ることとなる。この商法と株式市場と支配のシステムを最初に思いついた天才は誰だったのだろうか。

 フランス革命貧困層の人々が力を結集して成し遂げた革命ではなかった。その担い手は資金援助を受けた知識層であり、その目的は国家の民営化、つまり国庫の民営化であった。身分制社会が倒されて平等社会が実現されたのではなく、国が守っていた通貨発行権を資本家が強奪することが実現されたのだ。こうして正に「資本主義」がはじまった。

 資本家は、国家の通貨を握ったと同時に、教育とマスコミという情報も握った。それにより、学校でもメディアでも、決して肝心なことが伝えられない社会制度が確立された。学校で教わることや、テレビや新聞などの大手メディアでの情報だけでは、それぞれの政治活動の資金源がどこにあるのか知ることができない。大衆は事の真相を知らされず、表面的な情報だけをもとにして議論をせざるを得なくなり、中にはそういう表面的な議論を議論そのものだと勘違いする人々も出てくる始末である。

 他方、資本家たちはドイツ語、英語、フランス語、ヘブライ語を自由に操り、金融や世界情勢に対する圧倒的な知識を持ち、学習能力が高く、なにより世界の構造の裏側をよく知っている。こうした高度な悪知恵を持った資本家たちと、国家システムによって生産される思考停止の大衆という二極化社会が到来することとなった。

 私は民主主義が「悪」の制度なのだと言いたいのではない。民主主義というものは、一般大衆にとって夢のような素晴らしい制度ではないと言いたいのだ。それは放っておけば、国際資本家が好き放題に利用するという危険性を孕んだシステムである。この危険性について国民が思考停止であるなら、得をするのは国際金融資本を動かす人々である。一般大衆がバカなのだと言っても意味がない。一般大衆がバカなら、いったい誰が得をするのか。一般大衆がバカであることを望むのは一体誰なのか。それを考えるべきなのだ。

 確かに民主主義体制下では、貴族が大衆から搾取することはできない。それは民主主義という制度の成果である。しかし、このシステムにおいては、国際金融資本家は大衆から堂々と、合法的に搾取できる。なるほど、憲法は貴族の特権を禁じ、カースト制度身分制度を否定している。しかし、金持ちがメディアのスポンサーになって大衆を洗脳することについては、憲法は禁じていない。うかうかしていると、国民の財産が次から次へと民営化され、国際金融資本に乗っ取られる。5%の金持ちが95%の大衆を支配するという社会ができあがり、戦争をするにしても、彼らが自由に世論を操作して実行可能な世界となる。

 大衆が気づかないうちに家畜となる社会ができあがる。郵便局に貯金をしたら、その金はゴールドマン・サックスやモルガンが儲かるような仕組みがつくられ、貯金した金がいつのまにかアメリカ国債に化けている。郵便局員のすすめで保険に入ったらアフラック、つまりロックフェラーが儲かるという仕組みができあがる。日本人のお金を預かる郵便局が、国際金融勢力を太らせるメカニズムになるのだ。

 これは安全保障の面でも同じである。愛国心に基づいて国防費の増額に賛同し、軍事力の強化に賛同しても、その実はアメリカの武器会社などの資本家を太らせるために軍事力の増強をしているということになる。おかげで、ロッキード・マーチンの株は、16年連続増配銘柄である。この傾向に流されるままでいたら、気づいた時には日本人の自衛隊の若者が、命を懸けて中東の地で、アメリカ企業(グローバル企業)が儲かるために戦うという構図になりかねない。

 かつて、青い目の白人を儲けさせるために、日本人同士が殺し合いをした時代があった。西郷隆盛率いる軍勢が西南戦争幕府軍と戦い、儲かったのは誰か。日露戦争ロマノフ朝ロシア軍と日本人が殺し合い、大儲けしたのは誰か。日本は日露戦争に勝って、果たしてどれくらい利益を得たのか。日本政府が日露戦争の時に借りた金を、元金プラス利子の満額でユダヤ人に返し終えたのは、1986年である。

 2018年9月26日、国連総会においてアメリカのトランプ大統領は会見し、「日本はすごい量の防衛装備品を買うことになった」と発言している。つまり、アメリカの軍需産業が日本のおかげで相当に儲かったわけである。金を払ったのは日本国民であり、それは日本人が毎日汗水流して働いている成果から天引きされている税金である。

 民主主義という体制の下では、国民の愛国心はメディアを通して資本家に操作され、彼らの利益のために利用される可能性がある。この危険性について国民が自覚的でない限り、民主主義という制度は一般大衆にとって夢の制度とは程遠い危険な制度である。国民が「知らぬが仏」のままなら、この制度の利用方法を隅々まで知っている彼らのいいように操られるかもしれない。