戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第十五回 アメリカの開戦パターン

 どこの国であれ、国民は生活第一であるから、戦争を望まない。そのため、政府が戦争を遂行するには世論の喚起、国民の賛同が必要である。2019年6月13日、ホルムズ海峡近くのオマーン湾(Gulf of Oman)で二隻のタンカーが何者かによる攻撃を受けた。今のところ、アメリカ、イギリス、サウジアラビアUAEの各政府は「イランの責任」だと明言しており、イラン政府はこれに反対している。

 これに対して、日本は誰が犯人であるか、今のところ態度を明確にしていない。国連のグテーレス事務総長は、「完全に独立した組織が事実関係を調査する必要がある」と述べ、アメリカ、イラン、双方の主張のどちらも信用しないという態度を明らかにしている。ドイツのハイコ・マース外相は14日、米政府の証拠に疑問を呈しており、現在出てきている証拠は十分なものではないと述べている。イギリスの最大野党、労働党のクリス・ウィリアムソン議員は、「ベネズエラの民主的な政権を排除する試みにしろ、イランの政権交代を図る動きにせよ、アメリカはその帝国主義的な国益のために世界を不安定化させており、トランプ政権がその破壊的な計画実現のために利用するウソを受け入れてはならない」と述べている。

 日本のネット上の様々な声においても、「アメリカの主張は簡単には信用できない」という意見が多い。なぜアメリカ政府の公式発表を、世界の様々な人々が信用しないのか。それは、やはりアメリカのこれまでの歴史を見ると、「信用できない」となるのが自然であるからだろう。アメリカ政府が、これまで様々な工作を行うことで戦争に賛同する世論を形成してきたことは、明らかな歴史的事実だからだ。

 もちろん、今回の2隻のタンカー攻撃事件において、イラン政府がウソをついており、アメリカ政府の主張が正しいという可能性もある。どちらがウソなのかは今のところはわからない。しかし、アメリカの歴史において、あまりにも同じパターンが繰り返されているため、世界の人々からは「信用できない」という意見が多数のぼっても、致し方ないと言うしかない。

 

1835年 アラモ砦の戦い(アメリカ・メキシコ戦争

1898年 メーン号爆破事件(アメリカ・スペイン戦争)

1915年 ルシタニア号事件(第一次世界大戦

1941年 真珠湾攻撃第二次世界大戦

1964年 トンキン湾事件ベトナム戦争

1990年 ナイラ証言(湾岸戦争

2003年 国連のパウエル報告(イラク戦争

2013年 シリアの化学兵器使用(米軍のシリア攻撃宣言)

 

 私が今、思い浮かぶだけでもこれだけあるのだから、調べればもっとあるのだろう。アメリカ政府は歴史上、先制攻撃を捏造、あるいは工作してきた。なお、2001年の911事件については、自作自演であることについての調査研究や論説はインターネット上でいくらでも出てくるし、書物も多く出ているので、ここでは割愛させていただく。

 「アラモ砦の戦い」は、1835年、「アラモ砦での戦いを思い出せ」でアメリカ世論を煽り、アメリカがメキシコとの戦争に突入する発端となった事件である。1835年、当時のテキサスはメキシコの領土であったが、アメリカから白人が多数入植してきた。そこに住み着いた白人たちは、後にアメリカ合衆国指導のもとにテキサスの独立運動を起こし、メキシコ政府の軍と戦闘状態になった。当然アメリカは独立軍に対して資金援助してバックアップしたが、多勢に無勢でアメリカの義勇兵はアラモ砦に追い詰められた。

 義勇軍は繰り返し戦況を合衆国軍に伝え援軍を待ったが、合衆国側は無視し、義勇軍は結局全滅した。そしてメキシコ軍がアラモを去った後、惨殺された義勇兵の惨状を国中に広め、「アラモ砦での戦いを思い出せ」を合言葉に世論を煽り、対メキシコ戦争に突入した。これによりアメリカ合衆国はテキサスをはじめ多くの土地をメキシコから奪い取り、その後の大国へとなったのである。

 1898年のメーン号爆破事件は、メーン号というアメリカの戦艦が何者かによって爆破された事件である。当時スペイン領だったキューバに停まっていたメーン号が爆破、沈没され、「メーン号を忘れるな」と新聞を通じて国民感情をあおり、アメリカ政府はスペインとの戦争を正当化して開戦した。しかし、爆破原因については現在においてもわからず、スペインによってなされたという証拠はなく、自作自演説も根強い。

 ルシタニア号事件は、第一次世界大戦中の1915年、アイルランド南岸沖を航行していたイギリス船籍の豪華客船ルシタニア号が、ドイツのUボートの放った魚雷によって沈没、アメリカ人128人を含む1198人が犠牲となった事件である。軍事艦船ではない民間の船を沈没させたドイツ軍に対して、アメリカの世論の怒りは沸騰し、それまで中立であった米国議会でも反ドイツの機運が高まり、アメリカ参戦のきっかけとなった。しかし、その後の海底調査によって、沈没したルシタニア号には国際法違反の大量の武器と火薬が積載されていたことが判明し、当時のドイツ軍の攻撃は軍事物資の輸送船に対する攻撃だと判明した。もちろん、当時のアメリカ政府はこれを知っていたわけだが、国民には知らせなかったわけだ。

 1941年の真珠湾攻撃については、多くの日本人がその内実を知っていることであるから、私が説明する必要もないだろう。1964年のトンキン湾事件については、第十二回のブログで説明したとおりである。1990年のナイラ証言についても、多くの人が知っている有名な事件であるから、私がここで説明する必要はないかもしれないが、一応、簡単に確認しておく。

 イラクに侵攻されたクウェートから命からがら逃げてきた「ナイラ」という15歳の少女が、1990年10月10日、非政府組織トム・ラントス人権委員会においてイラク軍の残虐行為について証言した。その映像はTVニュースを通じて多くのアメリカ人がショックを受けた。「イラク軍兵士がクウェートの病院から保育器に入った新生児を取り出して放置し、死に至らしめた」とナイラは涙ながらに語ったのである。これにより、アメリカ国内の反イラク感情が高まり、イラクへの攻撃を支持する世論が形成されることとなった。

 しかし、後にこの「ナイラ」という少女は戦火の中で被害にあったクウェート人ではなく、クウェート駐米大使の娘であったことがわかった。彼女はイラククウェート侵攻時、大使の娘としてアメリカで生活していたのであるから、戦時下のクウェートの病院でどんなことがあったか知るわけがない。シナリオを書いたのは、アメリカの広告代理店兼PR戦略会社であるヒル・アンド・ノウルトン・ストラテジーズ(Hill+Knowlton Strategies)であることも後にわかった。なお、日本のTVでも頻繁に流された石油まみれになった水鳥は、米軍がイラクの石油精製施設に撃ち込んだミサイルが原因で油まみれになったことも、後に判明する。当時の日本人も含め、世界中の多くの人々が、イラクフセインのせいで環境が破壊され、無辜の水鳥が被害にあったと信じ込んだ。

 2003年の国連のパウエル報告は、イラク化学兵器生物兵器などの大量破壊兵器を密かに開発、所持していることをパウエル国務長官が国連で報告したものであるが、後にほとんどが事実誤認や捏造だったことが判明している。2013年8月のオバマ政権によるシリア攻撃宣言は、シリアのアサド政権が一般市民に対して化学兵器を使用し大量虐殺をしたことを理由とする報復措置宣言であったが、後に国連調査委員会のスイス人、カルラ・デル・ポンテ(Carla Del Ponte 1947年2月9日 - )は、化学兵器を使用したのはシリアの反政府組織だったと述べている。

 このように、これまでアメリカ政府の発表がウソやでっち上げだったことは多くある。戦争の陰には、いつの時代も三位一体の構造がある。政府のウソの発表、それをウソだとわかっていても政府の言いなりになって国民に伝えるメディア、そのメディアを信じてしまう国民という三位一体の構造である。騙す政府と騙される国民は、戦争遂行に必要な構造である。アメリカの場合は、このパターンをおよそ200年やっているから、そろそろ国民の側も気づいてくるころだろう。

 それゆえ、今回のオマーン湾における2隻のタンカー攻撃事件を原因として、中東で大戦争が起こるということは極めて考えにくい。攻撃されたタンカーは日本とノルウェーの会社が運営するものであり、アメリカの船舶が攻撃されたわけではないし、アメリカ人の死者が出たわけでもない。また、アメリカがこれまで先制攻撃を捏造してきた歴史は、このように誰が調べても簡単に見つけることができる事実である。それゆえ、アメリカ政府がいくら「イランの攻撃だ!間違いない!」と吠えたとしても、それをそのまま鵜呑みにする人は、国民の中でも少数派であろう。

 ただ、今回のタンカー攻撃事件が戦争の引金にならないとしても、様々な工作が手を変え品を変え行われれば、中東の緊迫した情勢はさらに緊迫する。タンカー攻撃は明らかにプロの軍人の仕事であるが、それはイランの正規軍でなくとも、イラン内部の反イラン組織にも可能である。戦争を起こしたい人達から資金や武器を援助された勢力が、戦争を引き起こすためにそういった工作をする可能性は今後も当然ある。それに対して、国民がどれだけ政府の発表を疑い、安易に戦争に流れないかどうか。今は、それが問われている状態であろう。