戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第二十回 忠犬は使い終わったら捨てられる

1.田中裁判官の経歴と砂川事件

 Googleの検索ボックスに、「田中裁判官 アメリカの犬」と入れて検索すると、田中耕太郎裁判官(1890年10月25日-1974年3月1日)の情報が出てくる。

 田中氏は、日本の著名な法学者、法哲学者であり、東京帝国大学法学部長、第1次吉田内閣文部大臣、最高裁判所長官国際司法裁判所判事、日本学士院会員、日本法哲学会初代会長という凄い経歴の持ち主である。また、文化勲章、勲一等旭日桐花大綬章を受章しており、大勲位菊花大綬章を没後叙勲、正二位を追贈されている。上智大学初代学長であるヘルマン・ホフマン氏より受洗したキリスト教徒でもある。

 経歴だけ見ると、法曹界のビッグネームというふうにしか見えない。しかし、「アメリカの犬」というワードでGoogle検索にのってしまうのは、砂川事件による。砂川事件については、前回のブログで紹介した矢部宏治さんの本にも書かれているが、東京都砂川町付近にあった在日米軍立川飛行場の拡張を巡る闘争(砂川闘争)における一連の訴訟のことである。

 1957年7月8日、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立入禁止の境界柵を壊し、数メートル立ち入った。これにより、デモ隊のうち7名が、日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約第三条に基く行政協定に違反したということで起訴された。第一審は東京地裁で行われたが、法学史上有名となっている「伊達判決(1959年3月30日)」により、起訴されたデモ隊7名は全員無罪となった。なお、伊達裁判長は、この判決の二年後に退官している。

 「伊達判決」の直後、検察側は最高裁判所へ跳躍上告した。つまり、間にある高等裁判所は飛ばされ、地裁からいきなり最高裁へと場面が転換したのである。最高裁では田中耕太郎裁判長のもとで、「原判決破棄、地裁差し戻し」という判決となり、東京地裁で岸盛一裁判長のもとで判決が下され、デモ隊に対する罰金2000円の有罪が確定した。

 田中裁判長による最高裁判決は、法学史上、最も有名な判例のうちの一つとなり、判決の背景理論である統治行為論も含めて大きな議論となり、日本全国の法学部の学生が必ず知るべき学習素材となった。つまり、日米安保条約のような高度な政治性をもつ条約については、裁判所は違憲かどうかの法的判断を下すことはできないという判決内容に対して、それでは司法権が行政権の下部権力になってしまい、司法権の独立が失われるではないかという反論が起きたのである。

 確かに、高度な政治判断について、司法権違憲判断をできないのなら、行政権に対して司法権は最終的な歯止めの力を失ってしまう。それゆえ、これは三権分立の原則を破壊するものであり、行政権に対する司法権の従属という民主主義の破壊ではないかという批判が起きたのである。

 こうして砂川事件は日本の法制史に残る有名事件となり、その判決を下した田中裁判長は日本の法律関係者なら誰も知らぬ者のいない有名人となった。日本の司法権が行政権に従属した事件として、法曹界、法学界において有名となったのである。以後、この判決は司法試験や公務員試験の法律科目における必須知識となったため、多くの大学生が好むと好まざるにかかわらず、田中裁判長について知らなくてはならないこととなった。

 

2.アメリカ側の暴露によって起きた新たな展開

 しかし判決から50年以上が経過し、砂川事件は当初の見た目とはまったく違う顔を見せるようになった。21世紀初頭に、アメリカ側が機密指定公文書の機密解除をするようになったからだ。つまり、公文書の公開によって、砂川判決に駐日アメリカ大使が絡んでいたことが明らかになった。

 東京地裁の「伊達判決」を受けて、当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を目論んで、藤山外務大臣最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけていた。それと同時に、マッカーサー2世は、田中最高裁長官とホテルで密談していたのだ。田中長官はこの時、最高裁判決が正式に出る前に、最高裁で伊達判決を破棄することをマッカーサー2世に約束していた。これは裁判所法第75条の違反である。

 

裁判所法 第75条(評議の秘密)

第1項 合議体でする裁判の評議は、これを公行しない。但し、司法修習生の傍聴を許すことができる。

第2項 評議は、裁判長が、これを開き、且つこれを整理する。その評議の経過並びに各裁判官の意見及びその多少の数については、この法律に特別の定がない限り、秘密を守らなければならない。

 

 それまで、砂川判決は、統治行為論を背景理論とした司法権の行政権への従属が問題となっていた。司法権の独立および三権分立の破壊が問題となっていたのだ。しかし、機密文書の公開により、問題はそういうことではないことが明らかとなった。つまり、司法権が行政権に従属していたのではなく、司法権や行政権も含めて、日本の三権が丸ごとアメリカに従属していたことが明らかとなったのだ。

 「司法権の行政権に対する従属だ!」とか「司法権の独立の破壊だ!」といった喧々諤々の議論、あるいは「統治行為論の問題」といった法学上の議論は、結局のところ、すべて的を外した頓珍漢な議論に過ぎなかった。実際には、三権分立司法権の独立、統治行為論もへったくれもなく、日本がそもそも独立国ではないという話だったのである。

 普通の事件において、裁判官が裁判所法75条に違反したら、即刻罷免であろう。しかし、アメリカ案件の場合は別である。米軍とは、日本にとって三権(行政、立法、司法)を超越する権力である。超越権からすれば、憲法も法律も民主主義もへったくれもない。日本の主権は、超越権の許す範囲内の権利であるから、田中裁判長の行為は超越権により許されるというわけである。

 

対米従属の正体

https://www.fben.jp/bookcolumn/2012/08/post_3372.html

 

3.忠犬を見捨てるアメリ

 私は田中裁判長を批判したいという気持ちはない。田中氏がもし、あのとき超越権に逆らっていたら、田中氏はクビになるか、地方に飛ばされるか、暗殺されるかの三択しかない。田中氏が飛ばされる、あるいは消されたら、代わりにアメリカの犬になる人物が最高裁のトップとして任命され、同じような判決が下されたことだろう。なお、日本の裁判所が「犬」であることは、現在においてもまったく変わっていないようだ。

 

最高裁は政治権力の“忠犬”」元エリート裁判官が暴く司法の闇

https://diamond.jp/articles/-/118844

 

 「冷たいな」と思うのは、アメリカがこうした情報を21世紀になってから平然と公開したことだ。田中氏とその子孫からすれば、田中氏がアメリカの忠犬として働いたことは地球が滅亡するまで機密事項にしてもらいたかっただろう。しかし情報公開により、田中氏の子孫は売国奴の子孫ということになってしまった。NHKはそれを全国放送して国民にお知らせした。

 

砂川事件 60年後の問いかけ

https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259600/index.html

 

 アメリカは、忠犬田中の名誉を守るために、彼のやったことを隠し通すことはなかった。むしろ、細大漏らさず、公開した。まるで、「あなたの国の司法権のトップは、駐日大使の犬にしか過ぎない」ということを日本人に教育するために公開したかのようだ。

 日本の三権のトップは、行政権では内閣総理大臣立法権では衆議院議長および参議院議長、司法権では最高裁長官である。しかし、これらのトップも、日本国という牧場のトップに過ぎない。羊を管理する牧羊犬である。牧羊犬は羊を管理する権限を持つが、人間ではない。それゆえ、犬がいくら偉かろうが、御主人様であるアメリカからすれば、人間ではない。アメリカ人から見れば、田中裁判長の大きな勲章もドッグメダルにしか見えないだろう。

 忠犬がいくらご主人様に尻尾をふったところで、主人から尊敬のまなざしで見られることはない。それゆえ、使い終わったら、切って、捨てられる。アメリカが田中裁判長の名誉を粉々に破壊したことは、その一例に過ぎない。

 おそらく、郵政民営化によって、日本国民がコツコツ貯めてきた郵便貯金アメリカに丸ごと贈呈した小泉、竹中、安倍の三名も、何十年後には売国奴としてアメリカに情報公開されることだろう。その際、恥をかくのは本人ではなく、その子孫である。郵政民営化の内実については、武田宙大さん(内海学校)による下記動画を参考にしていただきたい。

 

かんぽ生命トラブルの真実

https://www.youtube.com/watch?v=B2cjOzdFaw4