戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第三十九回 奴隷のしつけ方(2)

 1.宗主国の人間が犯罪をした場合

 前回、仮の話として、もし私が友人とタクシーにのり、運賃を払わず、運転手に殴る蹴るの暴行をくわえたらどうなるかというシミュレーションをしてみた。結論としては、犯罪者として私と友人は、刑事上の責任、民事上の責任、社会的責任の三つの責任を負うということであった。これが近代法治国家としての日本におけるルールである。

 では、米兵がこれをやったらどうであろうか。以下はシミュレーションではなく、実際に起きた事件である。

 

米兵タクシー強盗から11年 賠償金日本が肩代わり

https://www.qab.co.jp/news/20190517115131.html

 

 2008年1月7日、午前3時ごろ、沖縄の宇良宗一さんが運転していたタクシーに、二人の米兵が客として乗ってきた。「フレンド…フレンド…」と言って乗ってきた米兵二人は、あきらかに酔っていたようだったが、機嫌は悪くないようであった。もちろん、その時の宇良さんには、自分が30分後にどうなるかはわからなかった。

 30分程度市街を走ったのち、米兵は助手席ダッシュボードにあった地図を見たいと言ってきた。宇良さんが地図に手をのばしたとき、米兵は酒瓶でいきなり宇良さんを殴ってきた。クラクションを鳴らしながら、宇良さんは運転席から外に出たが、米兵は執拗に殴り続け、宇良さんは殴られた衝撃により、その場で歯を10本以上失ったそうである。市街地であったため、人の目をおそれ、犯人二名は逃げた。もし人目につかない場所であったなら、宇良さんは殴られ続け、死んでいただろう。宇良さんは全治一か月の重傷を負い、PTSDのために回復後も仕事につけず、4年後に亡くなった。

 その後、10年経ってアメリカ政府が宇良さんの家族に提示した示談金は、たったの146万円である。米兵はアメリカに帰っており、どこにいるのかもわからない。宇良さんの息子さんの宇良宗之さんは、やりきれない気持ちでいっぱいである。しかし、相手の住所もわからないので、裁判に訴えることもできない。結局、泣き寝入りである。

 

2.ムチを打つカポー

 二人の犯人からは謝罪もなく、賠償もなく、アメリカ政府も宇良宗之さんに146万円の見舞金を払って終わりである。しかし、これでは損賠賠償とは言えない。もし日本人が同じことをやっていたなら、たったの146万円で済むわけがないからだ。それゆえ、米政府が示す額が現実の損害と開きがある場合の制度が存在する。それが、1996年に設けられた「日米特別行動委員会(SACO)見舞金」の制度である。

 那覇地裁が宇良宗之さんに認めた損害賠償額は、2640万円である。これと146万円では、あまりにも差がある。犯人が日本人なら、2460万円をきっちり宇良さんに支払わなければならない。しかし、二名の米兵は一円も支払わず、アメリカ政府も146万円の見舞金以外は、一円も払う気がない。この差を日本政府がうめるという制度が、SACO見舞金の制度である。

 アメリカ人が殴る蹴るの暴行を日本人に対してした場合は、日本政府が日本国民から集めた税金をもとに見舞金を払うという制度である。おそらく、このような制度があるという事実を、日本人のほとんどは知らないであろう。これは対岸の火事ではない。日本人である以上、宇良宗一さんと同じ目にあう可能性は誰にでもある。その場合、慰謝料を払うのはアメリカ人ではなく、日本人である。

 しかも、ムチを打つカポーは、この金額を満額払わない。日本政府が宇良さんに支払うことを約束している金額は1500万円程度であり、那覇地裁の判決金額である2460万円ではない。差額の約900万円は遅延損害金であるから、日本政府は宇良さんに1500万円を支払えば法的に問題はないという考えである。

 日本政府の役人は宇良さんに口頭で謝罪をしているが、宇良さんに遅延損害金を一切払うつもりがない。政府が払う金銭はあくまでもSACO見舞金、つまり「お見舞い」の手渡しであり、損賠賠償の支払ではないからというのが理由である。見舞金と損害賠償では法律的に別物であるため、損賠賠償で生じる遅延損害金は、見舞金においては発生しないという主張である。

 もし遅延損害金が欲しいなら、被害者本人(または被害者遺族)が自分で犯人のアメリカ人をつかまえて、自分の力で取ればいいという話である。しかしこれでは日本政府がアメリカ人の肩代わりをするという制度自体が意味ないではないかという批判も起きている。「自分の力で取ればいい」と言うのなら、最初から肩代わりの制度は要らないからである。しかし、日本政府は「損害賠償と見舞金は違う」と主張し続け、遅延損害金を支払わない。

 結局、宇良さんは犯人が日本人であるならきっちり受け取れるはずであった2460万円を、いまだに手にできずいる。理由は、犯人がアメリカ人であり、日本政府も犯人の味方をするからである。日本人が犯人の場合、日本政府が犯人の味方をすることはないだろうが、犯人が宗主国の人間である場合、カポーたちは宗主国のために一生懸命がんばるのである。

 

3.カポーたちの見事な連係プレー

 宗主国の人間が日本で犯罪をした場合、日本のカポー達の働きぶりは見事なものである。カポー達のそうした見事な連係プレーについて、矢部宏治氏は次のように述べている。

 

日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 矢部宏治 講談社+α文庫 107-108頁

ごく簡単に説明しておきますと、たとえば在日米軍の兵士が重大な犯罪をおかすとします。女性をレイプしたり、車で人をはねたり、ひどい場合には射殺したりする。すると、そのあつかいをめぐって、日本のエリート官僚と在日米軍高官をメンバーとする日米合同委員会で非公開の協議がおこなわれるわけです。

 実際に二一歳の米兵が、四六歳の日本人主婦を基地のなかで遊び半分に射殺した「ジラード事件」(一九五七年/群馬県)では、その日米合同委員会での秘密合意事項として、「〔日本の検察が〕ジラードを殺人罪ではなく、傷害致死罪で起訴すること」「日本側が、日本の訴訟代理人検察庁〕を通じて、日本の裁判所に対し判決を可能なかぎり軽くするように勧告すること」が合意されたことがわかっています。(『秘密のファイル(下)』春名幹男/共同通信社

 つまり、米軍と日本の官僚の代表が非公開で協議し、そこで決定された方針が法務省経由で検察庁に伝えられる。報告を受けた検察庁は、みずからが軽めの求刑をすると同時に、裁判所に対しても軽めの判決をするように働きかける。裁判所はその働きかけどおりに、ありえないほど軽い判決を出すという流れです。

 ジラード事件のケースでいうと、遊び半分で日本人女性を射殺したにもかかわらず、検察は秘密事項にしたがい、ジラードを殺人罪ではなく傷害致死罪で起訴し、「懲役五年」という異常に軽い求刑をしました。それを受けて前橋地方裁判所は、「懲役三年、執行猶予四年」という、さらに異常なほど軽い判決を出す。そして検察が控訴せず、そのまま「執行猶予」が確定。判決の二週間後には、ジラードはアメリカへの帰国が認められました。

 

 日米合同委員会 → 法務省 → 検察庁 → 裁判所 → 外務省という見事な連係プレーである。日米合同委員会で、犯人をアメリカに逃がす決定を下す。その決定に基づいて、法務省が検察に命令し、検察は裁判所に命令し、裁判所は執行猶予付きの判決を出す。その後、犯人が無事にアメリカに帰ることができるように外務省が尽力し、出入国管理局などを調整し、判決の二週間後に犯人がアメリカに帰れるように手配する。極めて見事な仕事ぶりである。

 こうした複雑で難しい仕事を、素早く書類を作成し、各機関で連絡を取り合いながら、ミスなく正確に成し遂げることが、優秀なカポーに求められるタスクである。そのため、各機関には東京大学を卒業した優秀なカポーのメンバーたちが控えている。日本の子どもたちが日々の勉強を頑張り、将来エリートになって、優秀な官僚や裁判官、検察官などになる目的は、こうした優秀なカポーになるためである。

 日本のお母さんたちは、子どもが毎日勉強を頑張り、優秀なカポーになると喜ぶ。郷土の自慢であり、家族の自慢の息子・娘である。しかし、お母さんは気づいていない。自分がちょっと駅まで外出した際、米兵に暴行をされたら、自慢の息子・娘はお母さんではなく米兵の味方になることを。その時になって、やっと気づくかもしれない。自分も子どもも、アメリカの奴隷であったことに。