戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第四十二回 奴隷のしつけ方(5)

 1.内なる「統合性」

 「インテグリティ(integrity)」という言葉は、前回引用した矢部宏治さんの本に書かれているように、「人格上の統合性」や「清廉潔白な人格」といった意味である。しかし、これだけでは抽象的な説明になってしまうために、より具体的なイメージが必要となるだろう。では「インテグリティ(integrity)」という言葉を具体的に理解するためには、どのように考えればよいか。

 大事なことはまず、実際に「インテグリティ(integrity)」のある人、つまり「インテグリティ(integrity)」にみちあふれ、それが浅薄なスローガンで終わらず、行動にあらわれている人をじっくり観察することであろう。すると、次のような事実に気づく。それは、「インテグリティ(integrity)」を自らの身でもってあらわす人物は、「人格上の統合性」や「清廉潔白な人格」という目標のために行動していないということである。

 「人格上の統合性」や「清廉潔白な人格」といった評価は、「インテグリティ(integrity)」のある人に対して、外からつけられる評価である。つまり、他人の評価に過ぎない。本人はそんなもののために生きているわけではない。聖人が他人から「聖人」と言われるために行動するなら、その人はその時点で聖人ではない。「人格上の統合性」や「清廉潔白な人格」といったものも同様である。

 つまり、本当に「インテグリティ(integrity)」のある人間からすれば、他人からどう評価されるかという問題は、どうでもいいことである。本人を衝き動かすものは、内的な「統合性」の力であって、他者からの評価ではない。「インテグリティ(integrity)」のある人間は、内なる「統合性」の力をエンジンとして動いているのである。

 これは世間一般で言うところの「総合」とは全く違うものなので、注意を要する。「統合性」と「総合的知性」とは全く違うものであるが、これについては具体例を挙げて説明する必要があるだろう。

 

2.二兎を追って墓穴を掘る

 「総合」と「統合」は一見似たような言葉であるが、まったく違うものである。特に、「総合的な知性」は、「インテグリティ(integrity)」から最も遠いものである。それゆえ、「インテグリティ(integrity)」から程遠い「総合的知性」の具体例を見ることは、「インテグリティ(integrity)」の理解を深めるためにも役に立つであろう。

 例として、ここでは太平洋戦争のはじめの半年間における政府の判断を取り上げてみたい。1941年12月8日の真珠湾奇襲によって、日米戦争がはじまったが、日本軍はアメリカという大国に対して、開戦から半年間は非常に有利に戦争をすすめていた。当時の連戦連勝の新聞報道は、嘘ではなかった。しかし、この有利な状況下で政府が下した「総合的な判断」が、後の惨敗を招くことになる。

 当初は有利な状況で戦争を進めていた日本であったが、海軍と陸軍の思惑はまったく異なるものであった。海軍は有利な戦況下での拡大路線を望み、セイロン、オーストラリア、ハワイを占領し、その三角形を拠点として、対米講和を有利な状況下で持ち込もうと考えていた。しかし、陸軍は泥沼の日中戦争の最中にあったから、そのような拡大路線の余裕はないと考えていた。

 海軍は、アメリカに三角形の拠点をつくられることを恐れていた。セイロン、オーストラリア、ハワイの三角形に拠点をつくられ、当時劣勢だった米軍が、その三点から同時に日本に対して猛反撃に出ることを恐れたのだ。ならば、米軍がその三角形をおさえる前に、日本軍がその三点を占拠すべきだと海軍は主張した。

 他方、陸軍には大陸という重荷があった。局地戦では勝利するが、それは点の勝利に過ぎず、線や面へとつながらない。日中戦争終結は、全く目途が立たないものであった。先の見えない大陸戦を続けながら、現状有利とはいえ、アメリカという大国とも戦わなくてはならない。このような状況下では、陸軍からすれば、拡大など選択肢にない。現在占領している領地から資源をかき集め、とにかく防衛に徹すべきだというのが、陸軍の主張であった。

 結局、攻めに出るという海軍の主張と、守りに徹するという陸軍の主張は正反対のものであり、両者の妥協点はあるはずもなかった。しかし、この両方を実行する余裕は日本にはなかった。アメリカよりも遥かに乏しい国力で二兎を追うことになれば、短期的、局地的な勝利を積み重ねても、長い目で見れば惨敗は見えている。

 そこで1942年2月28日、陸海軍中枢の課長10人が赤坂の山王ホテルに集まり、会議をした。海軍と陸軍の正反対の思惑は、なんとしてでも一本化しなければならない。一本化しなければアメリカに負ける。このことは当時のエリートたちは皆わかっていた。しかし、軍事作戦の中核となる大綱の第一項の文言をどうするかの段階で、両軍は明確に対立した。

 海軍が考えた文言は、「既得の戦果を拡張し、英米の屈服を図る」という拡大路線であり、陸軍が提示した文言は「既得の戦果を確保し、長期不敗体制を確立する」という正反対のものであった。そこで、東条英機の側近として知られた佐藤賢了陸軍省軍務課長は、「既得の戦果を確保し、長期不敗体制を確立、機を見て積極的方策を講ず」という海軍に対して妥協的な文言を提案した。

 しかし、これにも海軍は満足せず、文言はさらに妥協的なものとなった。結局、1942年3月4日に完成した「今後採ルヘキ戦争指導ノ大綱」においては、「既得の戦果を拡充し、長期不敗体制を整えつつ、機を見て積極的方策を講ず」という文言に書き換えられた。佐藤案の「既得の戦果を確保し」の部分は、より海軍におもねった「拡充」に書き換えられ、海軍の拡大を許すような文言となった。また佐藤案の「長期不敗体制を確立」はより曖昧な「整えつつ」に書き換えられ、陸軍の持久策と海軍の積極策が同時に成り立つような表現となった。

 つまりこれは両論併記であり、一本化は断念されたということである。海軍の拡大路線を黙認しながら、同時に陸軍の防衛路線を行うということになった。当時の日本のトップエリートたちが集まってつくったこの意味不明な大綱は、1942年3月7日、大本営連絡会議において紛糾の議論の末に承認され、天皇に提出された。つまり海軍は海軍で、陸軍は陸軍で、お互い好き勝手にやるという方針が確定してしまったのだ。

 これは敵として戦っているアメリカ側からすると、大変に嬉しい戦争計画であった。国家の戦争計画の大綱が、このような内容空疎な「総合」で終わっているということは、アメリカからすれば勝ったも同然である。これはアメリカが日本の上層部にスパイを送り込んで政治工作をしたことでつくられた大綱ではない。日本人が自分の手でつくった大綱であり、こうして日本は墓穴を掘ったのだ。

 

3.捨てることが拾うこと

 「インテグリティ(integrity)」、すなわち「統合」というものは、AとBの相対立するものを混ぜ合わせて混濁することでもなければ、折衷して適当にお茶を濁すことでもない。それは簡単に言えば、「捨てる」ことである。もし、当時の日本が拡大か防衛かのどちらかで一本化し、片方を潔く捨てたのなら、アメリカとしては相当に手強い相手と戦わざるを得ず、苦戦していたことであろう。

 半年間の有利な状況の後、日本軍の分裂は最後まで続き、階段を転げ落ちるように完敗へと向かっていった。その端緒となったものが、米軍に対して有利な状況下で下されたこの大綱であった。ここから興味深いことが明らかになる。それは、日本にも「インテグリティ(integrity)」を示す言葉があるということだ。つまり、「二兎を追う者は一兎をも得ず」という日本人の誰もが知っている言葉である。

 一兎を得ることは、もう片方の一兎を捨てることである。そうして一兎に全てを賭けることによって、成果を得る。「統合」とは、あれもこれもと「総合的」に成果を追い求めることではなく、一つの目標のためにあらゆる手段を集約することである。つまり、余計なものは潔く捨て、一つのことに集中し、その結果としての責任を自分で取るということである。

 結局、当時の日本のトップエリートたちは、海軍と陸軍のどちらからも責められないようにするために「総合的」な文面の大綱をつくった。これは大綱とはいっても、何の方針も決めていないというものであり、大綱なき大綱であった。当時、陸軍省軍務課長であった佐藤賢了は、この大綱について「趣旨不明確、根本的調整なし」と述べている。つまり、つくった本人であるトップエリートからしても、この大綱が何を言っているのかよくわからないのである。

 現在でも東大話法と言われるとおり、この「趣旨不明確、根本的調整なし」の文言は霞ケ関で大量に生産されている。このような知性、つまり様々な立場の主張を盛り込んで、総合的な文章をつくりあげるという知性は、「インテグリティ(統合)」とは最も遠いものである。受験エリートの秀才が、「インテグリティ(統合)」を持つとは限らない。

 何を潔く捨てるのかを明確にし、そうやって捨てたことの不利益は潔く責任をとる。そうやって責任の所在を明確にすることで、大きなものを得ることになる。これが「インテグリティ(統合)」としての知性であるが、当然そこには反対勢力からの恨みや攻撃も存在する。そういったものも事前に覚悟し、全ての責任を取る意志によって、何かを得ることができる。

 逆に、対立を避けるためにあらゆる立場を折衷し、総合的に判断する結果、自分でも何を言っているのか、何をやっているのかわからなくなることは、「インテグリティ(統合)」から最も程遠い生き方である。これは戦前の日本のみならず、戦後の日本でも同じである。アメリカの要求、国内の要求、様々な立場を総合的に判断し、どことも喧嘩しないでうまくやるという生き方は、最終的には破綻する。あれもこれも拾って両手にかかえこむというやり方は、最後には抱えきれずに全てを落としてしまうのである。