戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第四十四回 ソレイマニ殺害、その意味

0.年明け早々の大ニュース

 前回までは、人間がどのような心理的なプロセスを経て奴隷になっていくか、その問題について考えてきた。今回もその続きについて考察していく予定であったが、2020年の年頭に世界を驚かせる大ニュースが飛び込んできたので、予定を変更して、今回はそれについて述べていきたい。

 

1.司令官を殺したのはトランプか

 ガーセム・ソレイマニ(Qasem Soleimani 1957年3月11日- 2020年1月3日)は、イランの軍人であり、革命防衛隊の少将である。2020年1月3日、米軍による軍事用ドローンの攻撃を受け、ソレイマニ少将を含むイランの革命防衛隊関係者8名が死亡した(バグダード国際空港攻撃事件)。

 この件については世界中のメディアが大ニュースとして報じているし、日本においても大手メディアにより報道されている。しかし、多くの日本人は、いつもの不安定な中東情勢のニュースの一つに過ぎないと考え、それほど深刻には思わないかもしれない。しかし、事態は深刻なものである。

 というのも、ソレイマニ殺害は、対イラン強硬派のアメリカ人からすれば悲願であったが、実行するにはあまりにも危険性が高いため、ブッシュ政権においても、オバマ政権においても、プランはあっても実行には移されなかったからだ。トランプ政権における驚きの政策については、第九回ブログで取り上げたが、それに続く驚きの事件が起きたわけである。

 エルサレムに対する首都の認定やイラン核合意離脱もそうであるが、トランプ政権はそれまでのアメリカ政府が決して実行しなかったことを、いとも簡単に実行してしまう。まるで、その危険性についてトランプが何も知らないかのようである。このような大胆に見える彼の行動が、「トランプは何をするかわからない」というエキセントリックな印象となって、世界に広まっている。しかし、それは単なる「印象操作」ではなかろうか。

 というのも、トランプの後ろにはヘンリー・キッシンジャー(1923-)がいるからだ。つまり、トランプが自分の思いつきで、好き勝手に政策を実行できるわけがない。キッシンジャーは、このブログの読者はよくご存知のように、もともとはユダヤ系のドイツ人であり、ロックフェラー家の番頭であり、CFR(Council on Foreign Relations外交問題評議会)の幹部である。つまり、トランプのような単なる「米国大統領」とはポジションが異なる。

 キッシンジャークラスの大物からすれば、アメリカの大統領という役職は手下にすぎない。そういった力関係から考えると、トランプが好き勝手に軍事作戦を実行し、イランのソレイマニという重要人物を殺したというストーリーは、あまりにも荒唐無稽である。つまり、トランプは「上」からの命令で作戦を実行したのだと考える方が論理的である。

 今回の事件は、世界のシーア派イスラム教徒の怒りを焚きつけるために行われたのではないか。おそらく、ブッシュ政権オバマ政権においては「まだ早い」ということでGOサインが出なかったのであろうが、トランプ政権ではついにGOサインが出たのであろう。つまり、中東の火種、混乱を本格化させるというシナリオである。

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D.Trunp, H.Kissinger and M.Trunp, 2007

2.日本とはまったく異なる軍隊組織

 日本人からすれば、ソレイマニ将軍は国際的に重要な人物には見えない。おそらく、今回の死亡によってはじめてその名前を知ったという日本人がほとんどであろう。しかし、ソレイマニの中東における影響力は非常に大きなものがある。それゆえ、日本では大したニュースでなくても、欧米では大ニュースとなっているのだ。

 日本人にとって分かりにくいのが、イランなどのイスラム軍事組織の構造である。日本人にとっての軍事的な常識と、それは非常に異なる。日本人にとって、軍隊とは国が持っているものであり、例えば日本の自衛隊には日本人しかいない。しかし、イランという宗教国家においては、イラン国外のシーア派軍事組織も、ある種、イラン軍のようなものなのであり、イラン人以外のイラン軍が存在するのだ。

 つまり、イラン軍は複数の国にまたがって存在する。そして、ある意味そうした国外の軍隊が、イランという国の防衛戦略にとっての中核である。例えば、ヒズボラ(Hizballah)という組織があるが、これはアラビア語では「神の党」という意味である。つまり、政党である。しかし、日本人にとってはわかりにくいかもしれないが、政党というものは、あちらでは武装しているのが当たり前である。

 日本では自民党共産党立憲民主党武装しているというのは考えられない。しかし、もともと政治組織と軍事力は一心同体のものであり、日本でも江戸幕府という政府は、徳川軍という軍事組織兼政治団体によって運営された。現在でも、例えば中国共産党は党の軍隊を持っており、それが人民解放軍である。勘違いされやすいが、あれは中国という国家の軍隊ではなく、党の軍隊である。ナチスの軍隊も同様である。

 イランの場合には、陸海空のイランの国軍が存在するが、革命防衛隊というそれとは別の組織が存在する。これはアーヤトッラールーホッラー・ホメイニー(Āyatollāh Rūhollāh Khomeinī 1902年9月24日-1989年6月3日)が1979年に創設した組織であり、軍隊のみならず多数の系列企業(建設業、不動産業や石油業など)を持つ一大勢力である。

 この革命防衛隊は約12万人の組織であるが、陸海空の軍隊以外に、「コッズ部隊(Quds Force ゴドス部隊、クドス部隊、クッズ部隊)」と呼ばれる特殊部隊や、バスィージ(Basij)と呼ばれる民兵組織がある。バスィージには婦人部もあり、彼女たちは軍事活動の他に啓蒙、出版、慈善活動などに携わっている。この民兵組織には、普段は会社などで働く一般市民も含まれているため、戦時には約100万の動員力を持つと言われている。つまり、革命防衛隊は平時には12万の組織とみなされているが、戦時にはその規模が10倍になりえるのである。

 この革命防衛隊における英雄が、ソレイマニ将軍であった。そのため、彼の死はイランのみならず、周辺諸国に住むシーア派の人々の怒りを煽るものである。また、その殺し方も反感を煽るものであった。米軍がソレイマニ暗殺のために用いたドローンはMQ-9 リーパー(Reaper)であり、訳せば「死神」である。ドローンと聞くと、多くの日本人はおもちゃの飛行機を思い浮かべるかもしれないが、軍事用のドローンは全長8メートルの巨大なものであり、その姿も異様である。

 

イランが撃墜した米軍の無人機、その「空飛ぶ監視塔」の恐るべき能力

https://wired.jp/2019/06/24/iran-global-hawk-drone-surveillance/

 

 人間が自らの危険をおかして戦いに挑むという騎士道精神による戦争は、昔のものとなりつつある。現在は、遠隔操作によって安全な部屋で殺人が行われる。狙撃手はサラリーマンのように殺人部屋に通勤し、任務を遂行し、帰りはスーパーでお惣菜を買って、家族で夕食をとる。この異様な戦争は、狙撃手の精神を蝕み、殺された側の人々の怒りを焚きつけるものである。

 

軍用ドローン操縦者、ボーナス1500万円でニンジン… パイロット精神蝕む2つの問題

https://www.sankei.com/west/news/160119/wst1601190007-n1.html

 

3.国民的英雄を失う

 革命防衛隊は、このようにイラン国内において、軍事のみならず宗教や生活においても重要な組織である。それは、軍事のみならず多数の系列企業を持っており、婦人会も含んでいる。また、ホメイニーがつくった組織であるという宗教的な威光もある。現在はハメネイ最高指導者が革命防衛隊の最高司令官である。つまり、単なる軍隊ではなく会社でもあり、生活の足場でもあり、宗教の中枢でもある。

 その中でも、コッズ部隊(Quds Force)は人々の尊敬を集める部隊である。なぜなら、コッズ部隊は外国におけるイラン軍の実質的な最高責任者であるからである。この外国軍隊が、イランの国防における生命線である。というのも、イラン国軍だけでは人口8000万の国土を守る能力しかない。イランが国内に閉じこもって防衛に徹しても、巨大な軍事力を持つアメリカや、核兵器を持つイスラエルからすれば恐れるに足りない。

 しかしイランには、レバノンヒズボラ(Hizballah)、パレスチナハマスHamas)、イラクの多数のシーア派組織、イエメンのフーシ(Houthis)といった政党(つまり武装勢力)が存在し、彼らと協力しながら挟み撃ち作戦を行えば、かなり大きな軍事力となる。

 例えば、イラン単独ならイスラエルからすればまったく恐くない。イスラエルから200発の核ミサイルをイランに撃ち込めば、イランは一瞬にして壊滅する。しかし、イスラエルがイランに一発でも核ミサイルを撃ち込めば、レバノンヒズボライスラエルになだれ込んでくる。そうなったら、イスラエルの北部都市はヒズボラの持つ通常兵器で大打撃を受ける。サウジアラビアはイランとイエメンのフーシにより挟み撃ちにあう。アメリカが自らの拠点であるイラクからイランに攻め込んでくる場合には、イラク国内のシーア派の人たちが一斉に蜂起する。つまり、イランにとって国外の味方は国防の生命線なのである。

 こうした国外の味方に対して軍事訓練、指導、資金援助を請け負った集団がコッズ部隊であり、その責任者がソレイマニ少将であった。つまり、イランからすれば、国防の要であり、国民的英雄がドローンで殺されたということになる。最高指導者のハメネイは、3日間の国家的服喪とともに報復を宣言し、ザリフ外相は、「アメリカの国際テロ行為は非常に危険でばかげたものだ」とツイッター上で非難した。ヒズボラ(Hizballah)は、ソレイマニ将軍殺害の責任に対する処罰は、世界中のすべてのレジスタンスの任務であると声明を発表した。

 つまり、ソレイマニ殺害は単に一人の軍人が殺されたという意味にとどまるものではない。それはシーア派の要となる人物を失ったという悲しみであり、シーア派全体の怒りに発展しかねない事件なのである。

 

ソレイマニ司令官殺害と米イラン関係の行方

https://globe.asahi.com/article/13010300