戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第五十八回 新型コロナウイルスについて報道しない自由(1)

0.予定変更

 前回までイランの近現代史を見ることで、イランとアメリカの対立の原因について考えてきた。今回もその続編を書く予定であったが、予定を変更し、今回と次回の二回にわたり、コロナウイルスについての法改正およびその報道について述べていきたい。

 

1.「小鳥の囁き」と「報道しない自由」

 現在、日本政府は新型コロナウイルスについて緊急事態宣言を発令中である(2020年4月7日発令)。実はこの国ではもう一つ緊急事態宣言が発令されている。それが2011年に出された原子力緊急事態宣言である。これは現在も解除されていない。つまり継続中なのだが、それについて知っている国民はほとんどいない。現在、この国は放射能コロナウイルス、二つについて緊急事態なのである。

 

原子力緊急事態宣言下の人権と健康被害|季論21

http://www.kiron21.org/pickup.php?31

 

 政府が緊急事態を宣言すると、平時では不可能な人権制限が可能となる。緊急事態なのだから仕方がないということである。例えば、平時の規制なら1ミリシーベルト以下とされていた放射線量が、緊急事態宣言以後、20ミリシーベルトまで許容されている。また、1キロあたり100ベクレルを超える土壌は再利用が禁じられていたが、宣言以後8000ベクレルまで許容されている。

 詳しくは第三十四回ブログを参照していただきたいが、放射能が危険なこと以上に、国民の勘違いが危険である。というのも、緊急事態を緊急事態だとわかっていないと、危険なものを安全だと勘違いすることになりかねないからだ。

 例えば園芸用の土をホームセンターで購入し、自宅の庭に撒き、野菜をつくって食べたとする。平時ならその土はキロあたり100ベクレル以下である。しかし緊急事態下では8000ベクレルの可能性がある。子どもが公園の砂場で遊んだら、その砂は8000ベクレルかもしれない。平時では全く問題のない土や砂が、緊急事態下では危険物になりかねない。

 平時では何の問題もなかったエレベーターのボタンが、コロナウイルスの蔓延によって危険物となる。それと同じように、平時では何の問題もなかった土が、空気が、水が、食べ物が、原子力緊急事態宣言下では思いもよらずに危険物となる。これが「緊急事態」ということの意味である。

 この結果、被害がどう具体化するかはわからない。わかるのは、結果がどうあれ、その責任は国民が負うということである。つまり、緊急事態下で8000ベクレルの土をいじって健康被害が起きても、政府は責任を取らない。それは、コロナウイルスについて緊急事態が宣言されている中で「3密」のライブハウスに行ってウイルスに感染するのと同様、自業自得となる。

 

2016.4.13復興特別委員会「汚染廃棄物、うすめて広くバラマキます」

https://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/5801

 

 中国や北朝鮮などのような共産主義国家の場合、国家が国民の健康について責任を負うということはない。土に危険物が混じっていても、国家はそれを国民に知らせない。また、国民に健康被害が出た場合も責任を持たない。では、民主主義国家である日本の場合、国は国民の健康に責任を持ってくれるのか。

 ある意味、答えはYESである。例えば、情報の公開という意味では、日本政府は国民に責任を果たしている。日本のような民主主義国家は、共産主義国家と違い、土壌に8000ベクレルの放射性物質が混じっているのなら、それをきちんと公表する。また、それは平時と違い、緊急事態におけるやむを得ない措置なのだということも公表する。そこに共産主義国家のような秘密や隠蔽はない。

 しかし、ある意味答えはNOでもある。そうした政府発表は小鳥の囁きよりも小さく、マスコミもそれを報じないからだ。こうして民主主義国家の「発表」は、結果として共産主義国家における「隠蔽」と同じ効力となる。つまり、それは発表と気づかれない発表であり、発表なき発表である。

 民主主義政府による「小鳥の囁き」と、大手メディアによる「報道しない自由」(第十八回ブログ参照)は、二つでセットである。これにより民主主義国家の国民は、共産主義国家の国民と同じように、現在自分が置かれている緊急事態を平時だと勘違いする。

 共産主義国家なら、国民は政府を恨むことができるだろう。政府が事実を発表しない。あるいは事実を捻じ曲げて発表する。国民に知る権利がない。国民は「民主化」の革命に希望を託すようになる。しかし民主主義国家においては、国民がそのような希望を持つことができない。国民には知る権利がある。憲法でも保障されている。政府は事実を発表する。しかし、マスコミがそれを報じるかどうかは私企業であるメディア会社の自由である。

 こうして「小鳥の囁き」は「報道しない自由」と共犯で国民を欺く。国としては自らに落ち度はないと言うだろう。その発表が「囁き」よりも小さかろうが、「発表」という責務を果たしたのだから責任はないと。マスコミも自らに落ち度はないと言うだろう。マスコミ各社は私企業であり、何を報じて何を報じないかは会社の自由なのだからと。

 かくして、そのツケはすべて国民にまわってくる。国民はそれを国やマスコミのせいにはできない。革命で打ち倒すべき敵は存在しない。自由と民主主義の中で、国民は真相を知らぬままに死んでいく。「知らぬが仏」という意味では、民主主義も共産主義も同じだということになる。

 

2.民主主義国家は事実で騙す

 民主主義国家においては憲法上「知る権利」が保障されているため、共産主義国家や独裁国家と違い、真実が隠蔽されず、国民に正しい情報が届くように見える。しかしそれは「見える」だけであって、民主主義国家であろうが独裁国家であろうが、政府が隠したいことを好きなように隠すことができるという事実は変わらない。

 独裁国家共産主義国家は、事実の隠蔽のために強権を用いる。つまり、国民の知る権利を国家権力が制限する。他方、民主主義国家の場合には憲法によって強権に歯止めがかけられている。そのため、民主主義国家は「小鳥の囁き」と「報道しない自由」という代替兵器を駆使する。これにより民主主義国家は、独裁国家共産主義国家に劣らない、あるいはそれ以上の隠蔽力を持つことになる。

 「それ以上」と言うのは、民主主義国家には「事実で騙す」という強力な武器があるためである。独裁国家共産主義国家には、そのような高度な武器を持てない。なぜなら、強権的な国家には報道の自由がなく、国民が報道に対して懐疑的であるために、事実に対する信頼性がないからである。例えば、中国政府が発表するコロナウイルスの死者数を、まともに信じる日本人はほとんどいないだろうが、中国人も信じない。

 他方、民主主義国家においては報道の自由があるために、事実に対する信頼性が高い。高度に発達した民主的な情報社会においては、強権国家のような子ども騙しの嘘はまったく通用しない。政府発表にしてもマスコミ発表にしても、事実の歪曲はすぐにバレてしまう。そのため、政府が事実を隠したい場合は、嘘で国民を騙すことはせず、事実で騙すのだ。

 例えば、加計学園獣医学部が新設されたという問題があり、NHKは以下のように報じている。

 

加計学園 獣医学部新設問題

https://www3.nhk.or.jp/news/special/jyuui_gakubu_shinsetsu/

 

 ここで政府が隠したい事実は、生物兵器の開発であるが(第二十九回ブログ参照)、共犯者としてのマスコミはそれを報じず、どうでもいい問題で騒ぐ。例えば、総理のお友達が優遇され、文科省がそれを忖度し、通常なら認可を与えないはずの獣医学部新設を認めたという話である。確かに、官僚の忖度や官邸の圧力というトピックも嘘ではないだろう。しかし、政府が本当に隠したい事実はそちらではなく、バイオ兵器の問題である。

 

石破茂氏の発言で懸念広がる加計学園の「バイオハザード問題」

https://nikkan-spa.jp/1372508

 

加計学園問題と新たな軍学共同

https://www.huffingtonpost.jp/ikeuchi-satoru/kakegakuen-biochemical-weapons_a_23249748/

 

 ここで便宜的に、政府が隠したい事実をAとし、大手マスコミが声高に報道する事実をBとしよう。共産主義国家においては政府とメディアが上下関係として一心同体であるが、民主主義国家においては政府とメディアは並列的に一心同体である。つまり、政府のパートナーであり共犯者であるメディアは、共犯によって既得権益を維持する(第十七回ブログ参照)。

 政府がAを隠したい場合、メディアがそれに協力することで貸しをつくる。政府は借りを返すために、大手メディアにだけ情報を提供する。こうして、大手メディアに政府関係の情報が集中し、既得権益が構成される。メディアは出してもいい情報だけを出し、売上をたてながらAを隠す。そして、国民の目をAからそらすために、あえてBを声高にまくし立て、国民感情を扇動する。

 こうして国民の目がBに集中することで、肝心のAは隠される。例えば国民は報道により加計学園というそれまで聞いたことがない学校について詳しくなるが、肝心なことはほとんど知らないということになる。自分が払った税金の一部が、米軍と共同のバイオ兵器の開発費に使われることを知らない。これが「印象操作」である。

 Bについて詳しくなればなるほど、反比例としてAについて盲目になる。こうして国民は、総理がお友達を優遇したとか、一緒に桜を見たといった問題で怒るようになる。しかし、本当の問題はそんなことではない。国民の税金によって開発されたウイルス兵器が、アメリカの敵国でばら撒かれたら、日本国民も共犯者である。「知らなかった」という言い訳は、被害者には通じないだろう。

 

3.小鳥の囁きは難解である

 この国の報道機関は原子力緊急事態宣言について報道せず、コロナウイルスの緊急事態宣言については声高に報道する。つまり、事実Aが原子力緊急事態宣言であり、コロナについての緊急事態宣言は事実Bである。政府およびそれに付随する特権階級からすれば、一般国民はコロナについて詳しくなっても、放射能については知らなくてよいのだ。

 大手マスコミが連日のようにコロナウイルスの緊急事態宣言を声高に報道するということは、それについては国民に知ってもらいたいということである。そうやって毎日勉強して、人に迷惑をかけない国民になってほしいということである。もちろん、これ自体が悪いことではない。我々がコロナウィルスについての緊急事態について知ることは確かに必要である。

 

NHK 「緊急事態宣言」で暮らしはどうなる

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/tokyo/emergency.html

 

 しかし、大手マスコミが熱心に事実Bについて国民に説明するということは、その裏に事実Aがあるということである。ではコロナウイルスについての事実Aとは何か。この点、ジャーナリストの神保哲生さんは「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」および「新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令の一部を改正する政令」が問題であると説明している。

 

政府が密かに手に入れていたロックダウン権限を検証する

https://www.youtube.com/watch?v=7q4ZldlXy0E

 

 当然、この法律および政令については新聞もテレビも、大手は絶対に報じない。また「小鳥の囁き」は小さな声で囁かれるだけでなく、一般国民にとっては非常に難解な言葉で囁かれる。例えば、以下のページを見ただけでは、コロナウイルスについて政府が一体何を考えているのか、普通はよくわからないだろう。

 

感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律

https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=410AC0000000114

 

新型コロナウイルス感染症を指定感染症として定める等の政令の一部を改正する政令(令和2年3月26日 政令第60号)

https://shop.gyosei.jp/online/archives/cat01/0000015983

 

特別号外 - インターネット版官報

https://kanpou.npb.go.jp/20200326/20200326t00033/20200326t000330001f.html

 

 東京新聞は以下のように報じているが、これだけでは政令の問題点がまったくわからない。

 

感染恐れ建物立ち入り制限可能に 政令改正、病原体も分類

https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020032601001935.html

 

 政府によって難しい言葉で発表され、かつマスコミはそれを噛み砕いて説明しないということは、この法律および政令については事実Aであるから一般国民は知らなくて結構ということである。そうした政府の意向に逆らい、あえて事実Aについて知りたいという方は、上記神保さんの動画を見ていただきたい。また、この動画の内容についての私の考察は、次回に述べたいと思う。