戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第六十一回 イランとアメリカ、なぜ対立するのか ~その歴史的関係性(12)

 

1.日本とイランの違い

 「日本はアメリカの植民地だ」と言うセリフはよく聞く。日常会話でも時おり耳にするし、属国日本論についての書籍は大きな図書館に行けば必ず見つかる。街角にはある政党のポスターが貼られており、「アメリカの言いなりやめよう」と書かれている。つまり、日本がアメリカの植民地であるという事実は広く認知されていることなのである。

 これについて「けしからん」と怒る人もいれば、「しょうがない」と諦める人もいる。私はそのどちらでもなく、「なぜだろう」と思っている。アメリカがいくら強大だと言っても、ベトナム戦争では負けており、イラクにおける米軍統治は失敗続きである。アフガニスタンでもうまくいっていない。そう考えると、アメリカが理想的な支配を実現できている国は、日本くらいなのかもしれない。

 私がアメリカとイランとの関係について長々と考えているのも、そのことが絡んでいる。つまり、アメリカとイランとの関係を見ることで、日米関係も見えてくるのではないかという思惑がある。植民地支配は宗主国の力だけで成立するものではない。宗主国と植民地、二つの力の合作によって統治は成立する。

 かつてのイランもアメリカの植民地だった。しかし、イランと日本とでは違いがある。イランの基幹産業は石油であり、それが欧米の石油メジャーに握られていた。そのことは、子どもが見てもわかるほどに明らかな事実であった。また、パフラヴィー王がスイス育ちのエリートで、CIA長官と御学友だったことも明らかであった。つまり、王がアメリカと一心同体なことは国民から見ても明白だった。

 日本の場合はイランのようなわかりやすい資源がなく、アメリカと一心同体の独裁者もいない。つまり日本とイランの違いの一つは、この「わかりやすさ」であろう。現在の日本も当時のパフラヴィー朝も、ボスはアメリカ、政府はカポーということで共通している。しかし片方の支配は見てすぐわかる支配であるが、もう片方はわかりにくく、複雑である。

 日本国民は自民党を知らない。自民党を好きな人も嫌いな人もいるだろう。しかし、両者とも自民党がCIAの資金提供その他尽力でつくられた政党であることを知らない。マスコミは知っても報道しない。日米首脳会談は二つの独立国の首脳による会談ではなく、本店の部長と地方の支店長の会議にしか過ぎないのだが、マスコミはいかにも二つの独立国が会談をしているように報道する。

 例えば泥棒が強盗をして金庫を盗んだら、それはわかりやすい泥棒である。しかし、知らぬ間に郵便局と保険契約が結ばれ、毎月自動引落が行われていたらどうだろう。同じ泥棒でも、そちらはサイレント泥棒である。死ぬまで気づかずに郵便局から自動引落されている老人はかなり多い。

 

かんぽ生命、不適切な販売 顧客不利な契約に乗り換え

https://www.asahi.com/articles/ASM6R46MSM6RULFA001.html

 

 日本には石油のようなわかりやすい資源がない。代替として、日本人は自分の体や人生を宗主国に提供する。日本人が癌になるために食べる食品は宗主国の企業家を富ませるし、それを治療すための医薬品も彼らを富ませる。癌保険は彼らを富ませる。日本人は貯金をして彼らを富ませ、納税したら政府はアメリカ国債や株を買う。詳しくは第三十六回ブログを見ていただきたい。

 イランに対する支配は、パフラヴィーという王様を通しての石油支配であり、その意味では単純だった。他方、日本の場合には一本化できる年貢がないゆえに、項目は多岐に渡る。貯金、保険、税金、食品、医薬品、廃棄物、電気、水道・・・

 例えば、外国の汚染土を日本にばら撒いていいという仕組みも、年貢の納め方の一方法である(第三十四回ブログ参照)。将来的には蛇口をひねって水を出すだけで年貢を納めることとなる。その水を飲んで病気になり、薬を飲んだら、それも年貢となるし、病気に備えて保険に入ることも年貢となる。癌になって入院し、薬漬けになって死ぬことも年貢である。つまり、誕生から棺桶まで年貢である。

 このような複雑怪奇な植民地搾取となると、その全貌を描くことは極めて困難だ。このブログが長々と述べてきたことも氷山の一角に過ぎない。スポンサーや時間の制限がない個人のブログでさえ、その全貌を描くことが困難なのだから、新聞やテレビといった大手メディアが国民に伝えるとなると、ほぼ不可能となる。

 日常のニュースは、簡潔でわかりやすく、生活に直結するものが求められる。会社に行く前に見るニュースが複雑でわかりにくいものなら意味がない。ということで、大手メディアの報道は必然的に表面的事実を列挙したものとなり、深く抉った真相からは程遠いものとなる。こうして、複雑な植民地支配のシステムは国民のほとんどに伝わらず、「知らぬが仏」の状態となる。

 

2.完成された国体のシステム

 新聞やテレビといった「事実の切り取り」によるパッチワークが、日米関係の真相を伝えるのは条件的・構造的に不可能である。情報統制の圧力以前に、限られた時間で簡潔にこの複雑な内情を伝えることが不可能だからだ。それゆえ大手メディアに頼る人は事実の表面で満足する他はなく、満足できない人は新聞・テレビのレベルを越えて、書籍やインターネットの領域に自ら歩みを進める必要がある。

 こうして日米関係は日本人の生活の根幹でありながら、国民の多数派は「知らぬが仏」の状態になり、日本人でありながら日本の状況を知らないという日本国民が増産される。政治家や官僚も同様であり、CSISについてほとんど知らないという国会議員や官僚もいる。もちろん、下山事件について知っている日本人は少数派であろう。

 

日本が永遠にアメリカの植民地であり続ける原点は戦後最大の謀殺ミステリー『下山事件』にあった!

https://wpb.shueisha.co.jp/news/society/2015/08/23/52483/

 

 日本人は欧米の金持ちと違い、上流階級の暮らしも質素である。贅沢を好まず、普通の暮らしを愛する国民である。この性向は、高望みをしない代わりに、波風の立たない生活に対する強い執着心となる。贅沢を望まない心性は無欲とイコールではない。質素な生活を守るためには命懸けになるということである。これが内向きに働く時、同調圧力となる。

 なぜ日本人が宗主国のために身を犠牲にするのかと言えば、それはアメリカが好きだからではなく、自分の小さな幸せを守ることに必死だからである。戦前の日本人が爆弾工場で真面目に働き、町内会の竹槍訓練に休まず参加したのも、強力な同調圧力の中で自分を守ることに必死だったからである。戦後の芸能人が、家族がコロナウイルスに感染した際に謝罪するのも、そのためである。中国人は国家権力による暴力を恐れるが、日本人は国よりも隣近所を恐れる。草の根レベルの同調圧力が最も恐いのだ。

 これはアメリカがつくったものではない。空気を壊さず、黙って働くことを美徳とする日本のシステムは、アメリカが日本を占領する前に完成していた。GHQは既にあるシステムをうまく利用しながら日本を植民地化した。詳しくは白井聡氏の「国体論:菊と星条旗」(集英社新書)を読んでいただきたい。

 

白井聡 『国体論 菊と星条旗』 特設サイト|集英社新書

https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/special/shirai/

 

 これも日本とイランの違いであろう。疑問を持たずに勤勉に働くというシステムは、星条旗が入る前に出来上がっていた。本来、疑問を抱くことは健全な精神が持つ働きである。しかし国体のシステムではベルトコンベヤーを止めることよりも、目の前の業務に忠実であることが求められる。

 戦前の日本はこのシステムをもとに国民が一致団結することで先進諸国の仲間入りを果たした。戦後は同じシステムによって世界第二位の経済大国となった。こうして100年以上にわたって継続する国体システムは繁栄した。1945年にトップが「菊」から「星条旗」に変わっても、システム自体は変更がない。これは大企業において社長が交代しても社風が変わらないことと同様である。

 国体システムにおいて重要なことは一致団結である。これに疑問を持つことは、疑問を持たない人からすれば迷惑である。戦前は非国民として非難されたが、愛国心という抽象的なものより日本人を腹立たせることは、目の前の業務に手を止めることであり、既存のシステムの円滑な進行を阻害することである。

 

いじめの構造そのものを、ぶっ壊す可能性を提示しなければならない 岩田健太郎教授に聞く

https://shinsho.kobunsha.com/n/nf7b63d934f28

 

 システムに疑義を挟むことはサボりでもなければ邪魔でもなく、健全な精神が持つ疑問心であったりするのだが、円滑な進行を愛する生活者からすれば、それは阻害に見える。既存のシステムに対する愛着(執着)が疑問心より上回れば、新規のアイディアよりも同調圧力が勝利する。戦前では戦争に疑問を持つより真面目に爆弾工場で働くことが美徳とされ、現在では植民地支配のシステムが円滑に動くことが推奨される。

 岩田氏が言うように、これはシステムが機能している場合には強力だが、硬直的でもある。つまり、プランAがうまくいかない場合でもプランBに移行できない。Aのまま一丸となって玉砕するしかないのである。

 もちろん国民のほとんどは、自分の勤勉な仕事の成果が宗主国の利益となっていることを知らない。しかし、知ったとしてもそれは変わらないだろう。それぐらいこの国の植民地システムはうまくいっている。それはアメリカの統治が優れているというよりも、日本人がつくった国体システムが優れているからであろう。アメリカの支配を脱却することよりも、日本的システムから脱却することの方が、日本人にとっては遥かに難しいことなのだろう。

 

3.職人技による植民地統治

 皇軍が支配するか米軍が支配するかという問題は、日本人にとって形式的な問題に過ぎないのかもしれない。支配者が誰であろうと、国民が一致団結してシステムに盲従するのは変わらない。システムに疑問を持たず、黙々と目の前の仕事に従事することを美徳とする生き方は、戦前も戦後も変わらない。それに疑問を持つことは、この国では推奨されないことだ。

 100年以上続くこのシステムの中で、日本人の盲目的な勤勉性は最高に洗練され、高度に複雑化された植民地国家をつくりあげた。それはアメリカが力によって支配する植民地ではない。アメリカが発言する前に、日本のカポー達がアメリカを忖度して国を動かす国家である。それは、アメリカ人が「お茶をくれ」と言う前に、席に座ったと同時にお茶が出てくるような「おもてなし」である。以下は第三十五回ブログで引用した副島隆彦の文章であるが、もう一度引用しよう。

 

売国者たちの末路 副島隆彦 植草一秀 祥伝社 201

20021月に、田中角栄の娘である田中真紀子外務大臣を追い落とす動きがありました。リチャード・アーミテージ国務副長官が、自分と会わないと言った田中真紀子に怒り狂ったのです。真紀子大臣は、アメリカが日本に押しつけようとした、合計で4、5兆円もするMDmissile defense ミサイル防衛網)を買うことに反対し「日本は中国と敵対する必要はない」という考えからです。それで「田中真紀子を潰せ」となって、アーミテージ後藤田正晴事務所で岡崎久彦さん、佐々淳行さんと話し込んだそうです。

 そしてこのあと、日本のテレビ局5社、新聞5社の政治部長たちを集めて、裏の政治部長会議が開かれた。次の日から一斉に田中真紀子叩きが始まりました。このようなかたちでアメリカは、今も日本のメディアを自分たちの手足として操って使います。

 

 副島氏はアメリカが日本のメディアを手足として使うと言っているが、実際は少し違うのではないかと私は思っている。アーミテージはMDを即買いしない外務大臣に腹を立て、文句を言っただけかもしれない。そして、それだけで十分だったのだろう。細かい指示をしなくても、あとは優秀な日本人が全てやってくれるからである。この後日本の政治家や外交官、マスコミ幹部が力をあわせて田中真紀子を引きずりおろしたのは、アーミテージが考えた作戦ではなく、日本人が自主的に考えて実行したことかもしれない。

 イランにおける石油支配と違い、アメリカによる日本の統治は、日本人の生活の毛細血管にまで入り込んでいる。これはアメリカが入り込んだとも言えるが、日本人が引きずり込んだとも言えよう。アーミテージは以前、日本の高級官僚から「外圧をかけてくれ」と頼まれ、驚いたそうである。アメリカの政治家が日本の総理大臣や外務大臣を恫喝するのは、日本の官僚に頼まれてやっている可能性もある。

 日本という植民地は、日本人の職人技によって成り立っている面が強いのかもしれない。それは高級官僚のみならず、末端の人々の仕事や生活にも繋がっており、日常に根をおろしたものとなっている。こうなると、システムについて疑問を持つことよりも、システム内で職人として細かい仕事を行うことの方が推奨されることになる。

 これがイミテーション民主主義による植民地支配の成果であろうが、ここまで細かく洗練された植民地支配は、アメリカの力だけではできない。日本人の優秀な頭脳と真面目な国民性と根本的な愛国心の欠如がなければ不可能であり、この国の植民地システムをつくったのは、宗主国ではなくむしろ植民地の人間であろう。

 イランはアメリカの植民地になる前に「国体」というシステムがあったわけではない。「国体」によって世界第二位の経済大国になったという成功体験もない。日本のように植民地支配の搾取系統が細分化され、毛細血管に至るまで浸透しているわけでもない。イランは部族も違えば、考え方も違う人々による集合体である。またイラン人は日本人ほど忘れっぽくなく、昔にやられたことを執念深く覚えている。

 宗主国が同じでも、植民地の国民性が違うなら、統治のやり方も変わらざるを得ない。イランでは日本型の植民地支配を実行することは不可能である。勤勉で規律に富み、国体に対して思考停止の日本人と違い、イラン人に自由を与えれば独立しようとするのだから、自由を剥奪する王制のシステムをアメリカとしては支援する以外にない。

 本来のアメリカ人の感性からすれば、イランを統制のとれた美しい民主主義国家にしたかっただろう。しかし、イランを日本のような植民地にするには土壌が違いすぎた。日本はアメリカに占領される以前から国体のシステムは完成していた。岩田健太郎氏のような意見は、岩田氏出現以前からいくらでも存在する。しかし、国体システムはびくともしない。この国では異論は焼け石に水である。

 日本のような国なら、デモが起きても国体には響かない。

 

国会前反対デモ何人参加した? 警察「3万人」主催者「12万人」で4倍の差

https://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20150831/dms1508311204005-n1.htm

 

 日本人にとって国体は生活の基盤である。もちろん、ほとんどの国民にとってそれは意識されない。無意識的に国体で働き、生活し、喜怒哀楽をともにしている。この国では植民地支配は空気のようなものである。しかし、他の国ではこうはいかない。アメリカは日本のような植民地支配を夢見るが、日本以外ではなかなかうまくいかないのだ。

 

アフガニスタン和平合意――「最初の敗北」ベトナム戦争との類似性

https://news.yahoo.co.jp/byline/mutsujishoji/20200303-00165751/

 

 日本人はアメリカが世界最強だと思いこんでいる。しかし、それは日本人が勝手に思い描くイメージに過ぎない。アメリカが日本をうまく支配しているのは、アメリカ人が優秀だからというよりも、日本人が優秀だからであろう。

 日本のエリート層は愛国心がなく売国精神旺盛であり、世論操作がうまく仕事が細かい。平民層は真面目で勤勉、秩序意識が強く、団結力があり、システムに対して思考停止である。こうした二層で成り立つ日本は、植民地としては最高の土地ではなかろうか。そう考えると、日本でこれだけ成功したアメリカの植民地統治が、イランで失敗したのも、それほど不思議なことではないのかもしれない。