戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第六十四回 文春砲は牧場の柵内でのみ炸裂する

0.予定の変更

 イランの現代史の続きについて書く予定であったが、今回は予定を変更し、検察官と新聞記者による麻雀大会について報じた「文春砲」について考察していきたい。

 

1.「ズブズブ」ではなく「同僚」

 文春砲によって、黒川検事長と新聞記者による「賭けマージャン」が明らかになったようである。

 

黒川弘務東京高検検事長 ステイホーム週間中に記者宅で“3密”「接待賭けマージャン」

https://bunshun.jp/articles/-/37926

 

 この「文春砲」については各界で賞賛の声が上がっているようである。

 

東国原英夫 黒川検事長“文春砲”を絶賛、国会内に「文春、新潮諮問委員会みたいなものを設けて」

https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2020/05/21/kiji/20200521s00041000268000c.html

 

 この事件は多くの人から「検察と大手メディアのズブズブの関係」と見られているようである。

 

堀江貴文氏「検察とマスコミはズブズブ」 黒川氏が賭けマージャン報道認め辞意

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200521-00000044-dal-ent

 

 今回の「文春砲」は賞賛されている。確かに、朝日や産経のような巨大メディアは、今回のような事件を永遠に報じないだろう。その点では文春を評価すべきという意見もあろう。しかし、次の点に注意したい。それは、この国のメディアは肝心なことは絶対に隠すという点だ。

 文春が巨大新聞と異なる価値を持っていることは事実であろう。しかし「売れっ子メディア」として我が国で地位を確立している媒体は、例外なく「隠す」能力を持っている。植民地のメディアは、この「隠す」能力が必須である。何を隠すのか。それは植民地経営の構造である。今回は、文春のような過激に見えるメディアであっても、この原則が不変であることを例証したい。

 植民地メディアの仕事は、全ての事実を国民に開示することではない。そこには取捨選択があり、肝心要なことは隠す。そして氷山の一角を見せることで、国民に夢を見させる。それは、この国が独立国だという夢である。

 例えば今回の文春砲を見れば、堀江貴文氏の言うとおり、検察と新聞が「ズブズブの関係だ」という印象を読者が持つ。それは、この国の検察や新聞が独立組織だという夢を見ることだ。夢を見てしまうと、夢の背後に厳然と存在するこの国の構造を見落とすことになる。

 多くの人は、この国に検察、裁判所、国会、官庁、新聞社・・・といった独立組織が存在すると思っている。しかし、実際に存在するのは一つの組織である。そのトップは日本人ではなく、外国人である。検察や新聞といった組織は、この組織内の「部門」に過ぎない。一つの屋根の下に、「検察部門」や「メディア部門」などの各部門が存在するのだ。

 だから、検察と新聞が「ズブズブの関係」であるという見方は誤っている。検察も裁判所も、内閣も新聞も、一つ屋根の下の兄弟に過ぎない。同じ職場の同僚が、賭け麻雀をしただけである。そういう見方をすれば、彼らの麻雀はむしろ自然の成り行きに見える。

 これは日本だけでなく、世界的な組織構造でもある。一見バラバラの組織が同じ穴のムジナであることについては、第三十回ブログで述べた。例えば、緒方貞子の経歴は、国連、外務省、ユニセフ上智大学、JICAと変遷しているが、一つの屋根から一歩も外に出ていない。スノーデンは米軍、NSA、CIA、DELLコンピューター、ブーズ・アレン・ハミルトンと、十年のあいだに四回転職しているように見えるが、実は一回も転職していない。異動しているだけだ。

 もちろん、検察と新聞はRevolving Door(回転ドア)の関係ではない。検事長が退職後に新聞社の取締役になることはおそらくないだろう。しかし、彼らが「一つの屋根」に属する同僚であることは間違いない。私はそれを「カポー」と呼んでいる(第三十一回ブログ参照)。彼らは一つの目的を持った一つの組織、「Company(panパンをcom共有する者たち)」に属する人間である。

 

2.カポーはカポーに対してムチをうつ

 以下の人達は、戦後の日本を動かした大物たちである。さて、この人達の共通点は何だろうか。

 

岸信介:総理大臣

賀屋興宣自民党政調会長日本遺族会初代会長

正力松太郎読売新聞社社主、日本テレビ放送網代表取締役読売ジャイアンツ創立者

児玉誉士夫全日本愛国者団体会議右翼団体)指導者

笹川良一日本船舶振興会日本財団の前身)会長

田中清玄:元日本共産党中央委員長、三幸建設、光祥建設社長

笠信太郎朝日新聞常務取締役論説主幹

緒方竹虎:副総理大臣、朝日新聞副社長

野村吉三郎:駐米大使、外務大臣、日本ビクター社長

 

 これらの人達は、政界、経済界、マスコミ、右翼、左翼と多岐にわたる。職業だけを見ていると、何の共通点もない。表の看板だけを見ていてもわからない。彼らはバラバラに見える。しかし、実際は同じ組織のメンバーである。

 彼らはCIAのエージェントである。つまり、彼らには共通のボスがいる。そのボスは外国人である。職業は違えど、同じ組織の仲間である。同じ屋根の下で、ある者は政治家、ある者はマスコミのトップ、ある者は経営者、またある者は右翼団体のカリスマとして動く。部署は異なるが、同じ目的で動く。その目的は植民地経営である。

 だから、彼らをバラバラのものと見ると真相を見誤る。例えば総理大臣がヤクザのカリスマと会っていたとしよう。それは政界と裏社会がズブズブだったというスキャンダルではない。もし、そういう報道が為されたとしたら、それは一見「特ダネ砲」のようでいて、実は肝心のことを隠した報道である。

 それは「ズブズブ」とはまったく違う。なぜなら両者ともCIAのエージェントであり、同じ組織に属する同僚だからである。総理とヤクザが夕食をともにするのはスキャンダルだが、エージェント同士が会って情報交換をするというのは奇妙でも何でもない。政界と暴力団が「ズブズブ」だという報道は、一見すると権力に対する告発のようだが、実は両者がCIAだという事実を巧みに隠す報道である。

 つまり、それは一見告発のようでいて、実は協力である。CIA総理とCIAヤクザの会談を報じるメディアは、両者の頭から「CIA」という文字を削除し、あえて「総理とヤクザの会談」として報じる。こうすれば、両者がCIAであるという事実を国民に隠すことができる。

 メディアは「報道」によって「隠蔽」を達成する。国民はメディアから情報を得ることによって、真相に対して盲目になる。なぜメディアがこのような「協力」をするのかと言えば、メディアもCIAだからである。彼らは「一つの屋根」の下で「メディア部門」として役割を果たす。

 もちろん、そうした「特ダネ砲」によって首相は辞任に追い込まれるかもしれない。しかし、トカゲの尻尾を切ることで本体は生き残る。本体が生き残れば問題はない。機械全体から見れば、首相であっても歯車でしかない。現場監督の首は交換され、新しい首になる。歯車が適宜交換されることで機械は動く。

 私は第二十二回ブログで、植民地の四層構造について説明したが、もう一度列挙しておこう。

 

A.支配者(外国人)

B.Aの手足になる植民地の政治家、官僚、大企業経営者(年収はDの2倍~100倍)

C.この支配構造を国民に知らせないように頑張る大手メディア(年収はDの2倍~4倍)

D.この構造を知らない(知る気がない)一般国民(生涯納税額5000万~6000万)

 

 文春はこの構造を決して報道しない。「検察官と新聞記者が賭け麻雀をやった」というどうでもいいことで騒ぎ、肝心のことを隠す。それは文春もCであり、Aの部下だからであろう。文春であろうが何だろうが、我々が紙媒体やネットなどで自由に見ることができる情報は、我々が「見ていい情報」だということである。Dが見てはいけない情報が、市販の雑誌に載るはずがない。

 そもそも黒川検事長は麻雀やカジノが大好きで、それを公言していた人物である。つまり、黒川検事長が賭けマージャンの常習犯であることは、文春に限らずマスコミの検察担当なら誰でも知っていたことだ。知らぬは国民ばかりなりで、文春がそれをこのタイミングで出したから「文春砲」になっただけの話である。

 黒川氏は安倍内閣のために滅私奉公してきた。しかし不要になった忠犬は棄てられる。弱った奴隷は力のある奴隷に容赦なく攻撃される。ローマ史研究者のジェリー・トナーはそれを次のように表現している。

 

奴隷のしつけ方 マルクス・シドニウス・ファルクス ジェリー・トナー 太田出版 78頁

あなた方も容易に想像できるだろうが、主人の奴隷に対する態度より、奴隷同士のほうがはるかに暴力的だ。奴隷たちは常に地位の奪い合いをしていて、どっちが上だ下だと口論し、些細なことで侮辱されたと騒いでけんかをするし、それが単なる言いがかりであることも少なくない。

 

 奴隷は柵の中で常に権力争いをしている。文春が検察という権力に反抗したのではない。文春というカポーが、黒川という落ち目のカポーを穴に突き落とすという仕事を実行しただけである。だから文春はBに対して「文春砲」を発射しても、Aに対しては絶対に「砲」を向けない。カポーが攻撃していいのはカポーだけである。ムチを主人に向けたらおしまいである。

 その意味では、この国に「反権力メディア」は存在しない。本当の権力に刃向かったら、そのメディアは抹殺されるからである。だから「文春砲」の餌食になるのはいつも日本人なのである。

 

3.カポーはカポーであることを隠したい

 エージェントにとってボスは外国人であるから、自国の利益や法律はボスよりも下に位置付けられる。その例は、第二十回ブログにおいて見た。砂川事件である。田中耕太郎裁判長は東京地裁の「伊達判決」を、最高裁が開かれる前にアメリカ大使にホテルで会い、破棄することを約束していた。これは裁判所法に照らせば違法であり、普通なら即刻クビである。

 しかし、田中裁判長はクビになってないし、辞任もしていない。むしろ後に彼は勲一等を受勲している。なぜなら彼は植民地におけるカポーとして、立派な仕事をしたと評価されたからである。普通なら裁判所法違反をしたら裁判官失格であるが、植民地管理の仕事においては、植民地の法律を全部守っているわけにはいかない。そんなことをしていれば、植民地の管理は不可能だ。

 田中裁判長の行為も、植民地の法律に照らせば違法であるが、彼の仕事は裁判官という名の植民地管理官である。裁判官として見れば彼の行為は違法であっても、植民地管理官としては判決前に上司であるアメリカ大使にその旨報告することは業務上当然である。

 田中氏は裁判官であったが、同時にエージェントであった。エージェントはまずエージェントの仕事を優先すべきであるから、植民地における法律よりもエージェントの仕事を全うした彼は、国家から褒めたたえられ、勲章が贈られたのである。

 日本の法曹界のトップが国内法よりもエージェントの仕事を優先したというこの事件については、文春も含め日本のマスコミは全て隠した。それは宗主国の圧力ではなく、カポー達が自らを守るためである。彼らにとって最も恐いのは、アメリカ人よりも日本人である。自分達の行為がバレれば、愛国の志士に殺される可能性がある。

 しかし、そうしたカポー達の恐怖心を無視する形で、宗主国はためらうことなく情報を公開してしまう。冷酷な主人は平気で忠犬を捨てるのだ。田中裁判長の件においても、日本のマスコミはスクラムを組んで情報を漏らさなかったが、アメリカ側が日本の了解を取らずに突然公開してしまった(第二十回ブログ参照)。

 これは確かにひどい話である。滅私奉公、アメリカのために働いてきた忠犬は、日本国内では権力のトップであり、偉人である。メディアの協力により偉人が忠犬であったことは隠され、国民の尊敬を受けてきた。それが宗主国の情報公開により全てがパーになる。子孫は恥をかく。貴族の血統は一瞬にして売国奴の血筋になる。日本のカポー達からすると、これは非常に困る。

 カポー達のこうした困惑を代表して、外務省は「公開しないでくれ」とアメリカに頼んでいる。外務省のこの要請は、文春も含め日本のマスコミは報じない。ただ、CIAからお金を貰えなかったと思われる西日本新聞だけが、これを報じた。

 

「外務省が機密解除に反対」 CIAの自民政治家へ資金 米元諮問委員が証言

https://newspicks.com/news/1332743/

 

 西日本新聞のこの記事は、現在削除され見ることができない。ただ、次のブログにこの新聞記事の内容が記載されている。

 

「外務省が機密解除に反対」 CIAの自民政治家へ資金 米元諮問委員が証言(西日本新聞

https://blog.goo.ne.jp/naha_2006/e/01826f8e553f850508f47fce6429c264

 

 西日本新聞のような規模のマスコミだと、もしかしたらCIAのお見舞が来ないのかもしれない。大手新聞社の敏腕記者なら、病気で入院した際にCIAがお見舞いに来る。これについては第二十七回ブログで述べたが、記事をもう一度挙げておこう。

 

CIAスパイ養成官キヨ・ヤマダ、日本企業に今も残る「教え子」たちの影響力

https://diamond.jp/articles/-/213851

 

 アメリカが公開する情報を、なぜ日本人は見てはいけないのだろう。日本国憲法に照らせば、日本国民には憲法21条で「知る権利」が保障されているから、こうした外務省の行為は国民の「知る権利」に対する侵害であり、違憲であろう。しかし西日本新聞以外のマスコミはこれを報じない。

 国民の「知る権利」という点から考えれば、麻雀事件よりこの事件の方が遥かに重大であろう。しかし、そこに「文春砲」は炸裂しない。文春自慢の大砲は、肝心なことになると沈黙する。そう考えるとこの大砲は実は「砲」ではなく、牧場の柵の内側で鳴り響くラッパのようなものではないか。それは柵の中の無知な羊たちを興奮させる力はあるかもしれない。しかし、牧場の存立自体を揺るがすものではない。

 黒川検事長というカポーの一人がこのラッパによって辞任しようが、本丸はビクともしない。それゆえ今日も植民地経営は安泰である。それにはマスコミの力が大きい。彼らの高度な頭脳と巧みなテクニックのおかげで、羊たちは独立国の夢を見る。

 売れっ子メディアは日本人の見たい夢を見せるために存在する。それゆえ、この国のマスコミにジャーナリズムを期待しても無駄である。彼らは言葉の魔術師であり、我々を白昼夢に誘い込むプロフェッショナルだ。ただ、そういうメディアであっても我々が読み方を変えるなら有益なものとなりうる。

 ポイントは、メディアが提供する「記事」を読むのではなく、「意図」を読むことである。相手が「言っていること」を読むのではなく、相手が「隠したいこと」を読むのだ。それは紙面を見ながら紙面の裏側を見ることでもある。眼光が紙の表面を泳ぐだけなら、相手に支配されてしまう。しかし、眼光が紙背に達するなら、売れ線メディアも役に立つ。結局は我々一人一人の読み方にすべてはかかっているのである。