戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第七十七回 イランとアメリカ、なぜ対立するのか ~その歴史的関係性(21)

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 今回からイランの近現代史シリーズに戻りたい。第七十回ブログの続きである。

 

1.「血の町」から日本へ

 ホッラムシャフル(Khorramshahr)は「心地よい町」という意味だ。イラクとの国境線に近い町で、人口は約30万、港湾の町として栄えた。南に10km行けば、石油の町として名高いアーバーダーン(Abadan)がある。

 しかしペルシア湾に面するこの風光明媚な町は、イラン・イラク戦争で激戦地となる。この戦争で生じた死者は約100万人と言われているが、最も破壊された都市はホッラムシャフルだと言われている。そのため開戦後のこの町はフーニンシャフル(Khooneenshahr)と呼ばれるようになった。「血の町」という意味である。

 当時、テヘラン大学の学生だったフローラ・ジャスミン(Flora Jasmine)さんは、救護ボランティアとして瓦礫の山と化した「血の町」を訪れた。救護活動の最中、彼女は瓦礫の中から出ている小さな手を触った。人形の手だと思って彼女は触ったが、それは人間の手だった。まだ生きている子どもの手だったのだ。

 女の子はフローラさんの手により救い出され、孤児院に預けられた。フローラさんはこの女の子を自宅で引き取り養子として育てたいと思い、両親に相談した。彼女の家は裕福な医師の家系で、女の子一人を養う経済力は十分にあったからだ。しかし両親は頑なに拒んだそうである。フローラさんは女の子を取るか家を取るかの二者択一を迫られ、家出を選択した。

 家出したフローラさんは、女の子にサヘル・ローズ(Sahel Rosa)という名前を与え、自らの養子とした。Sahelは「砂漠」という意味で、Rosaは「薔薇」という意味である。砂漠に咲く薔薇の花という名前をもらった女の子は、戦争のショックで名前や生年月日、出生地などの全てのメモリーが消えたそうである。

 何もかも思い出せない女の子は、フローラさんによってアイデンティティを授けられることとなった。こうして「血の町」に埋もれた孤児は、1985年10月21日、ホッラムシャフル生まれのイラン人、サヘル・ローズということになった。最初、彼女はフローラさんを実母として思い込んだそうである。

 

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Sahel Rosa and Flora Jasmine

 こうして二人は親子になったが、イランには住むところがなかった。そこで日本に行くことになった。フローラさんの婚約者は、医師になるために日本に留学していたからだ。こうして母娘は、ハンサムで若く将来有望な男が待つ埼玉県の小さなアパートの一部屋へ向かうこととなった。しかしそこが新たな「心地よい町」であったのはほんの数週間にしか過ぎなかった。

 慣れない異国での三人暮らしはすぐに険悪なものとなり、若い男は子どもに暴力をふるうようになった。フローラさんはまたもや家を取るか女の子を取るかの二者択一を迫られることとなった。彼女はそこで家出を選択した。行くところがなくなった母娘は、近所の公園に住むこととなった。

 異国で身寄りもないイラン人の母娘は、何度も自殺を考えたそうだ。しかし、学校の給食を異様に食べる女の子の様子を見て、何かを感じとった学校職員が助けてくれた。給食室で働いていた女性が保証人となってアパートを借りることができ、フローラさんはペルシア絨毯を縫製する仕事を紹介してもらった。こうして貧しいながらも何とか二人は生活できることとなった。

 サヘルさんはその後、女優を目指すようになる。きっかけはイランで見た「おしん」であった。日本では橋田壽賀子原作のNHKドラマとして1983年に放映された「おしん」であったが、その後海外でも放送されるようになった。イランではこれが大人気となり、知らぬ者がいないほどであった。サヘルさんも孤児院のテレビで見たのだ。

 その後、サヘルさんは学校でのいじめなどの苦しみがあったが、女優・テレビタレントとして身を立てることができた。フローラさんも日本語を猛勉強し、通訳の仕事をするようになった。

 

プロフィール - フローラジャスミン イラン現地コーディネート

https://iranflorajasmine.jimdofree.com/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%AB/

 

 サヘルさんはテレビの仕事だけでなく講演活動もしている。戦争がきっかけとなって始まった自身の苦しみの体験を、学校などで講演しているのだ。また、世界の様々な国の孤児を訪ねる活動をしている。

  

サヘル・ローズ / Sahel Rosa | 育ての母と祖国イランを離れ日するも、野宿や壮絶ないじめを経験。

http://www.highflyers.nu/bs/sahelrosa/

 

 それは「血の町」から日本に移住し、日本で女優として成功したという「サクセス・ストーリー」ではない。彼女の中で「血の町」は過去の話として終わっていない。世界の各地を訪問し、彼女はむしろフーニンシャフル(Khooneenshahr)が世界中に広がっている光景を目にしている。イラン・イラク戦争で傷つき、人形の手として地中に埋もれたかつての自分が、今は世界中に散らばって存在する姿が、彼女には見えるのであろう。

 

2.灰色の国から砂漠(Sahel)の国へ

 戦火の爆裂により、バラバラに砕け散った鏡の断片の一つ一つに、戦争孤児としての自分の顔が映る。30代を迎え、大人になったSahel Rosa(砂漠の薔薇)は世界を巡り、バラバラに砕け散った破片を一つ一つ回収している。彼女は貧困の底から立ち上がり、今はそれなりの豊かさを手にしている。しかし、それらの破片をつなぎ合わせて自分の顔を作り上げなければ、彼女の渇きは癒されない。

 鏡をバラバラに砕いたのは誰か。その人はいつも灰色の国からやってくる。その国は世界で最も豊かな国として知られているが、常に金が足りない。その国の人達は、今日と明日の糧があるだけでは神に感謝できない。「将来」という夢想のために莫大な貯蓄が要る。その人達は常に不安で、「今」の喜びには心が向かない。だから表情はいつも灰色である。その国の心理カウンセラーの数は、羊の数よりも多い。

 「心地よい町」であるホッラムシャフルが瓦礫と化す20年前、中東の砂漠の国に灰色の顔をした公務員たちが舞い降りた。高給なスーツを着たアメリカ人は、イラクの町で若者をリクルートした。22歳でCIAに殺し屋として雇われた若者は、20年後、イラクの大統領となった。

 精力と野心があり余った若き殺し屋は、CIAからの教えを砂漠が水を吸い取るように吸収した。彼がCIA(Central Intelligence Agency)から授かった奥義は、Intelligence(情報)こそが本物の暴力であり、最大の武器であるということであった。これによりライバルの弱みを握り、脅迫し、取引をすることができた。彼はその技を使ってどんな大男も自分の部下にすることができた。

 

“いいやつ”になるな、“人たらし”になれ! CIAに学ぶ人脈テク6選

https://mainichi.doda.jp/article/2018/10/01/270.html

 

元CIA諜報員が教える「誠実な人」を見抜く「1つの質問」

https://diamond.jp/articles/-/242675

 

 脅しと取引、姦計と暴力でのし上がった男は、勝ち続けることによって自分の顔を作った。しかし勝てば勝つほど安定するかと思いきや、実際は不安になっていった。暴力で奪った玉座は、いつ暴力によって奪われるかわからない。自分がしたことは、いつか自分が誰かにされることである。

 最初は権力を奪うために用いた灰色の秘技であったが、王の椅子に座った後はその椅子を奪われないようにするために使うようになった。こうして灰色の暴力は血を要求するようになった。砂漠の砂が無尽蔵に水を吸い取るように、魔王の椅子は無限の血を吸い取るようになった。

 彼はAgencyを市内に張り巡らし、ちょっとした陰口でも逮捕できる体制を整え、市中に肖像画を多く配置することで国民に自らを意識させた。こうして精力的な砂漠の猛牛は、灰色の仮面をつけた不安の王となっていった。

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Mosaic showing Saddam Hussein praying in Baghdad, in 1999

 イラクとイランの間には、古くから領土問題があった。そもそも中東にせよアフリカにせよ、その国境は西洋人が決めたものであり、人工的なものである。民族は線をまたがって暮らしている。従ってイランとイラクだけでなく、どの国であっても領土問題を抱えていた。それは紛争の火種として、いつ発火してもおかしくなかった。(第五十七回ブログ参照)。

 だが、パフラヴィー王がイランを統治していたら、フセインはイランに侵攻することはなかっただろう。なぜならパフラヴィー王は、フセインが台頭する遥か前に、CIAから授かった情報と暴力、姦計による灰色の統治を実現した男であり、フセインにとっては偉大な先輩だったからである。

 パフラヴィー王の国家統治は全てCIA方式であった。CIAを模してつくった秘密警察である「サヴァク(SAVAK)」による諜報活動によって、反対派を捕え、拷問し、殺した。そうした情報力と暴力を後ろ盾として、王はイランの近代化(欧米化)に邁進した。このやり方はイラクの近代化を目指したフセインにとって、中東統治の模範に見えた。

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イラクフセイン副大統領とイランのパフラヴィー王(1975年)

 しかしパフラヴィー王はもういない。イラクフセイン玉座に座った直後に、パフラヴィー王はイランの玉座から追放された。代わってホメイニーが座っている。これはフセインにとって望ましいことではない。

 イラクは一枚岩ではない。イスラムスンニ派シーア派の対立を内にかかえている。イランの王となったシーア派のカリスマが、イラクシーア派国民を扇動すれば、イラクでも大規模デモが起きかねない。そのデモがさらに拡大すれば、フセインですらパフラヴィーの二の舞となる可能性がある。ホメイニーはアメリカにとっての邪魔者であるだけでなく、フセインにとっても目の上のたん瘤であった。

 これは当時のイラクだけでなく、現在も同じであり、問題は続いている。例えばイランのソレイマニ将軍が米軍のドローン爆撃で殺害された時、同時にイラクのムハンディス氏も死亡した(第四十五ブログ参照)。ムハンディス氏はイラクシーア派の大物である。イランがイラクシーア派勢力に注力し、シーア派勢力の独立気運が盛り上がれば、イラクは分裂しかねない。

 

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Soleimani and Al-Muhandis

 パフラヴィー王はイランの近代化を目論んだ。それはイランの宗教色を薄める方向性であった。フセインもこれに同調し、イラクの宗教色を薄め、近代化を目指すつもりだった。しかし隣国で革命が起きたことで、フセインの思惑とは逆に、イラク国内に宗教革命の気運が飛び火する可能性があった。

 イラクの内部崩壊を防ぐには、戦争が最高の特効薬であった。戦争によって国内を一枚岩にし、同時に隣国イランの弱体化を図った。タイミングもよかった。ホメイニー政権は内部闘争やクルド人などの少数民族との争いがあり、混乱していた。

 しかも、アメリカ大使館人質事件でイランは世界中から非難されていたので、国際世論はイランに味方しない。イラクの侵略を黙認する空気があった。チャンスと思ったフセインは、国境線の町であるイランのホッラムシャフルにイラク軍を侵入させた。しかし、目的はそうした政治的なものだけではなかった。一番の目的は石油、つまり金だった。

 

3.侵略の本音と建前

 石油と火の町、アーバーダーン。ここではいつも何かが起きる。モサデク政権時のアーバーダーン危機。イラン革命前夜のシネマ・レックス火災事件。そしてまたもやアーバーダーンが焦点となった。イラクサダム・フセイン大統領は、自軍にアーバーダーンを中心とするイランのフーゼスターン州の解放を命じた。こうして1980年、イラン・イラク戦争が始まった。

 フーゼスターン州は、イスラムスンニ派のアラブ人たちが多く住む地域である。宗教も民族も異なる彼らは、ホメイニー政権によって苦しめられているから、スンニ派のアラブ国家であるイラクが彼らを救わなければならないという名目である。

 しかしこれは明らかに言い訳であり、結局のところは侵略であった。イラクとしては石油の積み出しに有効な港町であるホッラムシャフルや、巨大な石油施設を持つアーバーダーンが欲しかったのである。つまり金の問題である。どの国であっても、金にならない住民を解放するために、リスクを負って軍隊を出動させることは絶対にない。

 侵略戦争はいけないことだと我々は学校で習うが、この時、国際社会はまったく騒がなかった。イランがパフラヴィー政権であったなら、大騒ぎになっただろう。というか、戦争にもならなかっただろう。なぜなら植民地同士では戦争すらできないからだ。

 例えば日本と韓国との間では、根深い領有問題があっても絶対に戦争にならない。それは両国が絶対的平和主義者だからではなく、両国がアメリカの植民地であり、宗主国の承諾なしに勝手に軍を動かすことができないからである。

 イランとイラクが両方ともアメリカの植民地であった時代は、戦争が起きるはずもなかった。しかしイランはホメイニー政権となり、独立国となり、アメリカの敵となった。普通ならイラクとイランでは国力に差があるため戦争はできないが、アメリカに背中をおされ、大量の武器や多額の資金を援助されたイラクは、自信をもってイランに攻め込んだ。

 国連もイラクの侵略行為を問題視しなかった。ソ連と中国も、武器売り合戦にすぐに夢中になった。彼らはイランとイラクの両方に武器を売って儲けた。アメリカとフランスはイラクに武器を売り、イスラエル北朝鮮はイランに武器を売って儲けた。アメリカはイラクに武器を売りながら、同時にイランにも売っていたことが後に発覚した(イラン・コントラ事件)。

 こうして様々な国が両国に大量に武器を流すことで、イラン・イラク戦争は膠着し、長期化した。日本のマスコミはこの長期戦を「イラ・イラ戦争」と表現した。しかし、イライラしていたのはイラク人とイラン人のみで、大国は武器が売れて儲かるのでまったくイライラしなかった。ベトナム戦争反戦運動に熱くなった世界の学生たちも、「イラ・イラ戦争」については無関心で、反戦ムーブメントはほとんど起きなかった。

 「イラ・イラ戦争」は特に誰もイライラさせなかった。むしろそれは巨大な無関心という沈黙の舞台の上で行われた。この「静けさ」という餌を貪り食う怪物が、Global経済である。暴力に対して誰も声を上げないなら、そこには貪欲な怪物が群がってくる。

 

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Silence is Violence

 沈黙がなぜ罪なのか。それは、無声の舞台の上ではどんな残虐行為も許されるからだ。「Suffering(苦しみ)=Profit(利益)」という金儲けシステムは、残虐性の固まりである。それは人々の無関心がなければできるものではない。魚は水がなければ生きられない。逆に、水があるところには魚が泳ぐ。それと同じく、無関心という舞台が整えば、怪物は縦横無尽に動き回る。

 金と権力と人々の無関心。三位一体の舞台。国際世論が冷たい沈黙を貫き通す間、Global経済という怪物はこの舞台の上で暴れ回り、莫大な量の死体と利益を生み出した。こうして「心地よい町」であるホッラムシャフルは血の町と化した。多くの子どもたちは生き埋めになり、ほとんどの手は人形の手となった。

 サヘル・ローズさんは万に一つの確率で、ホッラムシャフルで拾われた。人形の手は人間に触れられ、人生を始めることができた。しかしその手もいまだに心の破片を全て回収できていない。サヘルさんの砕けた心はまだ繋ぎ合わされていない。イラン・イラク戦争が終わって30年以上が経つ今も、彼女は心の破片を拾い集め続けている。