戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第七十九回 イランとアメリカ、なぜ対立するのか ~その歴史的関係性(23)

1.虚ろな国の虚ろな大統領

 王が統治する国を「王国」と言い、王を持たない国を「共和国」と言う。王のいない国、すなわち「共和国」では主権者は国民である。その国では王がいないから、国の舵取り役は主権者である国民によって選ばれる。国民から選ばれた指導者は、大統領と呼ばれる。

 「王国」では国民に王を選ぶ権利はない。しかし「共和国」の主権者は国民であるから、国の指導者を選ぶのは国民である。これは国民にとって大変な進歩であるように見える。しかし、実際に国民が代表を選ぶ基準は、メディアから与えられるイメージである。政府、官僚、大企業、マスコミといった特権階級が国民を好きなように操作し、彼らにとって都合のいい指導者に投票させる。

 結果、「共和国」においても国民は国家権力の奴隷となる。このやり方は洗練されており、極めて効率的な搾取システムであるため、王制の国でも採用されることとなった。つまり、王が政治権力を放棄し、象徴的な立場となり、内容的に「共和国」と変わらなくなるのである。結果、現代ではイギリス王国もフランス共和国も内容的には変わらない。世界中が共和国なのである。

 こうして世界の総「共和国」化の流れの中で、主権者である国民による選挙は陳腐なゲームと化す。アメリカでトランプとバイデンの争いがあろうが、日本で菅、岸田、石破の総裁選があろうが、国民にとっては茶番劇に過ぎない。

 そこでの主権者はメディアを好きなように操ることができる特権階級だけである。つまり「金持ち」以外は主権者ではない。一般庶民は名ばかりの主権者である。大統領は「金持ち」によって選ばれる。だから「金持ち」を儲けさせ、国民を上手に搾取するリーダーが共和国では求められる。

 こうして見ると、人間という生き物は不思議である。その群れのリーダーは人間ではなくマネー(Money)である。サル山のボスはサルであるが、人間世界のボスは金(マネー)という抽象物である。貧乏人は日銭のために働き、金持ちは金のために生きるが、どちらも主人は金であり、自分自身の「心」ではない。

 「心の王国」が放置されたままで国の統治がされる以上、そこでの指導者は「虚ろ」な人物が選ばれる他はないだろう。「虚ろ」な目をした指導者が辞任すれば、その後継ぎも「虚ろ」でなければならない。「共和国」のリーダーはネイティブアメリカンの酋長と違い、誰からも尊敬されない。退職したら「ただの人」であり、殺されても忘れられる。

 ボスは金(Money)である場合、金と人間を結びつけるためのエージェント(Agent)が必要となる。ある国ではそうした灰色の男の仕事を、銀行や広告代理店が担う。官僚が担う場合もあるだろう。またある国では、国家公務員としてのスパイがエージェント(Agent)の役割を担う。エージェント(Agent)の仕事の一つに、「大統領をつくる」という仕事がある。

 イラクはもともとイギリスの植民地であったが、第二次大戦後にそこに割って入ったのがアメリカであった。1959年、アメリカがイラクの石油利権を強奪するために、CIAが雇った青年がサダム・フセインであった。石油を国有化しようと計画したイラクのカシムを殺すために、CIAは暗殺団を組織した。そのメンバーの一人がフセインだったのだ(詳しくは第七十回ブログ参照)。

 イラクの田舎町から出てきたフセインは、CIAに育てられ、大統領にまで登り詰めるが、その時、宗主国の大統領はFBIのスパイとして活躍した人物であった。ロナルド・レーガン(Ronald Reagan 1911-2004)はイリノイ州出身の二流俳優だったが、FBIから「ハリウッドの赤狩り」としてスカウトされた。当時のアメリカは労働者の運動が盛んで、それに共感する俳優や芸能人も多くいたからである。

 

f:id:isoladoman:20200906190813p:plain

Ronald Reagan (1941)

 コードネーム「T-10」を与えられたレーガンは、スパイ活動に邁進した。大企業に反発し、労働者の味方をする芸能人をハリウッドで探し、FBIの赤狩りチームに密告した。これによりレーガンは売れっ子の俳優を蹴落とすことができた。「赤」として密告された俳優は、議会でつるし上げをくらい、魔女狩りのような尋問に晒された。映画界を追放される者もいた。

 レーガンの活躍に大企業も賛同した。大企業は労働運動やストライキを嫌っていた。だからそういった労働運動は全て「赤」なのだと国民に思わせ、企業に従順になって働く労働者を増やしたかったのである。レーガンのおかげで、人気俳優が実は「赤」だったと世間を賑わす。国民に「赤」のショックを与えることは大企業にとって歓迎すべきことであった。

 こうしてレーガンはFBI、CIA、政府関係者、大企業とパイプをつくり、俳優を辞め政界に進出し、大統領にまで登り詰めた。大統領となったレーガンを補佐した副大統領は、元CIA長官のG.H.W.ブッシュであった。つまりレーガン政権はスパイ政権であった。これは珍しいことではない。むしろ現代的な「共和国」の典型であった。

 宗主国のリーダーは国民のリーダーではなく、大企業を中心としたマネー世界から選ばれたリーダーである。また植民地のリーダーは、宗主国に資源を横流しするためにCIAによって育てられたリーダーである。どちらもマネー(Money)の代表であって、国民の代表ではない。

 だから「共和国」においては、国民が戦争を望まなくても戦争は起きる。国民が戦争を喜ばなくても、金(Money)が喜ぶのなら戦争は起きる。そこの主人は人間ではなく、金(Money)という抽象物である。大統領といえども、主人に対する忠実な僕(しもべ)でなければならない。そこでは金(Money)は人間の道具ではない。人間の方がその抽象物の道具なのだ。

 

2.安易な予想と殉教者たちの反撃

 前回のブログで述べた通り、現在の中東の国々はサイクス・ピコ協定(1916年)によって生まれた国々である。つまり、人為的な国境線によって作られた国々であり、目的は英仏への石油の横流しである。石油のために作られた国境線であるから、各民族の生活は無視される。その結果、中東の各民族は国境をまたがって生きることを強いられた。

 戦後、この地域に無理やりイスラエルという人工的な国が設置されたことで、混乱はさらに増した。もとからあった民族問題や石油問題に加え、イスラエル問題が加わることで、中東は戦火の絶えない地域となった。この混乱の地に金の亡者たちが群がる。

 イラン・イラク戦争においても、金(Money)の下僕たちは群がった。15か国以上が関わり、500以上の企業が群がった。各国が両国に武器や物資を大量に売ったことで、戦争は予想を遥かに超えて長期化した。特に、サダム・フセインの安易な予想を遥かに超えた。

 フセインは短期決戦を予想していた。彼の目的は限定的なものだった。イランのフーゼスターン州の一部石油地帯と、ペルシア湾に抜けるシャットル・アラブ河沿岸地域の都市を欲したのみであった。その地域はイスラムスンニ派が多く住む地域であるから、彼らはホメイニー政権に反発し、イラクへの国替えを歓迎するだろうとフセインは予想したのだ。

 しかし、事態は予想と反対に進んだ。アラブ系住民も含め、イラン領内の人々はこの軍事侵攻をイラクによる一方的な侵略だと解釈した。これにより、内部分節と闘争を繰り返していたホメイニー政権は外に敵を持つことができた。外に敵ができるということは、内でまとまりやすくなるということである。

 これを機にホメイニー政権は国内の反対派を血祭りにあげるができた。ムジャヒディンハルクは政府に対する爆弾テロ攻撃を行っていたが、政権は警察と軍隊によって彼らを徹底的に弾圧した。大量の反対派が死刑台に送られ、一掃された。戦争がなければ政府による国民弾圧と思われただろうが、戦中だったために国民に容認された。

 こうしてホメイニー政権は司法、立法、行政の三権を掌握し、ホメイニー派宗教勢力の独裁とも言える体制が確立した。これはバニーサドルら改革派が恐れていたことであったが、イラクが侵略行為をしてくれたおかげで成り立ったものであった。国内的な大量粛清と対外的な戦争の二段攻撃によってイラン国民は大量に死ぬことになったが、バラバラだったイランはこれにより一枚岩に近づいていった。

 ここから当初劣勢だったイラン軍が盛り返してくることになる。イラン軍は相手より二倍の戦死者を出していたが、愛国心に燃えた国民が次々に志願兵となった。彼らはホメイニーから殉教者と讃えられた。戦争で死ぬことがアッラーの御心にかなうと言われ、国民も信じるようになったのである。

 イラク軍によって敷設された地雷原は、そうした殉教者たちによって突破された。正規兵は貴重であるため、村の少年たちが地雷原に突撃し、吹き飛んだ。そうなると少年たちを死なすわけにはいかないとなり、老人たちが殉教者となって地雷原に突撃した。こうしてイラク側からすれば難攻不落なはずの地雷地帯がイラン軍により突破された。

 こうしてイラン領土内に侵入していたイラク軍が一掃された。「血の町」という意味のフーニンシャフルがイランに取り戻され、町の名前もホッラムシャフル(心地よい町)に戻された。ここからイラン軍の反転攻勢がはじまった。イラン軍に侵入したイラク軍が押し返されたのみならず、イラク領内にイラン軍がなだれ込んで来たのだ。

 イランの領土を奪う目論見でサダム・フセインにより始められた戦争は、皮肉なことにイラクの領土が奪われる事態を招いた。これはサダム・フセインにとってまったく予想外の結果であり、屈辱的であった。しかしフセインは和平を申し出る他はなかった。イランは当然、これに応じなかった。

 

3.国連という下僕

 最初、イラクが優勢だった理由は二つある。一つはイラン国内が革命直後で混乱していたために、イラン軍が本来の力を出せなかったことである。もう一つは、世界10カ国以上がサダム・フセインの味方をし、援助したことにある。

 アメリカはフセイン政権に大量の武器を売り、衛星でとらえた情報をイラク軍に供与した。またソ連、中国、イギリス、フランスもイラク軍に大量に武器を売った。見返りにそれら国連の常任理事国たちはイラクから大量の石油を安く買った。

 またサウジ、カタールクウェート、エジプト、ヨルダンといった中東の国家群もイラクを支援した。彼らは自国にイラン発のシーア派革命が飛び火することを恐れた。それらの国の王たちは、パフラヴィー王の二の舞となることは絶対に避けたかったのである。だからイラクがホメイニー政権を叩き潰すことを彼らは望んだ。

 その後、イランが優勢になった理由は二つある。一つは戦争のおかげでイラン国内が一枚岩に近づき、イラン軍が本来の力を出せたことである。もともと人口、経済力、軍事力などの点で、イランはイラクの二倍以上の規模を持つ。普通に戦えば大きい国の方が勝つに決まっている。

 もう一つは、イラクに大量に武器を売っていた国連の常任理事国である5カ国が、裏ではイランにも売っていたことである。ホメイニー政権と敵対し、国交断絶をしていたアメリカですら、イランに武器を売っていたことが後にイラン・コントラ事件で明るみになる(詳細は前回のブログ参照)。

 また、不俱戴天の敵であるイスラエルもイランを裏で支援していた。イランはパフラヴィー朝時代に軍隊の装備のほとんどをアメリカ製にしていたため、弾薬の補充やパーツの交換はアメリカの軍需産業に頼らざるを得なかった。この時、アメリカの武器会社とイラン軍との仲介役を果たしたのがイスラエル政府であった。

 イスラエルは見返りとしてイランから安く石油を輸入していた。イスラエルからすればホメイニー政権は敵ではあったが、自国から距離的により近いイスラム国家はイランではなくイラクであった。そのためイスラエルフセイン政権の強大化を恐れ、イランに叩いてもらうことでフセイン政権の弱体化を狙ったのだ。

 こうして各国は戦争のおかげで莫大な儲けを得たが、気づいた時にはよろしくない事態になっていることに気づいた。盛り返したイラン軍がイラク領内に侵入してきたのである。欧米諸国、とりわけアメリカからすると、これはよくないことであった。

 アメリカにとってこの戦争の目的は二つあった。一つは金の問題であり、武器を大量に売り、石油を安く手に入れることであった。もう一つはイラクによってイランを叩き、シーア派革命が中東にこれ以上広がらないようにすることであった。

 既に開戦から7年経っていた。おかげで二つの目的は達成できた。武器を大量に売り、莫大な利益をあげ、大量の石油を安く手に入れることができた。また7年間観察した結果、ホメイニーのイスラム革命はイラン国内にとどまり、周辺諸国には波及しそうにないことがわかった。

 これ以上戦争を続けると、イラン軍が次々にイラク領内に侵入し、イランが拡大してしまう。そうなるとホメイニー政権の勢いが増し、国外への影響力も増すだろう。そこでアメリカは国連安保理に提案した。イラン・イラク戦争終結し、互いの国境線を戦争前の状態に画定しようと。

 しかしこれはホメイニー政権からすると受け入れられないものであった。一方的に侵略してきたのはイラクである。その侵入を押し返し、反転攻勢からイラク領内に侵入、領地を一部奪い取った。多くの血の代償として取った土地を無償でイラクに返還する理由は、イラン側からすればまったくなかった。

 そもそもイラクとイランとの国境線はサイクス・ピコ協定(1916年)によって引かれたものであり、イラク人もイラン人も納得していない。彼らからすれば国境は西洋人が勝手に引いたものである。そこに戻すというアメリカの国連での提案は、イランに肩入れしない人達からしても不合理なものに見えた。

 しかし1987年7月20日、国連安保理は598号決議を採択した。これは即時停戦、国境線を開戦前に戻し、戦闘を継続する場合は経済制裁を課すというものであった。先制攻撃をしたにもかかわらず負け戦になっていたイラクは、すぐに受諾の姿勢を示した。他方、イラン側は納得できなかったので決議に対して保留の態度をとった。ホメイニー政権のみならず、イラン国民も598には納得できなかった。

 彼らからすれば国連は国際平和組織ではなく不条理な暴君に見えた。イラクが侵略してきた時には何もせず、イラクが負けそうになったら平和を唱える。7年間武器を大量に売り続け、戦争を煽り続けた末に、停戦しないと経済制裁を課すと言う。

 イラン人の立場からすれば国連は不可解な組織だが、次のように考えればわかりやすい組織である。国連の主人は人権でもなければ平和でもない。その主人は金(Money)である。だから国連の言うことは支離滅裂であり、虚ろである。

 人間が言行一致を実現できるのは、主人が自分自身である場合に限られる。自分以外の何かを主人として据え置く時、人間は虚ろになる。だから国連は口では人権、平和と言いながら、行動原理は金(Money)である。金(Money)という抽象物が主人なのだから、言葉も抽象物(スローガン)になり、中身がなくなるのである。