戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第八十回 イランとアメリカ、なぜ対立するのか ~その歴史的関係性(24)

1.両方負けるための戦争

 前回のブログで述べた通り、国連安全保障理事会は1987年7月20日、イラン・イラク戦争を終わらせるために598号決議を採択した。これは両国に即時停戦を求め、国境線を戦争前の状態に戻すというものであり、応じない場合は経済制裁を課すという内容であった。

 イラクは即座にこれに応じたが、イランは拒否した。イランのこの態度に対して、何も知らない(知ろうとしない)国際世論は反感を抱いた。イランは戦争と侵略を欲する好戦的な国だというイメージが、世界に拡がった。

 「イラン=悪」というイメージは、1979年の大使館人質事件以来、欧米社会に根付いたものであった。その中で国連の和平案をイランが拒否したわけであるから、国際世論がイランを好戦的な国だと解釈したのは当然の流れであった。イメージの洪水に飲み込まれた人間は、悪を正義だと勘違いし、犠牲者をテロリストだと思い込む。

 人間はイメージに弱い。だから権力はまずメディアを牛耳る。メディアを牛耳る者がイメージを牛耳り、イメージを牛耳る者が大衆を牛耳る。この流れに抗い、心をイメージに乗っ取られないようにするためには、個人がイメージに対して疑問を抱くしかない。

 イメージ戦略は常に世界に溢れており、この例に限る話ではない。世の中に流布しているイメージは自然に流れる風とは異なる。それは誰かによって作られたものである。「誰か」とは、そのイメージによって利益を得る主体のことである。その主体は巨大資本、つまり金のカタマリである。メディアが流すイメージに対して人々が疑問を持たず、そのまま信じてしまうなら、利益主体にとってそれほど都合のいいことはない。

 報道の主人は誰か。共産主義国家ならその主人は政府であり、資本主義国家なら金である。金は世界の大企業と投資家に集まる。ということは、大衆の心に巣食うイメージは金持ちがつくったものである。人間は誰もが自分を個人と信じている。だから自分の好き嫌いや判断は、自由意志に基づくものだと信じている。しかしその「意志」はイメージ操作によって作られたものかもしれない。

 イラン・イラク戦争では15以上の国が関わり、500以上の企業が群がった。ということは、この戦争に関する報道の主人は、国家と企業ということになる。スポンサーが決まっている以上、世界に流れるニュースは、スポンサーにとって都合のいい内容にならざるを得ない。

 この戦争の目的は単純であり、三つだと言える。一つはイラン革命の波及を抑えること。イランはアメリカの植民地であったが、独立してしまった。その影響力が他国に波及し、「おれたちも独立できるぞ」と大衆に思われたら困る。だから「革命をしたら戦争になり、焼け野原になる」というイメージを流布させることが必要であった。

 二つ目は金儲けである。先にも述べた通り、この戦争には500以上の企業が参加し、莫大な利益を得た。武器会社が儲けただけでなく、金に困ったイラクとイランが原油をバーゲンセールしたために、欧米の石油メジャーも儲かった。儲かった金は政治家や官僚、CIAにも流れたので、公務員も儲かった。

 三つめは両国の弱体化である。欧米はイラクにもイランにも勝たせたくなかった。両国の犠牲によって儲けた後は、両国が弱体化することが理想だった。結果はうまくいった。この戦争で両国は合計100万人以上の犠牲者を出し、軍隊は疲弊した。イランの対外的波及力は著しく弱まった。イラクは武器を大量に購入したことで対外債務が溜まり、借金国に転落した。

 戦争の結果、イラクとイランのどちらもが転落するというシナリオは、イスラエルにとっても理想的だった。イスラエルはこの戦争で不俱戴天の敵であるイランの味方をした。劣勢だったイランに武器を売り、イランの盛り返しに貢献した。しかしイランに勝ってほしいというわけではなかった。イランとイラクの両者が殴り合い、疲弊することでイスラエルとの交戦能力をなくすことが望みだった。

 三つの目的が達成された後で、国連は和平案を提出した。両方が疲弊し、力がなくなった後で、まるで最初から戦争はなかったかのようにする。国境線を戦争前に戻す。応じない場合には経済制裁を課す。ニュースはこれを正義と平和の調停のように報道した。国連とメディアの主人は「金(Money)」という共通の主人であるから、国連の主張とニュースの内容が共通するのは当然であった。

 しかし食い物にされた立場、すなわちイランからすれば、これほど不公平な提案はなかった。彼らからすれば、国連は不条理な機関に見えた。困った時には無視し、盛り返したら邪魔をする団体に見えた。イランはこの和平案を拒否し、戦争を継続した。結果、国際世論はイランを好戦的な悪の国と見なした。

 

2.国連の二面性(天使と悪魔)

 世界に流布するイメージからすれば、国連は人権尊重と世界平和のための機関である。しかし、国連から虐げられた経験を持つ人々からすれば、国際連合は悪魔連合に見える。果たして国連は悪魔なのか天使なのか。答えは陳腐だが、両方だろう。

 国連であっても人間の集まりである。陳腐な人間は時にはあたたかく、時には冷たいだろう。時には平和的で、時には暴力的だろう。そして人間なのだから人を助ける時もあれば、苛める時もある。人間なのだから金の魅力に弱く、そのために人を殺し、それを隠し、金でメディアを買い、良いイメージが流布するようにメディアと結託する。

 強い立場の人間からすれば、国連は頼りになるパートナーかもしれない。本音と建前を巧妙に使い分ける二枚舌かもしれない。自分の天下り先かもしれないし、取引先かもしれない。いずれにしても関連会社のようなものであり、親戚や家族のようなものであり、身近な存在である。

 逆に、弱い立場の人間からすれば残虐で冷たく、理不尽なことを要求してくる暴君のように見える。当時のイランはアメリカから独立し、アメリカの支援を受けて軍備を増強させたイラクに攻め込まれるという弱い立場にいたので、国連の暴虐ぶりを、身をもって体験する立場にいた。

 イランという虐げられた立場からすると、安保理598号という平和の使者は悪魔に見えた。その理由は598号の7年前に出された479号である。イラン・イラク戦争に関する和平案については、598号が有名である。しかしよくよく調べてみると、その前に479号が出されている。これは1980年9月22日の開戦直後、28日の安保理で決議されたものである。

 

外務省|イラン・イラク紛争に関する国連安全保障理事会決議479

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/1981/s56-shiryou-506.htm

 

 見てわかる通り、479号は内容空疎である。紛争を「憂慮」して、「解決を呼びかける」と言っているだけであり、経済制裁のような罰則もない。つまり、この時の国連は明らかに戦争を止める気がなかった。それはそうだろう。国連の常任理事国の面々は、先に記した三つの目的をこれから実現するという段階であった。そこで停戦してしまってはまったく意味がない。だから479号はあえて空疎につくったのだ。

 この直後、国連トップ5のアメリカ、ソ連、中国、イギリス、フランスはイラクに大量の武器を売り、戦争を支援した。安保理で停戦を決議したメンバーが、同時に戦争を促進したのだ。結局15以上の国が関わり、500以上の企業が群がった戦争はエスカレートし、479号が唱えた「解決を呼びかける」とは真逆の方向で進んで行った。

 その後7年が経ち、形勢逆転の結果イランがイラク領内に攻め込んだ。ここで国連は態度を翻し、「国境を元に戻す」ことを要求した。しかも従わなければ「経済制裁を課す」という罰則がついた。これはイランが多くの血によって獲得した領土を無条件で手放せという要求であった。

 479は罰則がなく、国境線の保証もなかった。つまり、479に基づいて和平交渉をしたら、イランは領土の一部を失う危険性があった。しかし598は無条件の領土手放しを要求し、罰則もある。イランからすれば、この和平案はイラクに一方的に肩入れするものに見えた。

 イラン政府は598を呑めなかった。これが国際報道として文字化されると、「国連安保理が決議したイラン・イラク戦争の和平案をイランが拒絶した」となる。そこでは479との比較や、イランが598を拒絶した背景については触れられない。結果、「イランは戦争をしたがっている」「イランは好戦的だ」というイメージが世界に流布された。

 結局、翌年にイランが598号を呑み、イラン・イラク戦争は終わった。ホメイニーは598を呑むことについて、「毒をのむよりつらい」と述べた。結果的にイラクフセイン政権は598とイメージ操作により助かった。

 しかしこの直後、フセインは国際的なイメージ操作により悪者に仕立て上げられていく。彼を助けた国際社会という天使は、あっという間にその姿を悪魔に変え、彼に襲いかかった。彼はホメイニーと戦っていた間は忠犬として重宝された。しかし終わったらあっさりと捨てられたのである。

 

3.航空機撃墜事件と停戦

 イラクの一部地域をイラン軍が占領していたが、戦局は膠着し、ソ連から支援を受けたイラク軍がスカッドミサイルでテヘランなどの都市を攻撃していた。これにより最前線の兵士や村人のみならず、戦線と無関係と思われていた大都市圏でも犠牲者が出るようになり、動揺が全国的に広がるようになっていった。

 またアメリカから購入した戦闘機によってイラクは、ペルシア湾岸のイランの石油施設やタンカーを爆撃した。報復としてイランはクウェートのタンカーを攻撃した。クウェートイラクに資金援助していたからだ。クウェートアメリカ海軍に自国タンカーの護衛を要請した。

 こうしてペルシア湾アメリカ艦隊が増派されることとなったが、その中の一隻がイラン製の機雷で破損した。報復としてアメリカ海軍がイランの石油施設を砲撃した。こうしてクウェートのタンカーを護衛するアメリカ海軍とイラン軍が小競り合いをするようになった。

 ただ、こうした苦境だけならホメイニーは598を受諾することはなかっただろう。この状況の中で衝撃的な事件が起きた。イラン航空655便撃墜事件である。

 

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イラン航空655便と同じエアバスA300型機

 

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イランが発行したイラン航空655便撃墜事件を描いた切手

 

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イラン、バンダルアッバース港に掲げられている絵

 ホルムズ海峡に停泊していたアメリカ海軍のミサイル巡洋艦ヴィンセンスは、1988年7月3日、バンダレ・アッバース発ドバイ行きのイラン航空エアバスA300B2を撃墜した。結果、66人の子どもを含む290人の乗員乗客全員が死亡した。事件から8年後の1996年、アメリカ政府はイラン人犠牲者248人に対し、補償金として6180万ドルを支払ったが、謝罪は現在までしておらず責任も認めていない。

 また米軍はエアバスをイラン空軍のF-14戦闘機だと誤認して撃墜したと説明したが、イランはそれをまったく信じなかった。というのも、パフラヴィー時代からイラン軍の武器はほとんどがアメリカ製だったため、イラン軍はアメリカの兵器に精通していたからだ。当然、ヴィンセンスという船がどのようなレーダーを搭載し、どのような性能を誇るかについてはイラン軍もよく知っていた。

 そのため、ヴィンセンスの高性能レーダーシステムが民間用のエアバスを戦闘機として誤認する可能性はほとんどないと思われたことから、イラン政府はこの撃墜は故意だったと解釈した。これによりホメイニーを中心とする戦闘継続派はアメリカに対する怒りを燃やしたが、ハシェミ・ラフサンジャニ(Hashemi Rafsanjani 1934-2017)らの穏健派は、これ以上の戦争を継続することに危機感を抱いた。

 イラン国内は長期の戦闘で疲弊しており、イラン軍はイラク領内に侵入していたが、国連トップ5から支援を受けたイラク軍は盛り返してきていた。そこに米軍が本格的に参戦してきたらイランに勝ち目はない。将来を見据えるなら、奪った領土を捨ててでも停戦し、国内復興に全力を注ぐべきであるとラフサンジャニたちは判断した。

 7月18日、ラフサンジャニ国会議長ら穏健派の説得に応じたホメイニーは、それまで頑なに拒んでいた598号を苦渋の決断として受諾した。これを受けて8月20日、イラン・イラク戦争は停戦となった。

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Rafsanjani and Khomeini

 1989年、ラフサンジャニは大統領になる。穏健派・現実主義者の代表格と見なされた彼は、ヨーロッパやアメリカとの関係改善に尽力した。またイランの近代化にも力を入れ、女性の権利向上や文化の自由化を推進した。結果、イスラム革命の初期には禁止されていた音楽や映画の自由も拡大した。これは当然に保守強硬派の反感を招いた。

 2017年、ラフサンジャニは心臓発作で亡くなったが、放射性セシウム心筋梗塞を引き起こすことが知られている。ラフサンジャニが病死なのか殺されたのかはわからないが、対米穏健派であれば、イランでは危険な立場にならざるを得ない。イラン・イラク戦争も含めた歴史の苦しみは、現在のイランにもはっきりと残存している。それがラフサンジャニの死に方にも、色濃く現れているようである。

 

イラン元大統領死去1年 娘「体内から放射性物質

https://www.asahi.com/articles/ASL155DZ8L15UHBI016.html

 

福島で心筋梗塞による死亡が急増!セシウム汚染との因果関係は?

https://lite-ra.com/2014/09/post-449.html