戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第八十一回 イランとアメリカ、なぜ対立するのか ~その歴史的関係性(25)

1.解放と抑圧の革命政府

 「毒を呑むよりつらい」と表現しながら、ホメイニーは国連安保理決議598号を受諾した。こうして「イラ・イラ戦争」と呼ばれた8年間の戦争が終わった。正確な死者数はいまだに不明であるが、少なく見積もっても、イラン人75万人、イラク人35万人の兵士・民間人が戦死したと言われている。

 戦場となったイランのフーゼスターン州は荒廃し、後には破壊された石油施設が残った。テヘランなどの大都市もスカッド・ミサイルの攻撃によって部分的に破壊された。大量の戦死者と負傷者を出し、課題は山積みであった。他方、イラクの方も598号によって国境線を戦争前の状態まで回復したものの、大量の武器を購入したことで溜まった対外債務により経済が苦しくなった。

 結局、両国にとって成果のない戦争だった。これは欧米諸国にとってシナリオ通りであった。目論見通り、イランとイラクのいずれも勝たず、両方とも疲弊したのである。戦後、両国はそれぞれ国内の立て直しに邁進せざるを得なかった。

 イスラム革命が起きてから約一年後に戦争が始まった。そのため、革命政府は戦争とともに歩んだ政府と言えた。船出したばかりのホメイニー政権は戦争という緊急事態により窮地に追い込まれたと同時に、国内の反対勢力を駆逐するチャンスを得た。政権は反対派に対する拷問や処刑を次々に実行し、大量のイラン国民を葬った。これは平時なら不可能なことであり、戦時ゆえにできたことであった。

 戦争という緊急事態を利用することで、政権は権威ある宗教勢力を放逐し、改革を断行したと同時に、国民から人権を部分的に奪った。そのため、革命政府のイランはパフラヴィー朝よりも近代化した部分もあったが、後退した部分もあった。それは解放と抑圧が奇妙に混じり合った政治であった。

 抑圧と後進性の象徴が、ハッド刑であろう。欧米人からすれば、ホメイニー政権が定めた刑法はイスラムの後進性を示すものであり、嫌悪感を催させるものであった。ハッドとは「境界」を意味するアラビア語であり、伝統的なイスラム法による刑罰を意味する。それは公衆の面前で犯罪者の指や手足を切り落とし、あるいは石打をし、磔にするというものである。

 例えば窃盗犯に対しては、初犯なら指を切り落とし、二回目は手首を切り落とすなど、徐々に切断部位を広げていく。婚外性交渉は未婚の者なら100回の鞭打ち、既婚者は石打による死刑である。同性愛者、無神論者、バハーイー教徒も死刑である。

 他方、性同一性障害の患者に対する性別転換手術は、日本より20年早く合法化されており、手術の数は累計でタイに続く世界二位である。これはホメイニーが性別転換手術について「罪なことではない、苦しみから解放されるためには手術は必要だ」とする宗教見解を出したことにより、反対派の口が封じられ、制度として確立されたことによる。

 宗教政策においても、解放と抑圧が入り混じる。イラン・イスラム共和国憲法は、ユダヤ教キリスト教ゾロアスター教の権利を認めており、シーア派以外のイスラム教徒に対しても「完全な敬意が払わなければならない」と規定している。そのため、それらの宗教はそれぞれの信条に基づく教育権が認められており、例えばキリスト教系の学校にイスラムの教えや戒律は強制されない。

 しかし、そうした自由が認められるのは上記の宗教だけであり、その他の宗教には基本的に自由は認められない。国家が禁教として指定した宗教に対しては更に厳しく、信者は見つかり次第、原則死刑である。先にも記した通り、バハーイー教徒は見つかり次第死刑であるし、無神論者もそうである。イスラムを棄教した者も死刑である。

 現在のイランの大統領であるロウハニは、「イランには二級市民は存在しない」と述べ、憲法上あらゆる市民が平等であることが保障されていると述べる。しかし実際には、異教徒が社会の中枢に入ることは不可能であり、時には逮捕、死刑に処される危険性がある。

 もちろん、こうした政府の姿勢に対しては様々な立場の人達が反発している。イランは日本と違い、国民的な同調圧力によって一体性を保てる国ではない。国内に様々な民族や宗教を抱える多様性の国であるゆえに、解放と抑圧、飴と鞭によって、危うい均衡を保っているのである。

 

2.女性の解放と抑圧

 女性の人権についても、革命政権では解放と抑圧が混在する。パフラヴィー朝時代と違い、ホメイニー政権下ではヒジャブ(ヘジャブ hijab)が義務化され、宗教警察が監視人として街を巡回し、目を光らせる。イランの女性は服装次第では逮捕され、ハッド刑に処される可能性がある。5歳の少女が街中でスカートを履いたことから、鞭打ち刑に処された例もある。

 

ヒジャブを手に自由を叫ぶイラン人女性たち

https://www.vice.com/jp/article/ywqzd5/growing-up-as-a-girl-in-iran-fashion-was-always-a-form-of-protest

 

 他方、女性の支持によってイスラム革命が成り立った部分は大きかったため、ホメイニーは女性の社会進出と地位向上を政策の柱とした。もともと革命はデモや市民集会を基盤として起きたものであり、女性の働きが欠かせなかった。この流れは革命後も続き、ホメイニー政権は預言者ムハンマドの娘ファーティマの誕生日を「女性の日」と定め、大規模な女性集会を組織してきた。

 もともとイランではパフラヴィー朝時代の白色革命において、女性の権利の近代化はある程度進んだ。一夫一婦制、女性参政権、離婚の権利が認められるようになった。しかし、都市部では進んだ女性解放の動きも、農村部では保守的な傾向が維持された。そのためホメイニー政権は、パフラヴィー朝時代よりも女性の教育機会の拡充に力を入れ、特に地方の改革に尽力した。

 その結果、イランでは全国的に女子就学率が上がった。学校での女子比率は、小学校では1975年の31%から2003年には48%となり、中学校では37%(1976年)から48%(2003年)、高校では36%(1978年)から48%(2008年)となった。つまり小中高ともに男女比率が5対5となったのである。

 また大学に進学するための統一試験合格者に占める女子比率も、革命以後に増大した。1998年には男子を抜き女子割合は52%に達し、2002年には62%となった。現在のイランにおける大学進学率の男女比率は、医学、人文、基礎科学、芸術の各専攻において女性優位となっている。

 とは言っても、基本的にイランの社会構造は男尊女卑であり、特に政治的な分野に女性が進むことは極めて困難である。女性の国会議員の数は少なく、女性が大統領になることは現在の状況では考えられない(副大統領は女性である)。以下のページによると、イランの女性議員の割合は5.9%、世界ランキングでは184位である。

 

世界の女性議員割合 国別ランキング・推移

https://www.globalnote.jp/post-3877.html

 

 なお、日本は14.4%で、147位である。日本はイスラム法という壁があるわけではないのに、男女平等がなかなか進まない。これはある意味、中東の国々より深刻な状況なのかもしれない。日本が男女平等ランキングでイランに負けることは恐らく今後もないだろう。しかし、他の中東諸国に追い抜かれる可能性はある。

 

「男女平等」で前進するアラブと停滞する日本

https://blogos.com/article/424606/

 

政治における日本の男女平等はイランより一つ上の世界144位

https://www.newsweekjapan.jp/kimura/2019/12/144.php

 

世界経済フォーラムが「ジェンダー・ギャップ指数2020」を公表

http://www.gender.go.jp/public/kyodosankaku/2019/202003/202003_07.html

 

3.矛盾の背後にある三つのエネルギー

 8年間の戦争が終わり、やっと平和を享受できるようになったイランにおいて、ホメイニーは死去した。終戦から一年経っていなかった。1989年6月3日、ホメイニーは「灯りを消してくれ、私はもう眠い」を最後の言葉として亡くなった。後任の最高指導者にはアリー・ハーメネイーが就き、革命政権は現在も続いている。

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Shinzo Abe and Ali Khamenei in Tehran, 13 June 2019

 長きに渡るイラン・イラク戦争と、戦後一年経たないうちにカリスマが死去したことにより、欧米やスンニ派イスラム諸国が心配したイスラム革命の国外への波及は起こらなかった。翌年9月10日、イラン・イラク間で国交が回復した。他の中東諸国やヨーロッパ各国とも交流は回復し、現在においてイランと完全に敵対している国はアメリカとイスラエルくらいのものである。

 イラン国内では、ホメイニーの死後も基本政策は変わらずに進められた。それはイランの先進性と後進性、解放と抑圧、寛容と偏狭が入り混じるものであった。なぜこのような矛盾した政治が続くのかという問いに回答するためには、まずは革命政権の成り立ちについて思い出さなければならない。

 ホメイニー政権は革命により生まれたものであり、革命は民衆を基盤として起きたものであった。ホメイニーは民衆のカリスマとして、異端の宗教家から国のトップにまで登りつめた人物であり、彼をそこまで担ぎ上げたのは国民であった。そのため彼は国民の期待に応え続けなければならなかった。

 ホメイニーを底辺から頂点にまで押し上げたエネルギーは、虐げられ、不満を抱えた民衆のエネルギーであった。そのエネルギーの源は裏切りによる絶望と表裏一体となった渇望であった。モサデク政権を潰し、パフラヴィーによる抑圧を裏で支え、石油を強奪したアメリカを、イラン人は忘れない。その怒りのエネルギーが民衆を衝き動かしたが、それについては以下の三つの側面から説明ができるだろう。

 

(一).アメリカから独立したいという渇望

 長年にわたるアメリカの搾取と抑圧により、民衆の中ではアメリカに対する嫌悪感と反発心が溜まっていった。その中で穏健派と違い、アメリカを「大悪魔」と言って非難するホメイニーは民衆の共感を呼び、熱狂を誘った。

 

(二).パフラヴィー朝時代に蔓延した自由主義・資本主義への嫌悪感

 白色革命によりイランの近代化は進んだが、文化と生活の欧米化、伝統とイスラムの軽視、若者たちのモラルの低下は、保守層の反発を招いた。その元凶をパフラヴィー政権とその裏にいるアメリカと見た保守層は、独立派とともにホメイニーを支持した。

 

(三).民主主義や人権に対する渇望

 モサデク政権を潰されたことに恨みを持つリベラル派は、ホメイニーの求心力を利用してリベラル政権を打ち建てることを目論むが、革命の過程でホメイニーに実権を握られ失敗する。しかし、リベラルを希求する水脈はイスラム政権においても続いており、ラフサンジャニやハタミのような民主派の大統領を生み出す源泉となっている。

 

 イランは結局のところ、上記(一)(二)(三)をエネルギーとして動く国家である。つまりそこには「独立」「保守」「リベラル」の三方向のエネルギーが存在する。そのため、あらゆる政策決定においてこれら三つのエネルギーが組み合わさり、混じり合うため、矛盾を孕むものとならざるを得ない。

 例えば女性の地位向上のための政策が推進され、女性の方が男性よりも大学進学率が高い国になっている。これは(三)「リベラル」的なエネルギーの結果でもあるが、国防の観点からも社会の要衝において優秀な女性が必要だということでもある。それは(一)「独立」のエネルギーからの要請でもある。

 同時に、それは女性に対する抑圧ともなる。例えばスカートをはいて街を歩いたら宗教警察に捕まり石打刑になる。これは女性を解放し、同時に抑圧するという矛盾であるが、女性解放だけでは(二)「保守」の欲求が満たされない。伝統と戒律を重んじる保守層の支持を政権が得るためには、(二)のエネルギーを満足させる必要があるために、女性を宗教で縛るような抑圧的な政策が実行されるのである。

 この矛盾は国の政策のみならず、国民感情における矛盾として人々の心に浸透する。それは欧米に対する怒りを抱えながら、同時に憧れるという矛盾である。日本人よりも自国の歴史的変遷を遥かに知っているイラン人は、欧米に対する強い嫌悪感を持つ。しかし、長年希求してきた自由と民主主義が現在も達成されていないことから、その失望は欧米に対する憧れに転化する。

 

「米国人と話してみたい」=対立イラン、憧れと憎悪渦巻く

https://sp.m.jiji.com/article/show/2264876

 

イランにもいるギャル系・おしゃれ女子 風紀警察と駆け引き

https://withnews.jp/article/f0160831004qq000000000000000W03510801qq000013913A

 

 世界に衝撃を与えたイスラム革命から、今は40年が経つ。若い世代を中心に、イスラム体制は国民を解放する革命のイメージから、窮屈な権威のイメージへと変わりつつある。アメリカからの独立を守り、アイデンティティーの保持を望むエネルギーを内に抱えながら、イスラム体制という権威から解放されたいというエネルギーも増大しつつある。

 アメリカは長きに渡ってイランに対する経済制裁を実行し、特にトランプ政権は圧力を強めている。これによりイランでは若年層の失業率が上昇し、貧富の格差が増大している。そこで溜まりつつある不満のエネルギーが、自国の政権に対して向くのか、それともアメリカやイスラエルという外国へ向かうのかはわからない。

 だが、いつでも暴発する可能性があるのは確かだろう。イランが暴発すれば、その効果がイラン一国だけにとどまることは絶対にない。それは中東のみならず、世界的な波及効果を持つだろう。国民の深層心理に溜まった不満が、ちょっとした事件として起きるかもしれない。些細な事件をきっかけに、人々の心が燃え滾り、イラン全土、果ては中東全体を燃やすかもしれない。石油の街アーバーダーンで生まれた小さな火が、世界的な大火災へと発展する可能性は常にあるのである。