戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第八十四回 イランとアメリカ、なぜ対立するのか ~その歴史的関係性(28)

1.イランがとった国際妥協路線

 どこの国もそうだが、イランも一枚岩ではない。保守派もいれば革新派もいる。反米派もいれば親米派もいる。様々な民族がおり、宗教も統一されていない。内部分裂は深刻であるから、あちらを立てればこちらが立たない。つまり、イランの政権は何をやっても誰かの反発を招くという難しい立場にある。

 例えばイラン核合意もそうであった。2015年7月14日、イランのロウハニ政権は米、英、仏、独、中、露の6カ国とともに核合意を成立させた。これはイランが原子力施設を保持しつつも濃縮ウランをつくらないという内容の合意であり、核兵器を放棄するということであった。

 当然、これにはイラン国内の保守層から反発を招いた。不俱戴天の仇であるイスラエルは核ミサイルをイランに向けている。それらの大量破壊兵器はいつでも発射準備が整っており、一瞬でイランの各都市を壊滅状態に陥れることができる。もちろん、イスラエルは自国が核保有国であることを公に認めていない。しかし、イスラエルが核大国であることは世界の常識である。

 

イスラエルを「核保有国」と表現、ネタニヤフ首相が失言

 

イスラエルの核戦力一覧長崎大学 核兵器廃絶研究センター

 

 アメリカ主導の国際世論がイランに対して核保有を禁止し、イスラエルに対して黙認するというのは、イランの立場からすれば不平等に見える。そのためイランでは核武装が準備され、原子力施設がつくられた。原発をつくって電力を供給するためではない。それは明らかにイスラエルの核ミサイルに対抗するためにつくられた施設であった。

 こうした状況下でイランが核武装を放棄するという政策を実行すれば、当然政権に対して保守層から怒りが向けられる。イランの保守派からすれば、核ミサイルの放棄は欧米に屈する負け犬の態度でしかない。となれば、イランの政権に対して天誅をくだすべきだと考える国民も出てくる。つまり、イランの政権は一挙に命の危険にさらされることになる。

 命の危険にさらされながらも国際協調(妥協)路線にロウハニ政権が合意したのは、長年続く経済制裁に終止符をうちたかったからである。脱経済制裁を公約に掲げ当選したロウハニ大統領としては、何とかして経済制裁から脱却し、欧米との関係を改善しなければならなかった。それをしなければ彼に投票した国民を裏切ることになり、支持者から天誅をくらう可能性があった。

 イランの大統領は欧米との協調路線をとれば強硬派から殺される可能性があり、強硬路線を取れば経済成長派から殺される可能性がある。どちらに進んでも強烈な反発が生じるわけだから、危険な仕事である。結局、数が多い方、つまり世間の空気に従うことで、より反発が少ない方の政策を実行せざるを得ない。

 現在のイランで国際協調派が過半数を占めているのは、革命から約40年が経ち、革命を知らない世代が増えていることによる。イランの若者にとって、イスラム共和国体制は生まれた時から存在するものであり、自分達の運動で作ったものだという意識はない。また長引く経済の冷え込みによって、革命政権がとる反米スローガンを冷ややかな目で見る国民が増えている。

 

イランの人たちの“本音”を聞いてきた|国際報道2020|NHK

 

 「アメリカに虐げられた」という記憶と体験の熱気が漂っていた時には、核合意は絶対に成立しえなかった。そんな政策は口に出しただけで非難の雨に晒されたであろう。しかし時が経ち、経済も冷え込み、イラン国民はアメリカと敵対することに疲れた。そのためイランは核武装という拳を下げることに合意した。

 これは革命の情熱を心に維持し、ホメイニーの顔をはっきりと覚えている世代や、民族派、保守派の人々をがっかりさせ、怒りに燃えさせた。しかし、全体の流れは変わらなかった。かつての敵と関係を持ち、欧米諸国と国交を回復し、経済を回復させる。それが全体としてのイランの流れであり、国際妥協路線であり、革命的な妥協であった。

 

2.イランとアメリカ、片思いの関係

 少子高齢化に歯止めがきかない日本からすれば、イランの人口構成は極めて健全であり、羨ましいものであろう。つまり、イランでは20代、30代の若者が多い。

 

イラン人口ピラミッド - World Life Expectancy

 

 若者からすればホメイニーというカリスマは、壁に貼られた写真の人物、つまり過去の人である。アメリカによりイランが苦しんだという歴史は、若者も知っている。しかし、そうは言っても若者としてはアメリカ製のパソコンやアップルのスマートフォンが欲しい。アメリカ発の音楽、映画、ファッションは魅力的であるし、英語を勉強し、世界に羽ばたきたい。

 どこの国でも若者はそうである。そうした若者の情熱を国家がイデオロギーや法律で押さえ込んでも限界がある。若者が少なく、老人ばかりの国ならともかく、若者の情熱が社会の基盤になっているような国家においては、若者の意向を政策に取り入れざるを得ない。

 結局のところ、革命以後のイランは孤高の存在から脱却し、徐々に「普通の国」を志すようになった。普通に欧米と交流、取引し、その還流により経済発展する国である。宗教的戒律とイスラム法で若者を縛り付けることには限界がある。宗教と伝統を維持しつつも国内を徐々に解放し、国際舞台で対等にコミュニケーションする「普通の国」をイランは目指すこととなった。

 

緊迫の中東情勢「イラン人は米国が好きって本当?」|日経ビジネス

 

イスラム信じない!アメリカ大好き! 人に言えないイラン人の本音

 

イラン人はアメリカが大好き。日本以上に。|常見藤代|note

 

 イランが宗教的原理主義から脱却し、「普通の国」になる。国際交流が頻繁になり、経済発展し、内外の資産が還流する。イスラム法の緊縛から逃れたイランの若者が欧米の大学に留学し、世界で活躍する。それは確かにいいことなのだろう。アメリカの人権派や革新派も笑顔になりそうなストーリーだ。

 

しかし、果たしてそれはいくら儲かるのか?

 

 イランが閉鎖的な国から脱却し、平和と発展を志向し、若者が世界進出したところで、それがどれだけの利益を生むのか。アメリカの富裕層、つまり投資家たちにはわからない。つまり、アメリカの人口の1%である金持ち層からすれば、イランの利用価値は原油などの資源である。彼らは外国を見る場合、どれだけ儲かるかという観点しか持たない。

 パフラヴィー朝時代のイランはアメリカの植民地であった。だからアメリカの金持ちもそれなりにイランに対して関心(interest)を持っていた。しかし1979年以後のイランは独立国であり、アメリカに対して資源を横流しする国ではない。だからアメリカ人がイランに対して関心(interest)を持つことは無意味なのだ。

 金持ち以外の99%のアメリカ人は、イランが地球上のどこにあるのかすら知らない。つまり、イランとアメリカは複雑な関係のようでいて、その実単純である。それは明らかな片思いである。

 

地図上でイランの正しい位置を特定できたアメリカ人はわずか23%だった件が世論調査で明らかに

 

3.日本になるかならないか

 2018年5月8日、トランプ大統領はイラン核合意(JCPOA Joint Comprehensive Plan of Action 包括的共同行動計画)の離脱を表明した(詳細は第十回ブログ参照)。それは「片思い」の関係が露見した瞬間でもあった。多少でも愛情関係があるなら、一度交わした約束を一方的に破棄することはできない。

 イラン人にもユダヤ人にも、中東の文化や歴史にも興味がないトランプにとって、明らかにそれは取引(deal)であり、政治利用であった。2016年大統領選挙の支持基盤であったキリスト教福音派シオニスト富裕層に彼は恩返しをしなければならなかった。しなければ2020年の再選はありえないし、その前に殺されたかもしれない。

 

トランプ流「福音派ファースト」が招く中東危機

 

 ただ、トランプの大統領就任以前においても、アメリカは基本的にイランと平等互恵の関係を築く意思はまったくなかった。イスラム革命時以後、アメリカ政府はイランを反米国家と認定し、イランに対する国交断絶、経済制裁、敵視政策を一貫してきた。

 1984年にレーガン政権がイランをテロ支援国家と指定して以来、現在も変わっていない。1995年にはクリントン政権が、イランとの貿易、投資、金融の禁止措置を実施した。翌年、アメリカ議会はイランとリビアの石油・ガス資源を開発する企業を制裁するための「イラン・リビア制裁法」を可決し、クリントン大統領が署名、成立した。

 2001年と2006年には米議会は制裁期間を延長する法案を可決し、ブッシュ大統領が署名、成立した。現在に至るまで、この制裁は継続している(リビアカダフィ政権が転覆され制裁解除されている)。またブッシュ大統領は2002年の年頭教書において、イランを悪の枢軸と指定した。

 2008年1月ブッシュ大統領は、クウェートバーレーンUAEサウジアラビア、エジプトを訪問し、各国政府に対し、イランをテロ支援国家と認識し、国際的なイラン包囲網への参加と協力を要請した。ただ、中東各国はイランとの友好関係の形成を推進中であったため、ブッシュ大統領は賛同を得られなかった。

 こうした中、2015年7月14日、オバマ政権下でイラン核合意が成立した。それは先にも述べた通り、ロウハニ政権の革命的な妥協の賜物でもあった。ここから新しい時代が到来するかと思われたが、その期待は3年もたなかった。トランプ政権になって以来、イランとアメリカはイスラム革命以来最悪の関係となっている。

 結局、イランがアメリカと国交を結び、経済制裁の解除を果たすためには、アメリカに対しイランがどれくらい儲かる国なのか、その青写真を明確な数式で提示するしかないだろう。それはある意味、イランの独立性を捨て、自国を切り売りすることであろう。

 アメリカにとって「テロ国家」とは、儲かるための青写真を提示せず、独立を主張し、資源について「開国」しない国のことである。イランが国家体制をパフラヴィー朝時代のような形に戻すなら、アメリカは大歓迎であろう。すぐに国交が樹立され、立派な大使館が建てられ、イランの若者は大量にアメリカに留学できるであろう。

 代わりに米軍基地が至る所に置かれ、大量のアメリカ人がイランに流れ込み、原油と金融の株主はアメリカ人になるだろう。それは、政治家、官僚、大企業、メディアがアメリカに乗っ取られた国が完成することである。わかりやすく言えば、日本のようになる。

 イランとアメリカの関係は複雑だと言われている。しかしある視点から眺めるなら単純になる。つまり日本のようになるか否かである。イランは日本になりたくない。他方、アメリカはイランに日本になってほしい。両国で日本を間に置いて、綱引きが行われている。この戦いに日本人は完全に蚊帳の外であるが、意外にも「日本」という言葉は両国でキーワードなのかもしれない。