戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第百九回 コロナより恐い同調圧力

1.誰がコロナを恐れるべきか

 ワクチンを打つなら、中身について何も知らない方が気楽かもしれない。「知らぬが仏」というものである。だがこのブログの常連読者でそういう人はいないだろう。自分の体に何が入るのか。真っ当に物事を考える人間なら疑問を抱くはずである。それゆえ、前回まではコロナウイルス修飾ウリジンRNAワクチンのメカニズムおよびそのリスクについて考察してきた。

 もちろん、リスクを知りながらもワクチンを接種したいという人もいるだろう。これからアメリカに移住するという人なら、ワクチンを打ってから行きたいと思うかもしれない。あるいはコロナ病棟で働く医療従事者なら、感染リスクを避けるためにワクチンリスクを取るかもしれない。いずれにせよ、様々な状況があり、それぞれの人の判断がある以上、ワクチンを全否定しても意味がないのであろう。

 全肯定も全否定も賢明ではない。となれば、他の人の判断はまず横に置き、自分のリスク状況について知ることが肝要であろう。このウイルスの特徴はいくつかあるが、顕著な点が二つある。一つは日本人のリスクが格段に低いこと、もう一つは年齢によってリスクの差があることである。

 一つ目は国の違いである。アメリカでの新型コロナウイルスによる死者数は約60万人、他方、日本では約1万5千人である。アメリカの人口は約3億3千万、日本は約1億2千5百万である。つまり、圧倒的にアメリカよりも日本のリスクは低い。アメリカではワクチンの価値は高いだろう。だが、日本ではそこまでではない。

 二つ目は年齢による違いである。国立社会保障・人口問題研究所によると、2021年6月28日時点での新型コロナウイルス年齢別死亡者数は以下の通りである。

 

新型コロナウイルス感染症データ|国立社会保障・人口問題研究所

 

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新型コロナウイルス死亡者数 国立社会保障・人口問題研究所 2021年6月28日

 

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新型コロナウイルス死亡者数 国立社会保障・人口問題研究所 棒グラフ 2021年6月28日

 20歳未満の死亡者はゼロであり、20代は男女あわせて7人である。なお、2020年に自転車事故死亡者数(30歳未満)は33人である。

 

news.yahoo.co.jp

 

 となると、若者からすれば新型コロナウイルスよりも自転車事故の方が脅威である。だが、誰も若者に自転車に乗るなとは言わないだろう。であれば、大人たちが少年少女、若者たちにワクチン接種を強要すべきではない。

 結局、感染リスクとワクチンリスクを比較衡量すべきは、まずアメリカ人やブラジル人、インド人であろう。日本人であるならリスクは格段に低い。その中でもリスクがあるとすれば70代以上の年齢層である。

 とは言っても、個別事情による不安があろう。既往症がある、職場でクラスターが発生した、高齢者施設など集団的な居住空間で暮らしている等々、の事情である。あるいは逆に、高齢者であっても独り暮らしで健康に自信があり、既往症もないためリスクは低いという人もいるだろう。

 そうした様々な事情は、あくまで個別的なものであり、その人の状況はその人のものである。そういった個々人の状況によってリスクが大きく変化するにもかかわらず、一億総ワクチンという流れはあまりにも全体主義的であるし、暴力的である。この風潮が今後加速するなら、ウイルスやワクチンより、同調圧力の方が余程恐ろしいとなるだろう。

 

2.「デマに注意せよ」というデマ

 予防接種法9条においてワクチンの接種は「努力義務」となっている。だが国民が接種のために努力すべきというのはおかしな話である。我々はワクチンについて正確に知り、正しく考えることが義務のはずである。接種はその義務が果たされた上での行為の帰結に過ぎない。何も考えずに国の言いなりになってワクチンを打った人が、一体、何の「努力」をしたことになるのか。

 逆に、自分で考えるという努力の結果の判断として、接種しないことを決断した人が、まるで努力義務の懈怠であるかのように思われるのは心外であろう。努力せず、陰謀論を信じる人たちが、ワクチンを拒否しているという構図が世の中で信じられつつある。政府やマスコミもそうした「非国民」を糾弾する流れとなっている。

 だが、前回までのブログの内容を読んでもらえればわかる通り、私がこれまでワクチン考察の材料としてきたものは徹底的に科学的な知見であり、陰謀論ではない。また、そもそも科学者でない私が科学的にワクチンについて調査するという労力を背負う羽目になったのは、政府、メディア、御用学者たちが肝心なことを隠し、ワクチンの良い面ばかりをアナウンスし、そのリスクについて沈黙に徹するからである。

 日本の新型コロナウイルスワクチン接種担当大臣は、河野太郎氏である。つまり氏がこの国のワクチン接種の最高責任者である。その氏がワクチンデマに騙されないために注意を喚起する文章を書いている。氏は科学的な知見に基づき、非科学的なデマに惑わされないことの重要性を説いている。しかし残念なことに、最高責任者の文章自体に科学的に疑わしい点が数か所ある。

 

www.taro.org

 

 例えば氏は、「長期的な安全性がわからない」という項目について、「コロナワクチンの長期的な安全性について特段の不安があるということはありません」と断言しているが、長期的な安全性について不明であることについては、これまでのブログで何回も指摘してきた通り、ファイザーの説明書に書いてあることである。

 ファイザーが説明書にそう書くのは当然である。なぜなら世界のどんな優秀な学者であっても、このワクチンの安全性についてはまだわからないからである。長期的な安全性については、今後接種が進む中で判明していくことであり、今の時点で「不安はありません」と断言することは極めて非科学的である。よって「長期的な安全性がわからない」というのは科学的な事実であり、デマではない。

 また氏は「ADE(抗体依存性増強現象)が起きる」という項目について、「ADEの可能性は考えにくいとされている」と述べているが、これも今後わかってくる事項であって、今の段階ではわかりようがない。世界中の学者にわからない事項が、彼の特別な透視能力でわかるとでも言うのだろうか。もちろん「必ずADEが起きる」と言えばデマだろうが、「起こらない」と言ってしまえばそれもデマだ。

 その他河野氏の文章の細かい点についてはシカハンターさんが説明しているので、以下を参照していただきたい。いずれにせよ、氏は「デマに騙されるな」と言うが、氏の言っていることにデマが混ざり込んでいる。このような信用に価しない文章を書いておきながら、「デマに騙されるな」と言っても説得力に欠けるだろう。

 もちろん、氏は科学者ではない。だから科学的に誤った部分があっても致し方ない面もあるかもしれない。そう思っていたら、文章の最後にこう書かれてあった。

 

『この項は「こびナビ」(covnavi.jp、@covnavi)の監修をいただいております。』

 

 「こびナビ」は推進派の学者により運営されているサイトである。つまり、河野氏の文章は素人の筆のみで書かれたものではなく、プロの科学者の監修により出来たものである。プロが監修しておきながらこの杜撰な文章では、プロに対する信頼も怪しいものとなる。「デマに騙されるな」と言う人の言葉が、デマである可能性があるのだ。

 

www.youtube.com

 

 3.デマに殺される

 推進派の学者や政府関係者は、「デマに騙されるな」と繰り返し述べるが、このワクチンの最大のデマは「ワクチンを打てば感染しなくなる」ではなかろうか。多くの人が、ワクチンを打つことは自分の命を守るためだけでなく、人にうつさないためだと考えている。

 

news.yahoo.co.jp

 

 報道の最前線で普通の人よりも格段にコロナ情報に多く接している宮根氏が、「ウイルス感染」と「疾病」の区別すらついていないことは驚きである。SARSコロナウイルス2(Severe acute respiratory syndorome coronavirus 2)というウイルスと、COVID‐19(coronavirus disease 2019)という疾病は、全くの別物である。

 SARS2ウイルスに感染したからといって、COVID‐19という病気が発生するとは限らない。むしろ、ウイルスに感染する人のほとんどは何も起きない。その中の一部でCOVID‐19という疾病が発生し、またその中の一部の人が重症化し、またまたその中の一部の人が死にいたるのである。

 ワクチンの役割は、体内に入ったウイルスに対して、事前に準備した抗体によって攻撃させることであり、他人にウイルスをうつさないことではない。ワクチンには、体内に入ったウイルスの増殖を防ぎ、COVID‐19の発生を防ぐ力はあるかもしれないが、他人にウイルスをうつさない効果まで期待すべきではない。

 

toyokeizai.net

 

 ワクチンを打てば、人に迷惑をかけるリスクが減り、気が楽になる。これは「ぬか喜び」かもしれない。まあ、本人が喜ぶ分には問題はないかもしれない。だが、これは簡単に同調圧力に転化しうる。ワクチンを打てば人に迷惑をかけないとなれば、ワクチンを打たない人は迷惑だとなるのだ。こうしてワクチンを打たない決断をした人が、非国民として非難される構造が出来上がる。

 

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 前回のブログで紹介した福岡県の26才の女性看護師は、ワクチンを打つことに躊躇いがあったそうだ。もしかしたら彼女はワクチンリスクについて自分で調べて知っていたのかもしれない。だが、結局のところ接種した。コロナが恐いというよりも、同調圧力、すなわち人間に対する恐怖のために、接種を選択せざるを得なかったのだ。接種の4日後、彼女は自宅で死亡していた。

 1945年、沖縄ではガマ(洞窟)での集団自決が頻繁に起きた。米軍に捕まれば男は虐殺され、女は辱めを受けてから虐殺されるというデマが強く信じられていたからだ。死ぬか生きるか、ギリギリの状況を生き延びた上原さんは、「あの時の教育は本当に愚かだった」と語る。

 

www.okinawatimes.co.jp

 

 だが、現在の我々は「あの時」を脱却できているだろうか。はなはだ疑問である。今日もワクチンについてのデマは飛び交っている。ワクチンを打てば他人に迷惑をかけない綺麗な体になれるという信仰が広まっているのである。そしてコロナよりも人間が恐いゆえに、打ちたくないと思いながらも仕方なくワクチンを打っている人たちがいる。今、この瞬間に、打ちたくないワクチンを打っている若者がいるのだ。

 

toyokeizai.net

 

 果たして、上原さんの体験は過去の遺物なのだろうか。もう二度と繰り返されることのない愚かな昔話なのだろうか。私にはそうは見えない。チビチリガマは「終わった」ものではない。むしろ我々がそれを忘却の彼方に捨て去れば捨て去るほどに、それは形を変えて復活する。デマを信じ、他者を非国民と非難する我々のもとに、あの時の亡霊が再び現れる。装いも新たに、進化した形で現れるのである。