戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第百十九回 積極財政は「ばら撒き」ではなく「返還」である

1.通貨発行についての勘違い

 世間とは何か。答えは様々である。おびただしい量の世間論があり、見解を一つに統一することは難しい。だが、ある視点からすれば答えは単純になる。それが「金(Money)」という視点である。百花繚乱の世間論と違い、「金(Money)」という一点から透過すれば、世間は著しく単純化する。すなわち、世間とはお金に関して勘違いした人々による共同体である。

 誰かの勘違いは、誰かの利益である。庶民は知らぬ間に金を吸い取られ、金融資本家は巨利を得る。そもそも人々は、「金(Money)」の出所について勘違いしており、紙幣は政府が発行していると思い込んでいる。だが真実は異なる。

 確かに印刷は国立印刷局が行っている。だがそれはプリントアウトにすぎない。本の権限が印刷所ではなく出版社にあるように、国は紙幣を発行する権限を持たない。証拠は身近にある。財布の中から一万円札を取り出して、よく見てみるとよい。日本国紙幣とはどこにも書かれていない。日本銀行券と書かれている。

 

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日本銀行券 一万円札

 

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渋沢栄一デザインの一万円
渋沢栄一の師匠がフランスの銀行家ポール・フリュリ=エラール(1836-1913)であり、エラールのボスはアルフォンス・ド・ロスチャイルド伯爵(1827-1905)であった。

 日本国民の誰もがこの紙幣を使い、これがなければ飢え死にする。つまり国民生活の根幹である。仮に生活に困って、本物と見分けがつかない精巧な一万円札を自分で作ったら、偽札作りとして犯罪である(通貨偽造罪:刑法148条)。なぜ犯罪なのか。多くの人は言うかもしれない。札を作っていいのは国だけだと。

 だが日本銀行は政府機関でもなければ国立銀行でもない。JASDAQに上場している民間の法人である。なぜ民間法人が紙幣を発行するのか。なぜ一法人の「券」が、生殺与奪の権を握るのか。不可思議な制度である。だが、誰も疑問に思わない。

 確かに、かつては国だけが通貨発行権を持っていた。江戸時代に日銀は存在しない。イエス・キリストは言った。「カエサルの物はカエサルに、神のものは神に返しなさい(マルコ福音書12章17)」。カエサル、つまり国家は通貨であり、通貨は国家であった。

 ところが19世紀、国立であった中央銀行に民営化の波が襲いかかる。ナポレオン戦争で弱り切った英仏政府に、ロスチャイルドが入り込んだのだ。こうして民営化された中央銀行が「金(Money)」を作るという制度がヨーロッパで確立され、世界中に広まっていった。今や北朝鮮、イラン、キューバ等の異端を除けば、中央銀行は国立ではなく民間法人である。

 アメリカのFRB国立銀行ではない。民間法人である。それが世界通貨であるドルを発行している。ユーロはヨーロッパ中央銀行が発行している。おかげでEU加盟国は自国で通貨を発行できない。見た目は独立国であっても、経済の根幹としての通貨は外部組織に握られている。ギリシアはそれで破綻した。

 国家が銀行家に乗っ取られ、必要な時に自分で通貨を発行できずに潰れるとは愚の骨頂である。慧眼のエイブラハム・リンカーンAbraham Lincoln 1809-1865)はこの禍を見通し、政府紙幣を発行した。ゆえに殺された。詳しく知りたい方は、このブログを第一回から読み直していただきたい。

 ともかく、これは陰謀論ではない。信じるか信じないかはあなた次第の都市伝説ではなく、我々一人一人の財布の中身において現実化していることである。ロスチャイルドの影響は、信じようが信じまいが、我々の生活の隅々にまで浸透している。だがロスチャイルドからすれば、我々がそれを知る必要はない。彼らからすれば、我々は死ぬまで「金(Money)」について誤解していればいいのである。

 

2.さらなる勘違い

 お金はどうやって生まれるか。多くの人々は、政府の造幣所が紙幣を印刷することで「金(Money)」が生まれると思っている。だが紙として物質化される「金(Money)」は、全体(正確にはマネーストックM2)の1割程度に過ぎず、残りの9割は電子上のデータとしての「金(Money)」である。

 では本当の発生はどこにあるか。答えは借金である。国民の誰かが銀行で金を借り、通帳に金額が書き込まれた時に「金(Money)」が生まれる。これがいわゆる「万年筆マネー」と呼ばれるものであり、「信用創造」である。詳しくは第七十四回ブログを見ていただきたい。

 預金も同様である。我々は銀行に金を預ける時、自宅の金庫の代わりに銀行に金を預けるのだと勘違いしている。どんな立派な金庫があっても、自宅に1億円を置いておくのは不安だ。だから銀行に預けるという発想である。

 だが、預金とは銀行側からすれば借金である。貯金や預金、すなわち「預けて終わり」という考え方は世人の勝手な思考停止であり、法的に正確に表現すれば、これは債権債務である。預金者は銀行に金を預けているのではなく、貸している。100万円を銀行に預けるというのは、銀行に100万円を貸していることだ。だから微小ながらも利子がつく。借金に利子がつくのは当然である。

 私が100万円をみずほ銀行に渡したら、私はみずほに対する100万の債権を持ち、みずほは私に対して債務を持つ。私は債権者であり、銀行は債務者である。誰かの債務が誰かの債権であり、誰かの借金が誰かの資産である。片方が消えたら、もう片方も消える。これがお金の鉄板の法則である。

 以上、述べてきたことはお金に関する初歩の初歩であるが、普通の国民はその第一歩ですら勘違いしている。そういった無知な人間が大量に集まり、「世間」という巨大な集合体を構成しているなら、悪知恵の働く者なら「これを利用しない手はない」と考えるのが当然であろう。

 1億2千512万の国民のうち、この「初歩の初歩」をきちんと理解している人は何%いるだろうか。その割合が少なければ少ないほど、金融資本家は得をする。だから学校も会社も教えない。テレビも新聞も言わない。

 馬鹿が多ければ多いほど儲かる。この仕組みに嫌気がさすならば、まずは自分自身が幻想の共同体から抜け出すことである。やり方は単純だ。他人はともかく、まずは自分一人がお金の仕組みをきちんと理解することである。自分の理解が幻想の終焉である。

 

3.人間をモノとして扱う精神力がなければAgentの資格はない

 洗脳というのは恐ろしいものである。私自身が20代の頃は、国の借金は返さなければならないのだと思い込んでいた。国の借金は1000兆円をこえ、国民一人頭で約1000万円の借金があると思い込んでいたのだ。だが、ある時から「おかしい」と感じ始めた。そこから「金(Money)」の仕組みについて調べ始めたが、決定打となったのは大西つねき氏の以下の著作であった。

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HOPE 大西つねき フェア党

 確かにおかしな話である。HOPEにも書かれているが、日本は対外純資産ランキングにおいて世界のトップである。一位の座は30年間不動だ。だが、この国は膨大な借金をかかえ、日に日に貧乏になり、苦しみの中で喘いでいると言われている。確かに生活実感として、この国が金持ちだとはとてもじゃないが思えない。この時、正常な神経を持つ人間なら思うはずだ。何かがおかしいと。

 

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 誰かの負債は誰かの資産である。誰かの喘ぎは誰かの利益である。そういう仕組みについて、我々庶民は知る必要がないとされている。養豚場の豚は、豚肉の市場動向について知る必要はない。真実は「主(あるじ)」だけが知っていればいいのだ。日本国民がお金の仕組みについて知らず、世界情勢や自国の現状について無知蒙昧であるというマイナスは、そのまま金融資本家たちにとってのプラスなのだ。

 それゆえ今回の選挙戦においても、この無知蒙昧は継続してもらわなければ、彼らからすれば困る。だから手先(Agent)は民衆に強く訴える。国の借金は増えている。次の世代にツケを負わせてはダメだ。だからバラマキはダメだ。そう言って、国民の勘違いを助長するのだ。

 

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 吉村知事はもともとサラ金トップの武富士の顧問弁護士であったが、その後政治家になっても、やっていることは弁護士時代とちっとも変わらない。吉村知事率いる維新の人達が、大阪の資産をどれだけ外国人の資本家に横流ししてきたかについては、ネットで少し調べればわかることなので、ここで言及することはやめておこう。

 私が吉村氏の言動、態度、あの恐ろしい目つきを見て思うのは、「これは大物だ」ということだ。彼はクレサラという戦場で、相当の修羅場を踏んできている。私もクレサラ界隈に身を置いたことがある。もちろん立場は逆で、吉村氏は債権者・資本家側、私は債務者・困窮者側であったが。

 

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弁護士時代の吉村洋文氏

 

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当時、全国クレサラ弁護団の団長は宇都宮健児氏であった。

 20年前、クレサラ(クレジット・サラ金)問題全盛期の頃、私は多重債務で困っている経営者を相手とするボランティア相談員をしていた。そういう最前線では、死人が出る場面にも遭遇せざるを得ない。ある日の会合のことであった。先週相談に来た零細企業の経営者が来ていない。

 私は事務局に聞いてみた。

 

 私 「Aさん、今日は来てませんね?」

 事務局 「ああ、Aさんはお亡くなりに・・・自殺したそうです・・・」

 私 「え! 先週は普通に話をしましたし、そんな感じではなかったですが・・・

    本当ですか?」

 事務局 「ええ、首を吊ったそうです・・・」

 

 つい一週間前にお茶を飲みながら、問題解決に向けて話し合い、闇の中で小さな希望を一緒に見た相手が、いきなり「消える」というのは妙なものである。あまりにも突然なことに、悲しみの感情が生じる余地がない。むしろ疑問が湧いてくる。何で死んだ? 奥さんやお子さんはどうなる? 社長が突然死んで、会社の従業員はどうすればいい? 不可解な空虚さで頭がいっぱいである。

 吉村氏は当時、私とは反対の立場にいた。つまり、亡くなったAさんのような人達から、金をとことん吸い尽くすという立場である。当然、遺族やクレサラ弁護団は許せない。違法と合法のグレーゾーンの手法による悪質な取り立て行為、あるいは一線をこえた暴力について裁判所に訴える。

 それに対して、武富士が損をしないために、これまた違法スレスレ、あるいは明らかに一線をこえているように見える隠蔽工作などで応戦し、相手を潰す、またはうまく逃げることが、弁護士としての吉村氏の仕事であったはずである。

 

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 恐らく、彼のもとには悲惨な報道や報告、手紙といったものが、次から次に来ていただろう。いくら高額の報酬を貰っても、普通の神経なら参ってしまう仕事である。良心が少しでも残っていれば、トラウマになる。業界トップ、武富士の弁護士として活躍できたということは、真の鬼、悪魔になれたということである。凡庸な弁護士にできる仕事ではない。

 彼は修羅場の中で、法的能力や弁論能力を上げただけでなく、金融理論、メディア戦略、大衆心理操作論、違法スレスレの暴力のやり方などを学び、向上させたのであろう。人がたくさん死ぬ戦場、クレサラの現場を経験した彼は、そのノウハウを政治家として今もいかしているはずだ。だから彼からすれば、演説の途中で涙を流す山本太郎は「弱い」人間に見えるかもしれない。

 

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 子どもの貧困率7人に1人、鬱病の患者数100万人、自殺者年間2万人。そういう抽象的なデータを聞いても、人の感情はそれほど動かない。だが現場で働く人間は、そのデータが「本当なんだ」と実感することになる。生身の人間が死ぬことで、数字が示す悲惨さに強烈なリアリティを感じ、切迫感を抱くようになる。

 山本太郎雨宮処凛氏(作家、週刊金曜日編集委員)らとともに、貧困支援の現場で活動した。おそらく人が死ぬ場面も経験しただろう。山本は演説でデータを述べながら、亡くなったAさんやBさんといった生身の人間を思い出しているのかもしれない。

 

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生活困窮者支援活動において雨宮処凛とともに食事を配る山本太郎

 山本はこの動画の中で、人間が交換のきく部品のように扱われていることに涙する。それは吉村知事からすれば、政治家として「甘さ」の証明に見えるかもしれない。吉村氏は言うかもしれない。人間をモノのように扱い、好きなように操作できる能力がなければ、本当の意味で「政治家」とは言えないと。

 確かに、山本総理大臣が将来誕生する可能性はほぼゼロであろう。他方、今後十年以内に吉村総理大臣が誕生するという話は現実味がある。吉村洋文という男には、嘘と冷血と暴力を貫き通せる雰囲気があり、悪の風格がある。小泉進次郎のようなお坊ちゃんとはレベルが違うように見える。お坊ちゃま、お嬢さまの二世、三世議員たちは、「悪の強さ」という点で、いかにも頼りがいがない。

 

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 だが山本の言う通り、この国では誰もが食い物にされている。忠犬も用済みとなれば捨てられる。総理大臣にまで成り上がっても親会社から雇われた子会社の社長に過ぎず、奴隷隊長でしかない。人間をモノとして扱うカポーは、宗主国の人間からモノとして扱われる。山本はそれをわかっているから、小沢一郎の弟子として生きることをやめたのだろう。

 

4.我々国民には返還請求権がある

 銀行が企業に金を貸せるのは、私のような一般市民が銀行に金を貸しているからである。私の立場からすれば、私は銀行に対して債権者であり、銀行は債務者である。銀行から金を借りる企業からすれば、銀行が債権者であり、企業は債務者である。債権と債務は二つで一つであり、片方がなくなればもう片方もなくなる。つまり両方消えるのである。

 国債も同様である。国が借金を背負う、つまり債務者になるということは、民間が債権者になるということである。これのどこが「子孫にツケをまわす」ことになるのか。だから、山本太郎は言う。政府の借金と言われているものは、政府が通貨を発行したことの記録に過ぎないと。

 

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 政府の借金が1000兆円。それは嘘ではない。だが、それは国民にとって危機ではない。それを危機であるかのように勘違いさせる御用学者は、事実を撒き餌に国民を勘違いさせるカポーである。まるで「プルトニウムは飲んでも安全」という真実を餌にして、あたかもプルトニウムが安全であるかのような勘違いを国民に抱かせる大橋先生のようである(詳しくは第百六回ブログ参照)。

 政府の借金が膨大だから破綻すると言うのなら、国民から膨大な量の金を預かっている巨大銀行は破綻寸前なのだろうか。銀行預金とは借金である。我々預金者が銀行に金を貸しているのだ。ランキングで言えば、1位ゆうちょ、2位三菱東京UFJ、3位みずほ、4位三井住友である。つまり国民からの借金が多いランキングである。これらの銀行は財政破綻の危機に喘いでいるのか。

 「借金」という言葉を聞いて、条件反射的に「悪いもの」と思う精神構造を、我々はそろそろやめる必要があるだろう。誰かが資産を持つには、誰かが負債を負うのだ。もちろん、無限に国債を発行すれば、民間の金が膨大になり、金の価値が下がる。そうなれば、仮に一人10万円を毎月受け取っても、結果的にマイナスになる。米が5㎏で一万円になってしまえば、10万円を受給しても足りない。

 だから、インフレにならないように国は財政を調整しなければならない。上記動画でいうバスタブにおける水抜きと蛇口の調整である。民間に金が足りない時は蛇口をひねり、水を足す。これによって民間に金を行き渡らせ、雇用を増やし、デフレを脱却する。逆にインフレの兆候が出てきたら、税の徴収によって民間から金を引き上げる。水抜きである。

 国家経営として、そうした「やるべきこと」をやらずに、自公政権は水抜きとしての消費税引き上げを行い、法人税を下げてきた。これは金持ち優遇であるのみならず、国家の資産の外国への横流し、つまり国際金融資本家を太らせる行為であった。

 日本国民から血を吸い上げ、外国人を太らせるというこれまでの仕組みが緊縮財政と呼ばれるものであり、これまで自公政権財務省、御用学者や大手マスコミが喧伝してきたことであり、プロパガンダであった。これを逆向きにすることが、積極財政である。

 政府が積極財政をして、国民に金を配る。バスタブに水を足し、民間の資産を増やす。それは「バラマキ」ではない。これまで国民を騙して金を搾り取ってきた政府による、国民に対する損害賠償である。それが積極財政であり、財政出動である。

 これはコロナ禍で皆が経済的に困っているからやるべきことなのではない。コロナであろうがなかろうが、三十年以上に渡って不当に搾取されてきた分については、国民が取り戻さなくてはならないのであり、そのために政府は積極財政すべきなのである。つまり、それは「返還」である。我々国民には、これまで騙し取られて来た分に対する返還請求権がある。

 私は山本太郎の信奉者ではないし、れいわ新選組の熱烈な支持者でもない。だが今回の選挙においても、相変わらず与党も野党もお金の仕組みについて何も言わない。きちんと説明しているのは私の知っている限り、「れいわ」の候補者と、神奈川4区から立候補している無所属の大西つねき氏だけである。

 本来なら、「自由」と「民主主義」を標榜する自民党が、これまでの失政を反省し、積極財政を実行するのが筋であろう。政権交代によってその罪が有耶無耶になるより、自民党がその反省と責任において償いをする方が良い。だが、自民党はもともとCIAが作った政党であり、国際金融資本家のAgent集団であるから、そんなことはしないだろう(詳しくは第二十七回ブログ参照)。

 今日は10月29日であるが、二日後の選挙結果は今の時点でわかっている。政権交代は起こらない。自公政権が続く。それは決まっている。財政の仕組みについて知らない、あるいは知っていて知らぬフリをして、国民に嘘を言い続ける政治家の集まりが、この国の財政の根幹を握る。国民は日に日に家計が苦しくなっているのに、そんな政権を支持、あるいは渋々容認する。

 妙な話である。皆が金に困り、金を必要としているのに、国民は金を返還する意思を持った政治家に投票しない。むしろ、国民をいじめるプロを選ぶ。冷血な吉村知事の人気は上がる一方である。世間は一体どうなっているのだろうか。世間とは、騙されたがっている人間の集合体なのだろうか。

 だが私は騙されて喜ぶ人間ではないし、世間に染まるつもりもない。だから自分で考えている。これからも変わらない。それはこのブログの読者の皆さんも同様である。世の中がどんなに悪くなろうとも、私もあなたも、悪魔に魂を売る必要はないのだ。

 

※ 次の準備のため、しばらくお休みします。