2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧
0.前々回の続き 今回からイランの現代史に戻りたい。第六十三回ブログの続きである。 1.立憲民主制の終焉 1979年1月16日、イラン王であるモハンマド・パフラヴィーは、イランから出国した。王はその後イランの地を踏むことなく、翌年カイロで死去した。…
0.予定の変更 イランの現代史の続きについて書く予定であったが、今回は予定を変更し、検察官と新聞記者による麻雀大会について報じた「文春砲」について考察していきたい。 1.「ズブズブ」ではなく「同僚」 文春砲によって、黒川検事長と新聞記者による…
1.人権弾圧は石油によって容認される 1978年、コムのデモが発端となり、イランでは各都市で反政府運動が行われるようになった。首都テヘランでは、10万人規模のデモが行われるようになっていた。地方では各民族による自治権の拡大が叫ばれ、労働者はストラ…
1.燃え広がる火事を見ても危機感を抱けない 第六十回ブログで述べた通り1978年のイランにおいては、コムのデモが発端となり、各都市で反政府デモが巻き起こった。この状況下で1978年8月18日、アーバーダーンの映画館、シネマ・レックスで火災事件が起き、…
1.日本とイランの違い 「日本はアメリカの植民地だ」と言うセリフはよく聞く。日常会話でも時おり耳にするし、属国日本論についての書籍は大きな図書館に行けば必ず見つかる。街角にはある政党のポスターが貼られており、「アメリカの言いなりやめよう」と…