戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第四十回 奴隷のしつけ方(3)

1.沖縄のタクシー運転手は対岸の火事

 沖縄で起きる事件を対岸の火事だと思う日本人は非常に多い。沖縄には米軍基地がたくさんあるが、本土の人間にとってはそこまで基地は身近なものではない。そのため、自分には関係ないだろうと考える日本人が非常に多いのだ。しかし、以下の事件は神奈川県で起きた事件である。神奈川県横須賀市の佐藤好重さんは、出勤のため駅に向かって歩いていた途中で、米兵に殺された。

 

特集 基地のある街 横須賀

https://www.min-iren.gr.jp/?p=35854

 

 米軍空母「キティホーク」の一等航空兵リース・ウィリアム・オリバー(当時21歳)は、横須賀のバーで前夜から大量に酒を飲み、その浪費のおかげで金がなくなったそうである。そこで、彼はてきとうに見つけた日本人から現金を奪おうと決意したそうだ。朝の6時半ごろ、金を奪おうと思っていたオリバーに偶然出くわした人物が佐藤さんだった。

 彼は通勤途中の佐藤さんに対して、「すいませんでーす」と声をかけた。道を尋ねるふりをして声をかけたのだ。しかし、そうやって近づき、佐藤さんのバッグを奪い取ろうとした。しかし、佐藤さんは抵抗したために、オリバーは佐藤さんの顔面を殴打、近くのビル一階通路に佐藤さんを引きずり込み、さらに殴る蹴るの暴行を加えた。

 佐藤さんは泣き叫び、声をあげた。オリバーは「シャラップ!」と佐藤さんを怒鳴ったが、佐藤さんは黙らず、「やめて!」「助けて!」と叫んだそうである。そのため、周囲の人間に叫び声を聞かれることを恐れた彼は、金を取ることから目的を変えた。つまり、佐藤さんを黙らせること、すなわち殺害を決意したのである。

 殺すことを決意したオリバーは、佐藤さんの襟首を両手でつかみ、コンクリート壁に力任せに佐藤さんを投げつけた。そして、倒れた佐藤さんの顔面や腹部を何度も踏みつけた。こうして佐藤さんは亡くなった。腎臓と肝臓の破裂などによる失血死であった。遺体は原形をとどめていなかったため、親族が顔を確認しても佐藤さんの顔とはわからなかったそうである。

 

 「顔などは原形をとどめないで、まるでハンバーグみたいでした」

 

 佐藤さんと結婚する予定だった山崎正則さんはそのように言う。

 その後、オリバーは佐藤さんのバッグを持って逃走。バッグの中に入っていた現金は、風俗店での遊興や飲酒に使ったそうである。遊び終わったオリバーは、その後普通に出勤し、基地で働いていたが、神奈川県警が監視カメラに映っていた黒人男性を確認。県警の依頼を受けた米軍がオリバーに質問したところ、オリバーが殺害を自供。米軍は彼の身柄を確保し、県警などの関係機関に連絡した。

 米軍はその後、血の付いた衣服などの証拠品を県警に提供し、県警は横須賀基地内でリース容疑者の事情聴取をした。その結果県警は、当該事件を日米地位協定に基づく「起訴前身柄引き渡し要請」が可能な事件と判断。米軍もその判断に協力する姿勢を示した。

 日米地位協定は、1995年に沖縄で起きた少女暴行事件を機に運用が見直され、起訴前でも米軍施設内で拘束されている容疑者の引き渡しが、事件内容によっては可能となった。しかし、オリバーの事件はあまりにも悪質であるために引き渡しの要請が認められたが、2002年11月に沖縄県で起きた婦女暴行未遂・器物損壊事件では、米側が引き渡しを拒否している。

 

2.神奈川も沖縄も同じ

 横浜地裁の判決により、リースは無期懲役、6500万円の損害賠償が確定したが、日本の刑務所に入っている無一文のリースから、遺族が6500万円の賠償金を取れるはずがない。そのため、婚約者だった山崎正則さんはリース個人のみでなく、日本政府も含めその責任を裁判所に問うていたが、横浜地裁は山崎さんの日本政府に対する請求を棄却した。

 結局、米軍も日本政府も、山崎さんや遺族に一円も支払わないまま6年が経過した。その後、事件から9年が経った2015年、やっと米側は山崎さんに判決金額の4割程度の「見舞金」を支払うことを提案した。しかし、その提案には「被害者が加害者を永久に免責すること」という条件がつけられていた。

 もちろん、山崎さんとしては納得がいかない。日本人が犯人なら、「永久免責」なんてことはありえない。なぜ犯人が米兵の場合は、被害者遺族が犯人を「永久免責」しなければならないのか。そう思った山崎さんは、防衛省を通じて粘り強く米側と交渉を続けたが、示談書の内容が変更されることは決してなかった。事件から11年後の2017年11月、山崎さんは苦渋の思いで、米側の示談を受け入れた。

 リースは死刑ではなく無期懲役なので、模範囚の特典や恩赦などにより、今後刑務所から出て、母国に帰る可能性がある。あるいは帰らなくても、米側が山崎さんと締結した「永久免責」により、彼は損賠賠償金を一円も払う必要がない。刑期が終われば、完全に無罪放免なのだ。

 リースは殺人をしてしまったために、前回述べた宇良宗一さんの事件の犯人と違い、無罪放免でアメリカに帰ることはできなかった。しかし、彼は死刑を免れ、かつ損害賠償も完全に免れるという特典を得た。仮に犯人が日本人であったなら、このような特典はなく、死刑だったかもしれない。

 そして、被害者の方に支払われるものは、正規の損害賠償金から大幅にダウンされた「見舞金」だけである。これは沖縄も神奈川も変わりない。沖縄だから被害者は虐げられるというわけではなく、日本人であるなら誰でも平等に虐げられるのである。つまり、宗主国の人間から何かされた場合、植民地の人民は「運が悪かった」とあきらめるしかない。

 

3.明日は我が身

 防衛省が把握しているデータでは、在日米軍による事件(事故)の件数および死亡者数は、公務中で47650 件・517 人、公務外で157135件・564 人であるそうだ(1952年度~2006年度)。これは防衛省が把握している数字に過ぎないから、把握外も含めれば、その数字はおそらく相当のものだろう。

 

国家が情報隠蔽をするとき(41)――第1部 米兵犯罪裁判権をめぐる日米密約

http://www.asiapress.org/apn/2009/12/japan/41_1-01/

 

 もし、自衛隊員がニューヨークで酔っ払って、アメリカ人のタクシー運転手に殴る蹴るの暴行をくわえ、全治一か月の重傷を負わせたらどうなるだろう。もし、自衛隊員が朝のニューヨークで通勤する市民を殺したら、果たしてどうなるだろう。日米地位協定日米安保条約などの規定により、その自衛隊員は無罪放免で日本に帰ることができるだろうか。日本政府の努力と交渉により、その自衛隊員に「永久免責」が与えられるだろうか。

 もし、自衛隊員がアメリカで事件を起こしてそうした特典が与えられないのなら、日米地位協定日米安保条約は甚だ不平等な取り決めだということになる。そして、実際にそうである。それは不平等条約なのだ。そのことは、実際に起きた事件を見ればよくわかる。

 同じ暴行でも、同じ殺人でも、つまり同じ罪でも、その罰は人によって異なる。つまり、宗主国の人間が行うのか、それとも植民地の奴隷が行うのかによって、その内容は大きく異なってくる。それゆえ、日本国民は気をつけるほうがいいかもしれない。いつ自分が47650のうちの1になるか。その時手にできるものは、事件から10年後に宗主国から渡される「はした金」の「見舞金」だけである。