戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第四十五回 イランに対する経済制裁、その意味(1)

0.予定の変更

 今回は前々回まで続いていた「奴隷のしつけ方」シリーズに戻ろう思っていたが、一連の中東情勢において、アメリカがイランに追加の経済制裁を課すことを発表したので、その意味について考察してみたいと思う。今回と次回の二回に渡って述べていきたい。

 

米、イランに追加経済制裁 高官8人や17団体

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO54307000R10C20A1000000/

 

1.ソレイマニはなぜ英雄なのか

 2020年1月3日、米軍のドローン爆撃により、イランのコッズ部隊(Quds Force)のトップであるソレイマニ司令官を含むイスラムシーア派の軍人8名が殺害された。その中には、イラク人によるシーア派勢力の連合体である「人民動員隊(Al-Hashd Al-Sha'abi)」のアブ・マフディ・ムハンディス(Abu Mahdi al-Muhandis)副司令官も含まれていた。

 

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Soleimani and Al-Muhandis

 イラク人であるムハンディス副司令官が、イラン人であるソレイマニ司令官を、バクダード空港に車で迎えに来た。その両名と部下たちが乗った二台の車が、米軍のドローン攻撃によって爆撃され、両名を含む8名が亡くなったわけである(バグダード国際空港攻撃事件)。

 この状況を見てもわかる通り、ソレイマニの仕事はイラン国外におけるシーア派勢力と結びつくことである。コッズ部隊(Quds Force)の役割は、海外におけるシーア派組織の育成と訓練、援助である。ムハンディスは、援助される方の外国人の立場である。イラクにおいてはスンニ派の方が多数派であるから、ムハンディスたちシーア派イラク人からすれば、イランの援助はありがたい。イランからしても、イラクスンニ派で一枚岩になってしまえば脅威であるから、イラク国内でシーア派勢力が力を持っていることは重要なのである。

 前回述べた通り、イランの国防の生命線は、こうした国外にいるシーア派組織との協力体制である。イラン単独の軍事力では、イランを守りきることは絶対にできない。イラクシーア派組織、レバノンヒズボラパレスチナハマス、イエメンのフーシといった仲間たちがいることで、イランの国防は成り立っている。

 こうした国外のシーア派組織を軍事訓練し、資金援助や組織作りをサポートするセンターが、イランのコッズ部隊(Quds Force)であり、そのセンター長がソレイマニだったわけである。ただ、ソレイマニがイラン国内で英雄視されていたのは、彼の地位や仕事の重要性だけが原因ではない。

 ソレイマニはイランの貧しい農村部で生まれ、学歴もなく、青年時代は父親の借金を返済するために建設労働者として働いていた。そこからイランの民兵組織に入り、イラン・イラク戦争などの武勲で出世を重ね、ついにはコッズ部隊のトップにまでなるのである。

 こうしたサクセスストーリーと、数多くの武勲、部下に対しても気さくな人柄があいまって、イラン国内で単なる高級軍人以上の尊敬を彼は集めているのであろう。ソレイマニが具体的にどれだけイランにおいて英雄視されているのか。それについては、以下の記事が参考になるだろう。

 

殺害されたイランの“国民的英雄”ソレイマニが、トランプに遺した不気味なメッセージ

https://bunshun.jp/articles/-/24905

 

イラン・ソレイマニ司令官埋葬にも大群衆、押し倒され50人死亡か

https://www.bbc.com/japanese/51029512

 

2.ソレイマニ殺害の裏の意味

 以上、ここまでの経過を見れば、アメリカとイランの関係は急激に悪化し、いつ全面戦争になってもおかしくないように見える。しかし、実際はそうなっていない。1月8日、イラン軍はイラク内の米軍基地に弾道ミサイル攻撃をし、イラン側は死者80名と発表しているが、米側は死者はいないと発表している。

 

イラクの米軍基地に弾道ミサイル攻撃 イランが司令官殺害の報復と宣言

https://www.bbc.com/japanese/51029461

 

 アメリカは1月10日、この攻撃に対する報復として、イランに追加の経済制裁を課すと発表している。これで事態はいったん沈静化したように見える。なぜか。

 答えは、アメリカとイラン、双方の政府がそれなりに得をしたことによるだろう。アメリカの思惑としては、今の段階で取るべき手段は、全面戦争ではなく経済制裁である。アメリカがソレイマニを殺害し、イランがその報復をしたことによって、アメリカはさらにその報復として経済制裁をすることができた。米軍がソレイマニを殺害すれば、イランが何らかの報復をしてくることはアメリカにも事前にわかっていた。おそらく、アメリカとしては最初からその報復にあわせて経済制裁をする予定だったのであろう。

 また、イランの現政権としては、ソレイマニがアメリカという余所者に殺されたことは、ある意味ありがたいことであった。ソレイマニが国民から人気があるということは、イランの現政権からすれば煙たい事実である。それは、国民の現政権に対する不満が高まれば、ソレイマニが大統領として担がれる危険性があるということであった。それゆえ、現政権としてはソレイマニという目の上のたんこぶがいなくなったことはありがたいのである。

 また、アメリカの経済制裁によって国内経済が年々ひどくなっているイランとしては、国外のシーア派を積極的に経済援助するコッズ部隊は金食い虫である。いくら海外のシーア派組織がイランの国防の生命線だからといって、国内経済が苦しいのに、外国人に気前よく援助するコッズ部隊は、国内派からすれば気持ちのいい存在ではない。それゆえ、外国にまわしていた金を国内にまわしたい勢力からすれば、ソレイマニの死亡はありがたいことなのである。

 結局、双方のこうした事情から、今回のソレイマニ殺害事件はこれで「手打ち」となった。しかし、イランの経済は今後ますます苦しくなる。次期大統領候補がいなくなって喜んでいる現政権も、国内経済が自転車操業なのは変わらないし、今後の国民の不満の高まりにどう対処するのか、頭が痛いことは変わらないだろう。

 アメリカがイランを植民地化したいという思いは今後もまったく変わらないのであるから、イラン政府はソレイマニがいなくなって喜んでいる場合ではない。アメリカがイランに対して全面戦争を仕掛けないのは、今がその時期でないからに過ぎない。時期が来たら、アメリカは今回の攻撃以上のことを実行するはずである。

 

3.戦争の下準備としての経済制裁

 経済制裁は全面戦争の前触れと言われている。実際、日本とアメリカによる太平洋戦争も、アメリカの日本に対する経済制裁(石油の輸出停止)から始まった。大日本帝国は、石油の8割をアメリカから輸入していたが、1941年8月、アメリカは石油の対日輸出を全面停止した。

 この時、日本の石油備蓄は平時で3年弱、戦時で1年半しかもたないと言われていた。つまり、日本はアメリカの要求を全面的に受け入れ、石油の輸出を再開してもらうか、1年半の短期決戦をするかという選択を迫られることとなった。結局、早く決断しなければ備蓄は減っていく一方だという焦りから、南方に進出して石油資源を獲得しながらアメリカと戦争をするという見込み発車の開戦となってしまった。

 結果は誰もが知っている通り、日本の惨敗となった。この時のアメリカは日本と全面戦争をするという意欲に満ちていた。日本はまんまとアメリカの作戦にのってしまったわけだ。では、この時のアメリカの経済制裁と、現在のイランに対する経済制裁は同じものと考えてよいだろうか。答えは、同じ面もあるが違う面もあるというものだ。

 同じ面というのは、アメリカがイランを植民地支配したいということである。戦前のアメリカは、来たる米ソ冷戦をにらみ、日本という太平洋の盾を手に入れることを切望していた。そしてアメリカは戦争に勝ち、日本を植民地化することで、軍事的目的を達成しただけでなく、莫大な経済的利益を上げた。日本人はアメリカの資本家を太らせるために遮二無二働かされ、これからはさらに搾り取られる予定である。簡単に言えば、アメリカからすれば、イランも日本のような国になって欲しいのである。

 違う面というのは、今の中東情勢は太平洋戦争前夜のように、アメリカがすぐにでも開戦したいという状況ではないことである。前回述べたように、イランには抑止力があり、それが国外のイラン同盟軍である。今開戦すれば、レバノンヒズボライスラエルになだれ込んで来るし、サウジアラビアはイラン軍とイエメンにいるフーシに挟み撃ちにあう。この状況で、アメリカが容易に開戦するわけにはいかない。

 それゆえ、今のところアメリカは開戦ではなく、イランの弱体化を狙っているのである。つまり、イラン国内の不満を拡大させ、内部分裂を促進したいというわけだ。それが、一連の経済制裁の目的である。現在のイランは、大日本帝国と違い、一枚岩からは程遠い。イラン国内には現政権に対する不満がたまっている。アメリカはその不満を増幅させることで、イランを内側から解体したいのである。