戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第五十一回 イランとアメリカ、なぜ対立するのか ~その歴史的関係性(4)

 

1.植民地に求められるリーダー像

 欧米人は民主主義が大好きである。それゆえ、アジアやアフリカの独裁国家が大嫌いである。彼らからすれば、民主的なプロセスを経ずに暴力で政権を握り、死ぬまで権力を手放さない独裁者は、身の毛もよだつほどに醜く見える。これは保守も革新も関係なく、欧米人に共通の特徴であり、彼らは中国や北朝鮮を含め、世界中の国が民主主義になればいいと思っている。

 しかしそうは言っても、アジアやアフリカの国が本当に民主主義になられると困るのは、これもまた欧米人であり、特に支配層である。それゆえ、植民地の人々に許されるのは民主主義のイミテーションにすぎず、独立国家としての民主主義は絶対に許されない。日本のように宗主国に従順な民主主義国家になるのなら良いが、本気で独立を志向されても困るのだ。

 この点、モサデク政権が志向した民主主義は、欧米の支配層からすると「困る」方の民主主義であった。イランが民主化して近代化することは大賛成であるが、独立だけは勘弁してほしい。男女平等、福祉の充実、選挙制度の改正、自由な経済競争・・・その他民主化をしたいなら何をやっても結構だが、独立だけは困る。これが欧米の支配層の本音なのだ。

 他方、モサデクは根っからの民主主義者であり、イミテーション民主主義には興味がなかった。そのため彼は、民主的に選ばれた首相として、民主的な手続きによって公約を実行し、民衆の悲願を成し遂げた。これは欧米人が大嫌いな独裁国家の意思決定方式とは真逆であり、大好きな民主主義のプロセスであった。しかし、こういう人物は欧米の支配層からすると非常に困る。本音と建前の区別を理解しないモサデクは、イランで本当に民主主義をやってしまう。支配層からすれば、空気を読まない民主主義者なら、独裁者の方がマシである。

 確かに欧米人は独裁者が大嫌いである。これはネオコンであろうが、リベラルであろうが、共和党であろうが、民主党であろうが変わらない。しかし、欧米の支配層からすれば、最も大事なのは安定した植民地経営である。植民地から搾取して、その利益を宗主国に還流させることである。この経済的な基盤が崩れたら、宗主国の安定した民主主義ですら困難に陥る。そのため、彼らが植民地に対して望む理想のリーダーは次の順位となる。

 

宗主国の言いなりになる民主主義者

宗主国の言いなりになる独裁者

③独立を志向する独裁者

④独立を志向する民主主義者

 

 ①が最も理想的であり、その具現化した姿が日本の政治家である。支配層からすれば正に理想的な人物が自民党の総理大臣であり、イミテーション民主主義の典型である。しかし、有色人種の国の全てを日本のような国にすることは不可能である。そのため、①が駄目なら②となる。イランのモハンマド・パフラヴィーは②であったので、アメリカやイスラエルはパフラヴィー政権に多額の資金援助をした。

 ③は厄介であるが、邪魔なら殺してしまえばいいので楽である。民衆の支持もなく、欧米のメディアにその醜い顔を晒す独裁者は、戦争や内戦で崩壊させてしまえばいい。問題は④であり、これが宗主国にとって最悪のパターンである。本音と建前の区別を知らない民主主義者ほど、欧米の支配層にとって厄介なものはない。

 こういう人物は植民地のみならず、欧米のリベラル層の間でも人気が出る。よって、戦争で潰してしまうわけにはいかない。相手が独裁者なら、フセインカダフィやノリエガのように潰すのは簡単だ。しかし相手が民主主義となると、宗主国の世論形成が難しい。リベラル派が反戦デモをはじめるかもしれない。それゆえ邪魔者を爆弾で殺すわけにはいかないので、手の込んだやり方で駆除する他はなくなる。その手の込んだ仕事をするための専門家集団が、CIA(Central Intelligence Agency)である。

 

2.蛮族から石油を取り戻す

 イギリスからすれば、イランの石油はイギリスのものである。つまり、モサデクはイギリスの資産を盗んだ泥棒である。しかし、イランとの戦争になれば大事な石油施設が傷つくかもしれない。戦争になって施設が破壊され、あるいは流通がストップしてしまえば、安定した供給、すなわち安定した商売も危機に陥る可能性がある。イランは許せないが、喧嘩はまずい。イギリスはこのジレンマに悩んだ。

 そこで、イギリスはSIS(Secret Intelligence Service英国秘密情報部 略称MI6)の活動を通して、モサデク政権の転覆を図った。しかしMI6だけの力では、政権の転覆を成し遂げる力はなかった。そのためチャーチル政権は、アメリカのCIAと共同で作戦を実行することを試み、アメリカ政府に働きかけた。

 しかし、アメリカのトルーマン政権はそれほど乗り気ではなく、むしろイギリスとイランとの和平交渉を志向した。しかし、イギリスは和平を望んでいなかった。チャーチル政権が望んだものはモサデク政権の転覆であったから、イギリスとイランとの間で仲介役になろうとしたトルーマンチャーチルとでは、まったく話が噛み合わなかった。

 潮目が変わったのは、1953年にアメリカでアイゼンハワー政権が成立してからである。この時、二つの要因により、アメリカの態度は変わった。一つは、アイゼンハワーソ連を中心とした共産陣営との冷戦をトルーマンより深刻に考えており、イランが欧米支配を脱して共産化することを警戒したためであった。

 「モサデクは共産主義者ソ連と同盟を結ぶつもりだ」とチャーチルは繰り返しアイゼンハワーに吹き込み、アイゼンハワートルーマンよりもチャーチルのでっち上げを信じた。確かに、反発するイギリスに対抗するためにモサデクはソ連に接近したが、彼は共産主義者ではなく、ソ連を信用していたわけではなかったので、イランを共産化するつもりはなかった。しかし、植民地の反逆者に「共産主義者」というレッテルを貼るのは簡単であり、その風評を剥がすことは非常に困難であった。

 しかしその要因よりもアメリカを動かしたのは、二つ目の要因、すなわち金だった。当初、イギリスは石油の全面支配を諦め、イランに対して50対50を提示したが、イランはこれを断った(前回のブログ参照)。そこでイギリスはアメリカに対して利権の4割を提示したのである。この莫大な利益を前にして、最初はイギリスに対して冷淡だったアメリカ政府の態度は激変した。

 これによりイギリスの目論むモサデク下ろし計画に、アメリカも全面的に参加することとなった。こうして彼らは勝利を確信し、欧米人の間で石油の分け前の合意が成立した。イラン国内でモサデク政権の支持率が最高だった時に、政権崩壊後の青写真ができあがっていたのである。利益の内訳は、アメリカ系石油メジャーが4割、英国が4割、ロイヤルダッチシェルが14%、フランスの石油会社が6%というものであった。

 こうして欧米石油連合が、モサデク政権転覆計画を実行することとなった。この作戦は、ギリシャ神話の英雄AJAXから名前を取り、アジャックス作戦と呼ばれるようになった。白人の英雄アジャックスが蛮族から石油を取り戻すというストーリーである。この作戦の中心人物となったのが、国務長官ジョン・ダレス(John Foster Dulles 1888-1959)、その弟でCIA長官のアレン・ダレス(Allen Welsh Dulles 1893-1969)、ダレスの部下でCIA職員であるリチャード・ヘルムズとヘンリー・キッシンジャーであった。

 

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John Foster Dulles

 

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Allen Welsh Dulles

 

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Richard Helms

 

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Henry Kissinger, 1950

3.金の切れ目は理想の切れ目

 リチャード・ヘルムズはイランの二代目シャーとスイス時代に御学友であった(第四十九回ブログ参照)。そこで彼らはモサデクを政権から引きずり下ろし、二代目の権力を強化し、アメリカの言いなりになるイランのザヘディ将軍を首相に据えることを計画した。現地での作戦実行については、ロイ・ヘンダーソン駐イラン大使が中心となった。

 

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Loy Henderson

 ここからCIAによる金のばら撒き作戦が始まる。英雄アジャックスの名を冠した作戦は、イランの政治家、企業家、村の有力者、軍部、メディアに対する金のばら撒きがその具体的な内容であった。と同時に、次のような誹謗中傷の宣伝ビラやポスターをばら撒き、大衆に訴えた。

 

「モサデクはソ連寄り」

「モサデクは共産主義者

「モサデクはイスラムの敵」

「モサデクは経済を破綻させる」

 

 こうしたばら撒き作戦と並行して、イギリスは石油問題を国際司法裁判所と国連の安保理に提訴し、イランが法的に石油を海外に売却できないように根回しをした。同時に、ペルシア湾に海軍を派遣し、イランが石油を輸出しようとすればいつでもタンカーを攻撃できるようにした。これにより、西側諸国はイランの石油を買わなくなったので、イラン経済は悪化し、モサデク政権は窮地に陥った。こうなると、モサデク支持者たちの心も揺れ動く。

 CIAから金を受け取ったイラン人たちは反モサデクの声を高らかに上げ始め、イギリスの石油利権の下請けとして働いていたイラン人たちも、生活に困窮するようになった途端に独立派から妥協派へと変節した。こうなると、CIAによって撒かれた風評のビラが、リアリティを帯びてくる。実際にイランの国民生活はビラの通りに苦しくなっているのである。そして、金に困ってくると次のような弱音がリアリティを帯びてくる。

 

「イギリスに石油を握られても、彼らは我々に仕事をくれた。前の時代の方が良かった。」

 

 植民地支配からの脱却という高邁な理想よりも、大衆にとっては目先の食費や家賃の支払いの方が遥かに重要である。植民地搾取の商売は儲かり、独立運動は一円にもならない。手弁当で働く弱者の市民運動は、生活が苦しくなれば簡単に崩壊する。市民運動家は会社で働きながら、週に一日か二日の休日に無給で活動をしなければならない。他方、MI6やCIAは高給を貰いながら毎日活動できる。搾取という巨大な資金源を持つ側は、その金庫をもとに独立運動を簡単に潰せるが、独立派の資金源は弱者たちによる手弁当で成り立っているために、簡単に底がつく。

 彼らは大衆の心理と弱点について知り尽くしていた。イエズス会の時代から研究を積み重ねてきたプロなのだ。モサデク政権という理想主義者の集まりは、そんなプロからすれば、簡単に攻略できる相手だった。案の定、モサデク政権は内部から崩壊し始める。あの時、イギリスが提案した50対50を呑んでおけばよかった。経済的に困窮したイラン人からは、そんな声すら出始めるようになった。

 結局のところ、モサデク政権はザヘディ将軍のクーデターが起こる前に、内部崩壊していた。独立という高邁な理想は、金の切れ目によって切れたのだ。モサデクを中傷するビラは豊富な資金源をもとに大量にばら撒かれたが、それに反論するビラを市民が撒こうとしても、印刷代は市民にとっては高く、デモに行くための交通費ですら市民には痛かった。

 資本家は知っている。市民運動手弁当で一時的に盛り上がっても、長続きしない。市民にとっては1000円のバス代や10000円の電車代や100000円の飛行機代は大金である。しかし、CIAの職員が1000万円を経費で使っても、搾取側からすれば「はした金」に過ぎない。

 搾取する側にとっては、金の出所は明確であり、儲けと経費の計算は数式により明らかである。しかし、市民運動側の活動源は善意や理想といった曖昧なものであり、経費がいくらで儲けがいくらなのか判然としない。そのため支配者層からすれば、この戦争は始まる前から勝者が明確なものであった。人間は金で動く。それは金持ちからすれば数学よりも明確な真理であった。それゆえ、正義が勝つのではなく、金が集まる方が勝つというのは、彼らにとっては朝に太陽が昇るよりも明確なことであった。