戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第五十二回 イランとアメリカ、なぜ対立するのか ~その歴史的関係性(5)

1.曖昧な経済と明確な金儲け

 モサデクはおそらく信じていたのであろう。イランが植民地支配から脱却すれば、自力で生まれ変わることができると。彼の目からすれば、欧米人が頻繁に用いる「援助」という言葉は、彼らが金を儲けるための「投資」であり、結局のところ「支配」に過ぎなかった。それゆえモサデク率いる政党「国民戦線」は、死に体のイランが再生するには植民地支配から脱却しなければならないと考えていた。

 彼らは国民に訴えた。イランには長い伝統と誇るべき文化があり、国土には莫大な原油が眠っている。イラン国民が団結し、その誇りをもとに自立すれば、外国資本に依存しなくても発展途上国から脱することができる。外国資本は一時的な経済の潤いしかもたらさない。最終的にはイランの資産が彼らに吸い取られることになる。だから我々は石油を取り戻し、自分の足で立つべきなのだ。

 モサデクという独立主義者の演説に、大衆は魅了された。しかし、高邁で美しいそうしたスピーチを、投資家が聞いたらどうだろう。彼らはまったく別の角度から聞くに違いない。

 

「なるほど、確かにそうだろう。それは正論だ。ところで、それはいくら儲かるのか?」

 

 イランが高邁な理想をもとに独立を勝ち取ったら、投資家はいくら儲かるのか。モサデクに投資したら、リターンはいくらなのか。投資家からすれば、高邁な理想は曖昧な経済である。独立主義者の話をいくら聞いても、そこにあるのは国民の誇りや、国家の独立や、貧富の差の解消といった全体的利益ばかりである。投資家からすれば、どこかの国民が貧しかろうが豊かだろうがどうでもいい。彼らが聞きたいのは、自分が投資した金がいくらのリターンになるかということである。

 国民が豊かになる。誇りを取り戻す。貧富の差を解消する。民衆の勝利。さて、それはいくら儲かるのか。それのどこに投資したら、利益はいくらになるのか。投資家にはよくわからない。なら、それよりも遥かにわかりやすい数式がある。理想主義者の政権が倒れて、投資家の操り人形の政権が誕生したら、利権は全て石油メジャーが握ることになっている。だったら、政権が倒れる前に石油メジャーの株を買えばいい。これは明確な数式である。

 「金」という観点からすれば、独立や理想や伝統や文化といったお題目はどうでもいい。前回述べた通り、もともと英国が握っていたイランの石油利権を、他の勢力が6割いただくことになっている。40%がアメリカの石油メジャー4社であり、14%がロイヤルダッチシェル、6%がフランスの石油会社である。となると、それらの石油会社の株が莫大な値上がりをすることは誰でもわかる勘定だ。モサデクの理想に耳を傾けている暇はない。わかりやすい「リターン」のためには、さっさと石油会社の株を買うべきである。

 こうして、欧米の石油略奪連合のもとには、金の亡者から莫大な資金が集まる。他方、イランの独立運動にはほとんど金が集まらない。もちろん、各国の理想主義者や市民運動家から、一口1000円程度が入った封筒が届くかもしれない。熱い応援の手紙には100ドル札が同封されているかもしれない。しかし、世界中から集まる封筒をかき集めても、ロイヤルダッチシェルの役員の一人の年収にも届かない。

 投資とリターンのシステムは金を吸い寄せ、巨大な資金プールができあがる。これは石油であろうが、原発であろうが、軍需産業であろうが、すべて同じである。プールができあがったら、あとはいつものパターンで実行すればいい。巨大プールを元手に、言いなりになる政治家を選挙で勝たせ、メディアを牛耳り、大衆の心を操作する。大衆はいいように操られた挙句、リターンは投資家に持っていかれる。そのシワ寄せとして、どこかの国がボロボロになり、誰かがボロ雑巾のように働かされ、徹底的に搾取される。

 

2.「金」と「デマ」

 アジャックス作戦(Operation Ajax)は成功した。それは、ギリシア神話の神々でもここまでうまく事を運べないのではないかと思わせるほどにうまくいったが、やり方は単純だった。豊富な資金源をもとに、有力者に金を配り、メディアを牛耳り、デマをばら撒いただけである。「金」と「デマ」、これだけで一国の政権を転覆させる力があった。

 ただ、モサデク政権は当初、簡単に崩れるようなものではなく、むしろ強かった。1951年に政権が石油を国有化して以来、イギリスとMI6はクーデターによる政権転覆を図ったが、政権と警察は事前にそれを察知し、犯人を逮捕した。同時に、クーデター計画に深く関与していたいイギリス大使館の職員たちを国外追放した。

 潮目が変わったのは、アメリカの国務省アジャックス作戦の実行が決まった1953年の6月からである。ここからCIAが本格的にイランに乗り込み、モサデクが共産主義者であるという一大キャンペーンが展開されることとなった。モサデクを貶めるキーワードは、極めて単純化されたものであった。

 

「モサデクはソ連寄り」

「モサデクは共産主義者

「モサデクはイスラムの敵」

「モサデクは経済を破綻させる」

 

 ヒトラーはかつてこう言った。大衆は物覚えが悪く、理解力も低い。だから単純なことを繰り返し述べることが必要である。繰り返し言われた嘘は、本当になる。この原則に則ってCIAがイランの街にばら撒いたデマは、嘘ではあったが非常に効果的であった。それと同時に、CIAは大衆に共産主義の悪のイメージを植え付けていった。

 都市部では聖職者の殺害事件やモスクでのテロ事件などが起きた。それらはすべてイラン共産党の仕業だと報道されるようになった。しかし、実際はイラン共産党に紛れ込んだCIAの工作員の仕業であった。また、都市部ではCIAから金を貰った自称共産主義者によるデモ行進が頻繁に行われるようになった。これも、イラン共産党が主催したデモではなく、CIAに雇われたイラン人たちであった。

 西側諸国の石油ボイコットにより、イランは経済的に苦しい状況にあった。それゆえ、CIAがならず者のイラン人を大量に雇うことは簡単だった。CIAはイラン人工作員に資金を渡し、工作員たちは街の失業者やヤクザ、不良グループなどを集め、共産主義者を自称させ、街で略奪や放火をさせた。また、CIAは既存のメディアに金を渡すだけでなく、新しい新聞を6紙立ち上げ、そのすべての紙面にモサデクが共産主義者であり、反イスラムであると書かせた。

 しかし、よく考えればわかるが、この時のイランの経済的苦境は、西側諸国による石油のボイコットが原因であり、モサデクの失政が原因ではない。また、モサデクは共産主義者ではないし、そもそも大衆は共産主義がどんな思想なのかはよく知らない。マルクス資本論を読破した人は国民の1%にもみたない。だから、経済的苦境の原因をモサデク政権や共産主義者に求めることはできないはずだが、嘘も大声で言われ続けると、信じる人が増えてくる。

 ただでさえ、大衆はデマに弱いものである。それは1950年代のイランも21世紀の日本も変わらない。新聞とラジオと口コミしかなかった50年代と違い、インターネットなどの第三メディアが発達した現代においても、デマの力は凄まじいものがある。

 

デマなのに・・・トイレットペーパーの次はおむつが品薄

https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000177508.html

 

 CIAが「おむつ」についてのデマを流さなくても、高度情報化社会の人間が右往左往する。自然発生的なデマであっても大衆の心は不安定になるのだから、CIAが用意周到に舞台をつくるなれば、大衆はそこで踊らされるだけである。

 まずは西側諸国の連係で石油をボイコットし、イランの経済的苦境をつくる。その後で大金を投じてメディアを牛耳り、大衆心理を操作する。こうして、一度は独立と誇りを心に誓った大衆も、モサデクから離反していく。モサデクが率いた政党「国民戦線」の政治家や支持者たちでさえ、CIAから金を貰い、モサデクから離れていく者が出るようになった。

 

3.英雄アジャックスの勝利

 こうしたイランの混乱状態の中、CIAは退役軍人の国会議員ファズラッロ・ザヘディ(Fazlollah Zahedi 1892-1963)を首相に任命するようにシャー(王)に強くすすめた。

 

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Fazlollah Zahedi

 しかし、モハンマド・パフラヴィーは迷った。モサデク派の勢いが弱まったとは言っても、モサデク派の力はまだ残っている。下手にモサデクを引きずり降ろしたら、自分がモサデク派に殺されてしまうのではないか。国王はそれを恐れた。しかし、弱気な国王に対して、CIAは脅した。このままだと、イランは共産化するか、朝鮮になる(国が分断される)。そうなれば王族は処刑されるかもしれない。

 イランが東欧のようになっていいのか。あるいは朝鮮半島のようになっていいのか。あなたはイランのリーダーではないか。あなたがイラン国民を率いて、ボロボロになったイランを立て直すんだとCIAはシャー(王)を励ました。イランをボロボロにしたのはCIAであるが、CIAはその再建をシャーとザヘディに託したのである。もちろん、彼らにそんな能力がないことを十分に知ってのことだが。

 こうしてアメリカがシャーの統治を全面バックアップすることを約束し、シャーはモサデク政権の転覆を承認した。これを受けて1953年8月、CIAから資金援助を受けた右翼的な国王派勢力によるクーデターが実行された。モサデク政権にはこれを食い止める力は残っていなかった。

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Monarchist demonstrators in Tehran downtown, 26 August 1953

 こうしてモサデクも含め、「国民戦線」の幹部たちは「犯罪者」ということになった。彼らは逮捕、投獄され、死刑判決を受けることとなった。ここにファズロラ・ザヘディによる内閣が成立し、形式的には国王と首相という立憲民主主義体制がそのまま維持されたが、内容的にはモハンマド・パフラヴィーの独裁世襲による王政、つまりアメリカの植民地となった。

 このクーデターの翌年8月、イラン政府と国際社会の協議により、アングロ・イラニアン石油会社は国際的なコンソーシアム(Consortium 共同事業体)の配下に置かれることが決定した。その株式のうち40%を5つのアメリカ系メジャーが8%ずつ等分し、残りの株式については、英国石油が40%、ロイヤル・ダッチ・シェルが14%、フランス石油が6%という配分となった。こうしてアジャックス作戦は完遂された。英雄AJAXは蛮族から石油を取り戻し、投資家は無事にリターンを得たのである。

 モサデクは裁判で死刑判決を受けたが、死刑は執行されず、3年間獄中生活をおくった後、自宅軟禁の生活となった。晩年は、貧しい農民たちに無料で食事や医療を提供する活動をしたそうである。なお、この歴史的描写は陰謀史観でもなければ反米プロパガンダでもなく、現在のアメリカ政府が認める歴史的事実である。

 

イランの53年政変はCIA主導、初の公式文書確認 米大学

https://www.cnn.co.jp/usa/35036278.html