戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第五十三回 イランとアメリカ、なぜ対立するのか ~その歴史的関係性(6)

1.幻想のアメリカと数式のアメリ

 前回述べた通り、イランの独立を志したモサデクは、民衆の英雄から一転、犯罪者となった。国民に期待され、選挙によって首相となったモサデクは、逮捕され、投獄されることとなる。

 

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Mohammad Mosaddegh in court, 8 November 1953

 

 アジャックス作戦を実行した側からすれば、これは投資家たちの資金力の勝利であり、CIAの優秀な頭脳の勝利であり、またイエズス会の世界布教から積み重ねてきた侵略研究の成果でもあった。

 しかし、これは矛盾しているように見える。なぜなら、アメリカは民主主義の番人として世界に自己をアピールしている国家だからである。英国の抑圧を脱し、王様のいない民主主義国家として独立した自国の歴史を、アメリカ人は誇りにしている。また、ナチスドイツや大日本帝国という独裁国家を打ち負かし、それらを民主主義国家として生まれ変わらせたことを、アメリカ人は誇りにしている。

 つまり、民主主義はアメリカの自尊心の根幹であり、国家のアイデンティティである。だから、アメリカでは退役軍人は民主主義のために戦った英雄として尊敬され、野球の始球式においても日本のように芸能人がボールを投げるのではなく、名もなき退役軍人がマウンドに立つのである。そう考えると、アメリカ政府が行ったモサデク政権の転覆は、アメリカの誇りに逆行したものに見える。

 しかし、支配層からすればそれは矛盾しない。アメリカは貧富の差が激しい国であり、支配層と被支配層の格差ははっきりしている。ここでの民主主義やアメリカンドリームは、そうした隷属層に見せるための「夢」であり、差別と分断と格差が横行するアメリカにおいてはそうした「夢」が欠かせない。軍需産業が儲かるために貧乏人は兵隊になって欲しいという本音を言ってしまえば、国民は動かない。

 もともとアメリカで独立戦争が起きたのは、アメリカの金持ちたちが英国政府に税金を取られることを不満に思ったからである。つまり、事の発端は「金」の問題である。この国が常に「金」の問題で動いていることは建国以来変わらないので、時代が変わって20世紀になろうが、21世紀になろうが、そのことは変わるはずがないのである。

 つまり、金持ち層からすればアメリカの大衆が夢見る民主主義なんてものはどうでもいい。むしろ、そんなものは彼らの既得権益からすれば邪魔である。それゆえ、彼らからすれば自らの権益を犯す外国勢力は民主主義であろうが何主義であろうが敵であるし、自国の大統領であっても例外ではない。

 彼らがアメリカの大統領に望む人物像は、リターンをもたらす人物である。民衆によって選ばれたとか、大衆から尊敬を集める人物であるとか、そういった夢物語はどうでもいい。そいつが大統領になったら、果たしていくら儲かるのか。投資のリターンはいくらなのか。それが金持ちたちの思考様式なのである。

 リンカーンケネディが彼らによって駆除されたのはそのためである。また、民衆の英雄がアメリカの大統領になってしまった場合には、彼らのエージェントが必ず副大統領になっているのもそのためである。ウッドロウ・ウィルソンFRBの創設という売国法案に嫌々ながら署名してしまったのは、そうした駆除のシステムをはっきりと感じ取り、恐怖したからであろう(詳しくは第四回ブログ参照)。

 それゆえ、植民地が従うべき宗主国とは、民主主義国家としてのアメリカや夢としてのアメリカ、幻想のアメリカではなく、明確な数式によって成り立つアメリカであり、わかりやすく言えば「金持ち」としてのアメリカである。そのアメリカは「民主主義」というお題目には興味がなく、投資がいくらでリターンがいくらという数式にしか興味がない。

 現在の日本が従属しているアメリカも、そうした数式としてのアメリカであり、CSISはその数式の中身を明確化して日本のカポーに示すためのシンクタンクである。日本のカポー達はその数字の実現に尽力し、国家経営はそうした数字が飛び交う場として成り立っている。そのため、どちらの国も形式的には民主主義であるが、民衆の勝利には程遠い。

 

2.リターンとしてのイランの近代化

 モサデク政権が倒れた後のイランは、アメリカの数式にかなう国家、すなわち植民地となった。こうなると、アメリカは支援という名の投資を行うようになる。1953年までは総計で5900万ドルに過ぎなったアメリカの対イラン借款は、政権転覆以後の4年間で5億ドルにのぼった。

 これは一見、アメリカの損金のようだが、そうではない。アメリカが国家として支払う対外借款は、アメリカの税金が元手となって支払われるものであり、アメリカの金持ちが払うものではない。アメリカの場合、金持ちは税金をあまり払わない。アメリカの正義を夢見る一般国民が莫大な税金を国に払うのである。金持ちは国の隅々から集めた税金をもとにイランを支援し、イランにアメリカ製の武器を買わせることで、自分たちは儲けるのである。

 こうして、イランとアメリカの間には軍需産業同盟と呼びうる軍事同盟が成立し、投資家はアメリカの軍需産業に投資すれば間違いなくリターンが返ってくるというわかりやすい構図となった。こうしてアメリカの軍需産業はイランというお客さんに次々と最新鋭の軍事物品を納入するようになる(詳しくは第四十九回ブログ参照)。イラン政府も数式としてのアメリカの言いなりになってお買い物を続けた結果、1977年には国家予算の約40%が防衛費ということになった。

 また、数式としてのアメリカは軍事だけでなく、石油関係はもちろんのこと、電気、通信、建設、食品、その他消費物やサービスなど、様々な分野でイランに進出することとなった。パフラヴィー王朝もそれにあわせて「イランの近代化」という名目のアメリカナイゼーションを実行した。イランの街にはアメリカの軍人やビジネスマンが歩くようになり、バー、ナイトクラブ、ディスコ、ポルノ映画といった敬虔なイスラム教徒たちが眉をひそめる文化が流れ込んでくることとなった。

 スイスで少年時代を過ごし、イランの後進性を嫌っていたシャー(王)は、後進性の象徴として女性のヒジャブ(ヘジャブ hijab)を禁止し、土地改革や国営企業の民営化、婦人参政権の確立などの白色革命を行った。こうして、イランは近代化とともに農村国家から都市国家へと変わっていく。1956年には都市と農村の人口比率は29対71であったが、1976年には43対53となった。こうなると、貧富の差が広がってゆく。つまり、アメリカのような社会になっていったのである。

 「湾岸の憲兵」としてのイラン、すなわちアメリカの植民地としてのイランに対しては、当然、保守派や民族主義者やイスラム原理主義者のみならず、旧政権である独立派のイラン人にとっても我慢ならないものとなる。それゆえ、形だけの立憲民主主義に不満を持ったイラン人たちはシャー(王)の体制を覆そうとしたが、シャー(王)はCIAからの支援によりつくった秘密警察である「サヴァク(SAVAK)」による諜報活動によって、反対派の活動を潰していった。

 こうしてイランはアメリカの金持ちたちにとって、大変に都合のいい国となった。この時期のイランはアメリカやイスラエルと蜜月の関係を築き、反対派はサヴァクによって潰せたので安泰に見えた。しかし、このイミテーション立憲民主主義は、日本のようなイミテーション民主主義と違って完成度が低かった。そのため、たまりにたまった不満は後にイラン革命(1979年)へと爆発することとなる。

 

3.日本よりも未完成だった植民地イラン

 第五十一回ブログで、宗主国にとっての理想的な植民地のリーダーについて述べた。もう一度、順番に並べてみよう。宗主国にとって理想的な忠犬は①であり、最悪なのは④である。

 

 ①宗主国の言いなりになる民主主義者

 ②宗主国の言いなりになる独裁者

 ③独立を志向する独裁者

 ④独立を志向する民主主義者

 

 アメリカは1953年にモサデク政権を倒し、イランにシャー(王)と首相によるイミテーション立憲民主主義体制をつくり、イランとの理想的な主従関係を築いたように見えた。しかし、シャー(王)は日本の天皇と違い、政治的な権力を持っていた。シャー(王)がお飾りなのではなく、選挙によって就任する首相の方がお飾りであった。

 つまり、上記で言えば②の体制である。これは植民地支配としては①よりも未完成である。国民の不満は、どうしても権力者である王へと向く。だから、最も理想的なのは植民地を完全に民主化してしまうことであり、「独立」という二文字を除けば全てが揃っているというイミテーション民主主義が理想的なのだ。

 ①の国家においては、民主的な手続きによって選ばれた首相が権力のトップにつく。実際には宗主国の忠犬に過ぎないが、国民にはわからないので問題ない。トップには永続的な権力がなく、数年で交代する。天皇はシャーと違って単なる象徴なので、権力はない。つまり、国民は不満のはけ口を天皇にも首相にも持って行きようがない。天皇には権力がなく、首相を選んだのは国民自身だからだ。

 もちろん、それでも国民には不満がたまる。その際のガス抜きは内閣改造や首相の交代、それでも駄目なら選挙による政権交代で行えばいいので、①の体制ではクーデターの心配はほとんどない。それゆえ、②のような権力一極集中国家よりも、①のような民主主義国家の方が、宗主国としては安心できる。

 他方、②の体制の場合、宗主国が支援する忠犬は常にクーデターの危機にさらされる。民主主義国家には選挙というガス抜きがあるが、独裁国家にはそれがないため、不満は革命に転じえる。

 パフラヴィー朝イランは、②の体制であることから、日本のように高度に洗練されたイミテーション民主主義とは違い、植民地として脆さを抱えていた。そうした内に抱えた脆さが具体化に外側に噴出したものが、1979年のイラン革命であった。つまり、アメリカのイラン支配は、日本に対するものよりも杜撰だったわけであり、イラン人カポーによる国民支配も杜撰だったのである。