戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第九十三回 友資さんの動画

 

 以前、岡崎直子さんの動画を紹介したが(第九十回ブログ参照)、今回は友資さんの動画を紹介したい。「友資」と書いて「ゆうすけ」と読む。友資さんは介護士の仕事をしながら、自身の哲学的考察をYoutubeの動画で紹介している人である。

 

earthfulness.jp

 

 岡崎さんと友資さんに共通している点は、哲学・宗教に対する自己体験的な考察を軸としながらも、政治経済、国際金融資本について非常に詳しいことである。特に友資さんはロスチャイルドやロックフェラー、あるいは国際金融資本家によるディープステイトの在り方やその戦略について非常に詳しい。また博学なだけでなく、強力な分析力も併せ持つ。その考察は非常に深く、かつ正確である。

 しかし、単なるディープステイトについての分析なら、あえてここで紹介しようと私は思わない。書店に行けば「世界の裏側」を暴露したものはいくらでもあるし、Youtubeの動画でもそうしたものは星の数ほど存在する。陰謀論に関する情報は、「世界の裏側」と言われながらも、実際には世界の表に溢れているのだ。

 私が友資さんの言論に深く共感するのは、彼がディープステイトに対して単純な怒りや敵対心を持つレベルにとどまらないからである。支配者層による利己的な動機と行動の数々を、「存在の構造」がもたらす根源的な現象として、彼は深く認めているのだ。

 だからといって血も涙もない彼らの数々の所業を、友資さんは手放しで許しているわけではない。また、「しょうがない」という気持ちで諦めているわけでもない。だから我々が何を認識し、どのような視点の変化からこの世界を見ればよいのか、そのヒントを数々の動画で彼は紹介しているのである。

 こうした態度は、世界の陰謀を憎み、それと戦うことで民衆の幸福を勝ち取ろうとする単純な発想よりも、遥かに現実的であり、強力なものであると思われる。我々人類は過去に何度も革命を起こし、その度に最終的な幸福の実現を夢想したが、一度も達成したことはない。人類が歴史において現実に見るものは、地上から悪を一掃した後に悪魔が跳梁跋扈するという逆説的な結果のみである。

 だから友資さんはディープステイトに対して、怒りと非難による攻撃で終始するのではなく、地上から離陸した視点から眺める。世界の悲惨な光景を直視し、心の底から悲しみながら、大空の鷲よりも俯瞰的にそれを眺めるのだ。それにより創造者の息吹を感じとり、その細部に宿った神秘の数々を熟考された言葉によって彼は表現する。それが彼の言う「アースフルネスライフ」であり、彼の生き方そのものである。

 特にVol.1からVol.12の動画は友資さんの思想的根幹を表したものであり、圧巻の出来である。最新のものから見始めるよりも、まずは友資さんが作った古い動画を見ることをお薦めしたい。

 

vol.1 「アースフルネス」ってなに?前編

 

 彼は民衆革命を「徒党を組む」ことによって行うのではなく、一人で考え、一人で行動することで成し遂げようとしており、彼の動画においては正にそれが成し遂げられている。我々が彼の動画を見ることは、その革命が起きている現場を体感することである。その「今、ここ」の体感が天地創造であり、永久革命なのである。

 良い未来は、未来についての夢想から来るものではなく、「今、ここ」の現実的な状態から生起するものである。だから真の革命は、未来を夢想して今を犠牲にすることから来るのではなく、「今の革命」によってしか生じないものである。

 我々は大手メディアの報道を鵜呑みにし、騙されるだけの奴隷で終わるべきではないだろう。しかし、ネットや書物などの情報から「世界の裏側」を知り、ディープステイトに対して怒り、二元的な敵対関係の中に埋没するだけで終わるべきでもないだろう。

 もちろん「世界の裏側」を知ることは、大手メディアを鵜呑みにするだけの段階よりも進歩している。しかし、その進歩に満足しているだけでは、次のステップにジャンプすることはできない。次のステップとは何か。それは言うまでもなく、善と悪との統合である。

 統合とは善悪の彼岸への進歩でありながら、同時に善悪以前への帰還でもある。我々が「統合する」のではない。我々の一人一人が既に統合を生きているのだと気づくのだ。その時、世界の裏側と表側は統合され、万物一如の真景がその真諦を現す。

 その気づきが我々の一人一人に起きるためには、その気づきに溢れた人物と実際に触れることこそが、最も直接的な刺激となる。オンライン上とは言え、その気づきを体現する友資さんと触れることは貴重な体験である。

 今回、新年の夜明けにふさわしいと思い、友資さんの動画を紹介させていただいたが、今回の私の文章は単なる新春のご挨拶というよりも、新しい時代の夜明けに向けての挨拶である。新しい時代は世の中の変化や社会の革命よりも、我々一人一人の抜本的な「気づき」の時代であると、私は確信している。