戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第九十五回 新しい時代に何を手放すのか(2)

1.このままでは人類は壊れてしまう

 前回のブログでは大西つねき氏の動画を紹介した。そこで氏は、虚構を虚構として見抜くことの重要性を説き、これからの時代はそうした虚構を手放す時代だと述べている。もちろん、氏も「サピエンス(知性)」の存在価値を認めている。人類は正に「ホモ・サピエンス」であり、「サピエンス」がなければ、これまで滅んでいった他の「ホモ(ヒト属)」と同様、絶滅していただろう。

 それは資本主義に似ている。物が不足していた時代には、資本主義による大量生産・大量消費の様式は大きな説得力があり、魅力的であった。あるいはアメリカ追随式の外交政策もそうであろう。米ソ冷戦と高度経済成長が合わさった時代においては、自民党政権が推進した対米従属政策はそれなりの説得力があった。

 だが、誰もが気づいているように、そうした古い様式は限界に直面している。資本主義や自民党だけではない。巨大メディアを信用する国民の情報感覚、軍産複合体の安全保障システム、詰め込み式(軍隊式)の教育システム、地球を破壊する産業的牧畜や農業様式、金持ちに憧れる我々の精神的傾向・・・これら全て、すなわち我々人類の生き方そのものが限界に直面しているのだ。

 原一男監督による映画「れいわ一揆」のキャッチコピーは、「このままではこの国は壊れてしまう」であるが、実際には「この国」のみならず、「この世界」そして何よりも「この人類」、「この私」が、このままでは壊れてしまう。

 

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れいわ一揆 REIWA UPEISING

 映画の中で安冨歩氏は世界の現状を「豪華な地獄」と形容したが、まさにサピエンス王国は豪華絢爛な地獄となった。そこでは野獣に怯える人間は存在せず、暑さも寒さも、飢餓も病気も、あらゆる不快感がテクノロジーによってコントロールされている。

 煌びやかな摩天楼が空を突き刺し、映画や音楽、インターネットなどの無尽蔵の楽しみが人類の感覚を刺激し続ける。この夢空間に埋没すれば、まるでホモ・サピエンスの繁栄が、永遠に約束されているかのような錯覚に陥るだろう。

 しかし、豪華な夢想はいつの時代でも儚さとして、冷徹な意識に見抜かれる。仏陀ホモ・サピエンスの繁栄が幻に過ぎず、火をいくら燃やしても人類が幸せになれないことを、2500年前に喝破していた。

 

燃える火の説法 - 法愛 お釈迦様の生涯|臨済宗妙心寺派 法城山 護国寺

 

 資本主義や自民党の政策が「サピエンス」と似ているのは当然だ。なぜなら、それらは「サピエンス」の忠実な子どもたちであり、子どもが親に似るのは当然だからだ。あらゆる人類の栄光、そしてその裏側にぴったりと張り付いている地獄は、おおもとを辿れば「サピエンス」に行き着くようになっている。

 陰謀論はこの地獄の原因を、ロックフェラーやロスチャイルド、あるいはGAFA、あるいは名前のわからない国際金融資本家に求める。だがそれはいわば、現代の魔女狩りの様相を見せるのみである。原因を誰か特定の人間に求めても、モグラ叩きになるだけだ。そもそも、地獄の原因を特定の人物に押しつけ、その撲滅によって地獄から解放されようという心性そのものが「サピエンス」に他ならない。

 結局のところ、「サピエンス」によって作られた地獄の原因を知りたいなら、「サピエンス」の正体を知るしか方策はない。それはロックフェラーやロスチャイルドといった特定の一族だけが持っている性質ではなく、人類の誰もが共通して持っているものである。

 仏陀はこれに気づいていた。だから地獄の原因を他人に求めなかった。自分自身がホモ・サピエンスなのだから、わざわざ遠くまで出かけて魔女を探してくる必要はない。自分の知性の動き、心の働きを知れば、地獄の正体を見ることができる。これからその「サピエンス(知性)」の正体を見ていこう。

 

2.チンパンジーホモ・サピエンスの決定的な違い

 人間とチンパンジーのゲノムは98.7%共通しているらしい。しかし、チンパンジーには「サピエンス」はない。「サピエンス(Sapiens)」は人間の知性であり、他の生き物にはないものである。

 

チンパンジーはヒトとどこまで近い?

 

 もちろん、チンパンジーにも広い意味での知性はある。だからチンパンジーも道具を使い、器用に石を使う。石で硬い木の実の殻を割り、柔らかい中身だけを食べる。これは見た目ほど簡単なものではなく、熟練の技が必要である。子どものチンパンジーがその様子を見て真似ようとしても、なかなかうまくいかない。

 

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石を使って植物の種を割るチンパンジー

 しかし大人のチンパンジーが卓越した技術力を持っているとしても、それは「サピエンス」ではない。「サピエンス」は単なる知恵でもなければ技術力でもなく、発想の転換である。不思議ではないだろうか。なぜそれだけ器用に石を使いこなしながら、木の実を割る以外に使わないのか。

 チンパンジーの世界にも争いや戦いはある。縄張り争いが発展し、グループ同士の激しい抗争になる場合もある。その際、破れた側のグループは土地から逃走するが、逃げ遅れた子どものチンパンジーは勝った側の大人たちに捕まり、食料となってしまう。

 

チンパンジーは共食いをする!? 意外と知らない生態を紹介!

 

【動画】衝撃、チンパンジーが元ボスを殺し共食い

 

 人間がチンパンジーに対して平和的な幻想を抱くなら、こうしたチンパンジーの生き方はショッキングなものに見えるかもしれない。しかし人間の目に彼らがいかに残酷に映ろうとも、彼らはやはり「サピエンス」ではない。なぜなら彼らは抗争や殺し合いの際に、お得意の石とその技術力をまったく使用しないからだ。彼らの戦いは徹底して素手で行われる。

 人間とチンパンジーは祖先を共通にし、両者の枝分かれはおよそ800万年前だと言われているが、チンパンジーは800万年の間、石で相手を殴らないわけだ。彼らは石を知らないのではない。むしろ人間が驚くほどに石を器用に用いる。それは人類の道具使用の起源として、人類学者から熱い視線を向けられているが、チンパンジーは種を割って中身を食べる目的にしか石を使わない。

 彼らの暴力は手と牙の範囲を出ない。その一線が、彼らを「サピエンス」の世界に参入させず、エデンの領域に繋ぎとめる。神はチンパンジーを「ホモ・サピエンス」にしない。チンパンジーは人類の暴挙である環境破壊によって、近い将来滅びるかもしれない。しかし、人類のように自滅はしない。自業自得の地球破壊で自滅しない彼らは、その意味で永遠のエデンなのだ。

 

3.「サピエンス」という断絶

 スタンリー・クーブリック(Stanley Kubrick 1928-1999)監督の映画に「2001年宇宙の旅(2001 : A Space Odyssey)」という作品がある。

 

 

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STANLEY KUBRICK'S 2001 A SPACE ODYSSEY (1968)

 

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Stanley Kubrick on the set of '2001 : A Space Odyssey'

 この映画は3章で成り立っており、最初の章はThe Dawn of Man、つまり「人類の夜明け」である。その冒頭、何万年も同じ暮らしをする類人猿が登場する。彼らにとって、骨はあくまでも骨である。身近にあっても、それは単なる骨でしかない。

 ある日、類人猿の群れ同士で縄張り争いがあった。小さな池を所有していた群れは、数と勢いに勝るグループから襲撃され、いとも簡単に水資源を奪われた。しかしその後、敗れて洞窟に隠れて住んでいた群れの前に、一体の黒光りしたモノリスが現れる。

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2001 A Space Odyssey Monolith(1)

 群れは恐る恐るその黒い壁に触れる。触った類人猿の一個体が、黒い壁の向こうに輝く太陽と青白い月を見る。それは月を対象として見る知性であり、月の美の出現である。エデンの生き物は月見をしない。月を見て美しいと感じる知性は芸術の発生である。と同時に、失楽園である。

 

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2001 A Space Odyssey Monolith(2)

 月見の類人猿は、自分でも気づかぬうちにエデンから離れていた。見た目は他の類人猿と変わらないが、彼(彼女)は既に「ホモ・サピエンス(Homo Sapiens)」なのだ。後日、その月見の個体は骨を不思議そうに眺めることになる。これまでなかった感覚が内発的に生じてくる。彼(彼女)の中で「サピエンス」が発動する。「サピエンス」は語りかける。この骨は万能の道具であると。

 ひ弱な類人猿はもう存在しない。いるのは無敵のホモ・サピエンスである。こうして、かつて弱者だった群れ、すなわち「ホモ・サピエンス」の一団が、池を占領する類人猿の群れを襲うこととなる。当然、勝敗は戦うまえに決している。

 類人猿の群れのリーダーは、相手が完全に別の生き物に生まれ変わったとは気づかない。見た目が同じなので、リーダーは前と同じように素手で襲い掛かる。しかし、いとも簡単に骨の打撃によって殺されることとなる。月見の個体は「サピエンス」の勝利を祝福し、高らかにその道具を天空に投げる。こうして地球は丸ごと「ホモ・サピエンス」に占領されることとなる。

 

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2001 A Space Odyssey From Bone to Satellite

 空に投げられた一本の骨は、一瞬で、骨のように白くて長い軍事衛星となる。その傍で、巨大な宇宙ステーションが回り、そこに人間を乗せた宇宙船が帰還する。何万年に渡って単なる骨でしかなかったものが、モノリスに触れてからは人殺しの道具となった。骨から軍事衛星までの進化の道のりは一足飛びとして、映画では描写される。確かに、何百万年という悠久の時間に比べれば、何千年というテクノロジーの進化過程は一瞬でしかない。

 最初、人類の夜明けで流されたテーマ音楽はリヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」であった。だが今度は同じシュトラウスでもワルツ王の方のシュトラウス、すなわちヨハン・シュトラウスである。「美しく青きドナウ」が流れる中で、地球の覇者としての地位を謳歌する人類の心情がスクリーンに描写される。

 結局、骨という道具で類人猿を殺したホモ・サピエンスは、自分が作った最高の道具であるAI(人工知能)によって殺されることとなる。その殺戮の現場で唯一生き残った宇宙飛行士デイヴィッド(デイヴ)・ボーマンは、モノリスの導きによりスター・チャイルドとなり、映画は終わる。これは「無時間 → 有時間 → 超時間」という弁証法的発展・統合であり、回帰である。

 だが、この発展の過程は直線的な進化ではない。原始的な生命から始まって霊長類になり、その延長でホモ・サピエンスが生じたのではない。それはモノリスに象徴されるように、断絶の先にあるものであり、古い自分の死であり、それと同時の再生である。連続的な進化の先に新しい時代の夜明けがあるのではなく、唐突なジャンプの先にその世界は出現するのだ。

 いずれにしても、詳しいことは次回以降に述べていきたい。