戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第九十四回 新しい時代に何を手放すのか(1)

1.新しい時代についての大西つねき氏の話

 前回のブログで、新しい時代の到来について述べたが、それについて今回から具体的に述べていきたい。その内容について私の中でおおよそ決まってきた段階で、たまたま以下の大西つねき氏の動画を見ることとなった。

 

www.youtube.com

 

 この内容があまりにも私の考えた内容と似通っていたので驚いたが、これも新しい波の具体的な現れであろう。多くの人々が「このままではいけない」と、限界を感じている。その限界について述べていきたい。

 

2.サピエンスの衝撃

 上記動画の中で中心的テーマとなっているのが、「認知革命」である。「認知革命」は、ユヴァル・ノア・ハラリ著「サピエンス全史」(河出書房新社)に登場する言葉であるようだ。同書は世界的ベストセラーであるために、このブログの読者の中にも既に「認知革命」についてよく知っている方もいるだろう。

 人間という生物の学術名は「ホモ・サピエンス(Homo Sapiens)」であるが、Homoとは「ヒト属」という意味であり、これには既に絶滅した旧人類であるホモ・ネアンデルターレンシスも含まれる。「サピエンス」は「知恵」という意味であるが、この「知恵」が具体的に何であるか、人類学上の議論が紛糾してきた。

 この点、イスラエル軍事史研究家であるユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari 1976-)は、「サピエンス」、つまり人間が人間である所以としての「知恵」を、「虚構をありありと想像し活用する能力」と定義したようである。彼のこの考えが大きな説得力を持ち、ヘブライ語で書かれた同書は2011年にイスラエルでベストセラーになり、その後あっという間に世界的ベストセラーとなった。

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サピエンス全史

 

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Yuval Noah Harari

 ハラリ氏は21歳の時に自身がゲイであることをカミングアウトし、オックスフォード大学時代にはヴィッパッサナー瞑想を開始し、それが「人生を変えた」と述べている。また氏はヴィーガンであり、産業としての牧畜下において動物たちが悲惨な状況にあることに異を唱えている。興味がある方は彼の著作を読んでいただきたいと思うが、私自身はあまりハラリ氏について詳しくないので、このあたりで彼についての記述はやめておこう。

 いずれにしても、私と大西氏が共通して巨大な衝撃として感じているものは、人間がサピエンスとして持っている能力の凄まじさと恐ろしさである。ゴータマ・シッダールタがネパールの王宮を飛び出し、出家した理由も、その同じ衝撃にあるだろう。ほとんどの人は「サピエンス」の凄さと恐ろしさについて何とも思わないが、実は人間の「サピエンス」ほど恐ろしいものはないのである。

 

3.虚構が人間の牙である

 「サピエンス」とは何か。それは、目の前に現実として存在しない観念、すなわち虚構をありありと頭に思い浮かべ、それを他者と共有し、それに基づいて社会を形成、発展させていく能力である。これが人間の最大の武器であると同時に、両刃の剣、すなわち人類を滅ぼす力でもある。

 人間とチンパンジーはDNAを98%同じくすると言われているが、身体能力では大きな差がある。志村けん氏がチンパンジーのパンくんと涙の別れをせざるをえなかったのも、その差による。

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志村氏とパンくん

 チンパンジーは大人になっても体長130cm、体重40kgくらいで、人間より小さい。しかしその力や敏捷性、運動神経は人間とは比較にならず、人間の身体能力では相手にならない。チンパンジーとしては悪意なく、ふざけて人間の腕を引っ張るだけでも、人間からしたら脱臼である。志村氏がチンパンジーを安全に肩車できたのは、相手が幼体だったことによる。

 

チンパンジーの握力が300kgて嘘?ホント?尋常じゃないチンパンジーの身体能力

 

人間の脳は筋肉の退化と引き換えに進化 - ナショナルジオグラフィック

 

 人間、すなわちホモ・サピエンスの身体は、自然界では最弱と言える。ライオンのような爪や牙もなければ、象のような力もなく、小柄なチンパンジーと喧嘩しても勝つことはできない。格闘家は人類最強を目指して日々肉体の鍛錬に勤しむが、彼らの高い身体能力は対人においてのみ発揮されるものであり、チンパンジーと格闘すれば敗北は必至である。

 しかし、誰もが知っているように地上の覇者は脆弱なホモ・サピエンスである。屈強な獣は檻に入れられ、人間の食料となる。人間はそのサピエンスにより、目の前にない未来を想像し、秋の収穫のために春に労働することができる。自然界に存在しない「数」を数え、目には見えない線を大地に引き、時間を区切って行動する。

 ライオンは腹がいっぱいになったら目の前にシマウマがいても襲わない。シマウマも、動けないライオンが目の前にいれば蹴り殺すチャンスであるが、そんなことはしない。それが不変としてのエデンの幸福であるが、人間はそこに亀裂を生じさせる。腹が満たされても次の空腹のために労働し、襲ってこない敵を未来の襲撃に備えて殺す。

 未来の空腹や襲撃は、今、目の前の現実からすれば存在しないものであり、虚構である。しかし、人間はその虚構にこそリアリティを見出し、生の根本に据える。ホモ・サピエンスにとっての「人生」は、野生動物の「生」とは違い、虚構が主役なのだ。

 この虚構の力によってホモ・サピエンスは巨大な文明を築き、非力な弱者から地上の覇者へと登り詰めた。と同時に、ありもしない虚構をリアルに恐れ、その恐れから人間同士が争いあい、奪い合う世界を作りあげた。

 他の生き物からすれば紙でしかない「マネー(Money)」という虚構のために殺し合う生き物。それが人間(ホモ・サピエンス)である。人間(ホモ・サピエンス)は虚構を構築する能力により、地上で最高の知性を得たと己惚れたが、他の生き物の視点からすれば、虚構を崇めたてる人間(ホモ・サピエンス)はむしろ精神病である。

 確かに人間のサピエンス(知性)は、人類を弱者から覇者に押し上げた。これがなかったなら、とっくに絶滅していたかもしれない。だが、今度はその最大の恩恵であるサピエンス(知性)が、人類の破滅を招きつつある。

 「このままではいけない」と多くの人が思っている。しかし、どうしたらいいかわからない。ゴータマ・シッダールタはそこで、誰もが思いつかない方法で、その解決策に至りついた。それはホモ・サピエンスがサピエンスを一度手放すという画期的な方法であった。