戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第十一回 イランが核ミサイルを持つことの意味

 アメリカは7カ国の核合意を離脱した後、イランに対して経済制裁を続けており、イランと原油取引をした国や企業に対しても制裁を加えるとしている。これはあらゆる国に対して、イラン中央銀行との原油取引を禁じるという制裁である。イランの原油取引は全て、イラン中央銀行の決済であるから、イランと諸外国との間で原油の取引がなければ、イラン中央銀行への入金はガクンと減るわけだ。
 では、アメリカの制裁とは具体的にどのようなものか。例えば、日本の商社がイランから原油を買ったとする。そうなると、アメリカ政府は制裁として、その日本の商社のアメリカにおける銀行口座を凍結する。凍結されれば、その商社はアメリカで経済活動ができなくなり、事業が実質上破綻する。それゆえ、イランと原油取引をする商社はアメリカで商業活動ができなくなることを恐れ、それまでイランと頻繁に原油の取引を行っていた会社も、今では1リットルも取引できないわけだ。
 イラン政府が60日の猶予について発表したのは5月8日であるから、7月8日までに英、仏、独、露、中や、日、印などの国がアメリカに働きかけて、こうした強硬路線の考えを改めさせないと、イランは自衛措置として本格的に核開発をすると言っているわけである。
 こうした状況下で、2019年5月23日、インドのハルシュ・ヴァルダン・シュリングラ駐米大使が、インドはイラン産原油の輸入を完全に停止すると発表した。インドは4月に100万トンの原油をイランから輸入して以来、イラン産原油を一切輸入していないと大使は述べた。つまり、インドはイランの求めているアメリカへの「働きかけ」を早々に諦め、アメリカの圧力に屈したようである。
 では日本はどうだろう。おそらく、日本はアメリカに従うことしか考えていない。なので、インドと同様、イランからの原油を輸入することはないし、アメリカに考えをあらためるよう働きかけることもないだろう。日本はイランに対して働きかけるだろうが、その際に日本政府がイランに言うことは、「アメリカに逆らわない方が身のためだ」ということだけであろう。日本は「緊張緩和を求める」とか、「両国の対話を促すよう働きかける」といった内容空疎な表明はするだろうが、アメリカに考えをあらためさせるような活動は一切しないはずである。そうなると、残るは英、仏、独、露、中がどうするかだ。
 ただ、こうした状況でも、一般の日本人はおそらくピンとこないだろう。そのことが一体、なぜ第三次世界大戦へと発展する可能性があるのか。核ミサイルはアメリカやロシア、中国、イギリス、フランスだけでなく、今ではイスラエル、インド、パキスタンなど多くの国が持っており、おそらく北朝鮮も持っている。これにイランが加わったとして、何だというのか。普通の日本人からすれば、ピンとこないだろう。
 実際、イランがこれから核開発をしていくにしても、すぐに実戦で使える核ミサイルが完成するわけではない。また、核ミサイルが完成しても、イランの本音としては、核戦争がしたいわけではない。イランの目的は戦争ではなく、政権と経済の安定である。それゆえ、イラン政府としては核ミサイルを持ち、これを外交カードとすることで、自国の原油を世界中に売って経済的苦境を打開し、政権の基盤を盤石としたいわけだ。なので、原油を世界に販売でき、かつ自国の政治体制をアメリカが保証するなら、イランとしては核開発を放棄し、再びIAEAの査察を受け入れてもいいはずである。
 現在、イランの経済は苦しい状況にある。通貨の価値は下落し、インフレ率はおよそ40%、物価は上昇している。2019年4月、イラン中央銀行の発表によると、昨年に比べてイランの牛肉は67%、羊肉は52%、鶏肉は67%値上がりしている。飲料や食品の値段は平均して60%上がっているようだ。失業率は約13%だが、若年層失業率は約30%だそうである。イランは日本のような高齢化社会ではないので、人口の約半分以上は30代以下、つまり若者の数が多い。こうした状況を見て、IMF国際通貨基金)は2019年イランのGDP国内総生産)の実質成長率をマイナス6%と予測している。
 このため、イランの目標は軍事大国になることではなく、早く原油を売って、落ち込んでいる自国の経済をとにかく元に戻すことである。そのために、各国がアメリカを説得して経済制裁を解くか、核開発で脅して制裁を解かせるかの二者択一を考えているのだ。それゆえ、アメリカが核合意の路線に戻るのなら、イランも核武装せずに原子力発電所の稼働だけで満足する可能性が高いのである。
 もちろん、イランの内部も一枚岩ではないので、今後の状況は変わる可能性がある。このままアメリカの制裁、つまり兵糧攻めが続けば、イラン内部でも強硬派が台頭し、現政権が倒れ、強硬派政権が誕生するかもしれない。あるいは現政権が世論の右傾化におもねって、強硬な政策を実行する可能性がある。経済制裁が続くと国民の中で穏健派、協調派が弱まり、主戦派、強硬派が強くなっていくという傾向は、戦前の日本で起きた歴史的事実である。どこの国でも、経済格差が広がり、中間層が瘠せ細り、貧困層が増えると、民族主義的傾向、右傾化が進むのだ。
 イランの世論が右傾化し、核武装に突き進む場合、それに対抗して燃えるのはイスラエルである。1981年6月7日、フセイン政権時代のイラクを、突然、イスラエル空軍の戦闘機が侵入して空爆した。イスラエルではこれをバビロン作戦と呼んでいる。イラクは当時、国内で原子力施設を建設していたのだ。タムーズの原子炉である。原子力発電所としても完成が先の未熟な施設であったから、そこから核ミサイルを製造するという行程はだいぶ先だと思われた。しかし、イスラエルは突然、そこを戦闘機で空爆したのである。
 イスラエルイラクは国境を接していないので、戦闘機はサウジアラビアの砂漠地帯をサウジのレーダーに見つからないように低空で飛び、地上30メートルの低空を飛ぶこともあったという。このことからも、イスラエル空軍のパイロットの技術は非常に高いものだとわかる。そうして密かにイラク内に侵入し、戦闘機に搭載したミサイルでタムーズの原子炉を破壊した。その手口があまりにも鮮やかだったので、フセイン政権のイラク政府は、誰が施設を爆破したのか、最初はわからず、イランの仕業かと思ったそうだ。当時はイラン・イラク戦争(1980-1988)の最中だったからだ。
 その後、事態が明るみになり、当然、施設を破壊されたイラクだけでなく、領空侵犯されたサウジアラビアも、そして国連も怒った。国連では国際法に違反したイスラエルに対する非難決議が下された。いきなり他国に入って、他国の財産を爆破したのであるから当然である。もし、イスラエルが同じことをされたのなら、中東の大戦争に発展したところだ。しかし、結局のところ、イスラエルはまったく反省せず、国連も国際社会も、イスラエルに対してただ非難の声明を発しただけで、実質上は何もできなかった。
 今年になってからも、イスラエルがいきなりシリアの領内に侵入し、シリア領内のシーア派組織の建物を空爆している。結局、中東地域でイスラエルが何をしようが、国連は何もできないのだ。イラククウェートに侵攻した時は、あっというまに国連の安保理決議で多国籍軍が編成されたこととは、大違いである。
 イスラエルがなぜこういうことをしているのか言うと、イスラエルの国是は、中東地域でイスラエルのみが唯一核兵器を持つことなのである。つまり、イスラエルは中東地域でイスラエル以外の国が核兵器を持つことを絶対に許さない。イスラエルは核ミサイルを200発持っていると言われているが、近隣諸国が1発でも核ミサイルを持つことは、絶対に許さないのである。
 この国是からすれば、イランが核開発をするというなら、イランが核ミサイルを完成する前に、イスラエル空軍がイランに侵入して、イランの核関連施設を空爆するということは、十分にありえる。そうなったら、かつてのタムーズ原子炉爆破事件のように、何の反撃も起こらず、うやむやになって終わるということはあり得ない。イランは自国の施設をイスラエルに破壊されたら報復するに決まっているし、それは中東で大戦争へと発展する可能性がある。
 イスラエルの世論も一枚岩ではない。イスラエルが2009年のネタニヤフ政権発足以来、着実に右傾化しているとはいっても、2018年7月19日のユダヤ人国家法は、62体55で可決されている。つまり、62は強硬派であるが、55は協調派、つまりまともな精神状態の人がイスラエル国会でもまだ55人はいるということである。強硬派の中でも戦争に躊躇する人はそれなりにいると思われるから、そう考えると、イスラエル国民の過半数は戦争を望まないはずである。
 つまり、イスラエル国民の過半数は、イラン核合意(JCPOA)を維持して、中東の平和を維持することを望んでいると言えるだろう。イラン核合意によって、イランの原子力開発が発電のみに限られ、核兵器へと発展しないなら、中東で核ミサイルを保有する国はイスラエルのみというイスラエルの国是は守られる。国是が守られるならば、イランが原子力施設を持っていることに不快感を抱きつつも、イスラエルの国民の過半数はそれで納得するはずである。
 もちろん、イスラエルの強硬派はイラン核合意(JCPOA)に納得しない。彼らはアメリカの核合意離脱に大賛成である。イランが原子力発電所を持っているということは、たとえ原子力エネルギーの平和利用だとしても、核開発の種を持っているということだから、強硬派からすれば納得できないからだ。彼らは、イスラエル国民が枕を高くして眠るには、イランからあらゆる原子力発電所も含め、あらゆる核施設を削除するべきだと思っている。
 そうした右翼よりもさらに強硬な右派からすれば、イランの原子力が全て消えるだけでは満足できない。イランという国家自体がイスラム国家ではなく、国家体制を変革し民主主義国家にならないと納得しないと言うだろう。そのまた、さらに極右であれば、イランという国家は即刻消滅して、地図から消えるべきだと言うだろう。そのためには、イスラエルで多大な犠牲が出ても、イスラエルはイランに核ミサイルをうつべきだと言うだろう。
 しかし、どこの国でも極右の人(頭のおかしい人)は少数派である。今のイスラエルでも、多数派は常識的な考えの持主であり、戦争を望まないはずである。そう考えると、イスラエル過半数は、イラン核合意(JCPOA)のもとでイランが核開発能力のない原子力施設を持つという状態は、ベストではなくとも、悪くない状態、つまり妥協点として現実的なものであると思うはずである。
 そう考えると、やはりトランプのやっていることは、イスラエルの強硬右派だけが喜ぶ政策であり、平和を望むイスラエル過半数の国民やその他中東の多数派の人々の意志とは逆行するものであるように思える。核合意の体制を維持していたなら、中東は今のような一触即発の状態にはならなかった。核合意体制は、イランとイスラエル両国の強硬派が不満を持つものであるが、両国ともに過半数は右でも左でもない単なる一般市民である。どこの国でも、多数派を占めるのは政治に関心のないノンポリ市民なのだ。
 核合意体制下では、イランの強硬派は自国の核開発能力を抑えつけられることに不満を持ち、イスラエルの強硬派はイランが原子力施設を持っていることに不満を持つという状態ではあるが、戦争を避けるために互いが妥協するという玉虫色の解決に、両国の多数派の国民は承服していたはずである。政治や民族主義に関心のない多数派国民は、民族の誇りよりも経済生活や家庭生活の方が遥かに重要であり、戦争の危険性がなく平和に暮らせるならそれが一番だからである。
 しかし、アメリカの離脱により、互いの妥協により成り立つ核合意体制は、もうない。イスラエルであろうが、イランであろうが、その国民の多数派は民族主義者でもなければ宗教原理主義者でもなく、生活第一主義者である。戦争がなく、平和に経済生活、家庭生活ができることが、彼らにとっては最重要である。しかし、アメリカの経済制裁により、イランの庶民の生活は日に日に苦しくなっている。こうなると、民族や宗教に関心がない生活第一主義者も右傾化し、自国の核開発に賛同する世論が高まる。
 イランが核開発を進めれば、イスラエルの生活第一主義者も右傾化してくる。平和な状態なら民族や宗教に関心を持たない生活第一主義者たちが右傾化しはじめるのである。こうして、イランとイスラエルの両国民が右傾化していけば、両者は一触即発の状態に近づくことになる。生活第一主義VS生活第一主義という構図なら、戦争にはならない。互いに自分の生活が一番大事だからである。しかし、右派VS右派という状態になってしまえば、平和は難しい。生活よりも国是や民族の誇りの方が大事になってしまうからだ。
 イスラエルの強硬右派からすれば、イランには原子力の平和利用であろうが核開発であろうが、原子力の全てをやめてもらいたい。のみならず、核弾頭のついていない通常ミサイルの大幅な削減もしてほしい。しかし、イランからすれば、それを全面的にのむことはできない。自国の電力政策や通常兵器による防衛政策を他国の干渉なく自国で決めることは独立国の正当な権利だと主張するだろう。核合意は、そうした両者に妥協を迫る解決策だったのである。
 結局のところ、イランにしてもイスラエルにしても、右派勢力の要望を実現するとなると、もう片方の不満は爆発することとなる。それゆえ、核合意では玉虫色の解決により、両国の右派が不満を抱きながらも互いに我慢するという状態で平和を実現しようとしたのである。しかし、今はトランプ率いるアメリカが片方の右派に全面的に賛同する状態となってしまっている。それゆえ、解決の糸口がつかめない状態となっているのである。