戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第二十四回 CSIS、その歴史と日本との関係(2)

1.イグナチオ・デ・ロヨラと学校システム

 イエズス会初代総長であったイグナチオ・デ・ロヨラ(1491-1556)は、もともとバスク地方アスペイティア(現在のスペイン東北部)の騎士であり軍人であったが、29歳の時、戦地での負傷をきっかけに療養生活に入る。足を負傷し、父の城で身動きがとれなかったロヨラは、暇をもてあました。そのため、騎士道に関する本を読もうと思ったが、あいにくその手の本はなかった。仕方なく、彼はたまたまそこにあったキリストの生涯や聖人に関する本を読んだ。その時、不思議なことに彼は自分の生き方はこれだと思ってしまう。

 自らの生き方を確信したロヨラは、健康を回復した後も軍務に戻ることはなく、モンセラートのベネディクト会修道院を訪れ、一切の武具を聖母像の前に捧げ、聖母に対して献身的に生きることを誓う。その後、カタルーニャのマンレザの洞窟に籠り、瞑想生活をおくるようになる。そこで、彼は啓示を得たと言われている。それが、彼の言う「霊操」という思想の出発点となった。

 身体は運動などで鍛えなければ、強くなることはない。それが「体操」である。これと同じく、霊も「霊操」によって鍛えられなければ強くなることはない。鍛えられた軍人が頑健な身体を持つことと同じように、「霊操」によって鍛えられた霊のみが神の御意志を見出すことができる。これは、もともと軍人であったロヨラらしい霊的修行思想であった。

 彼はこの修行方法を体系的にまとめ、求める人々があれば隠さずに教えた。そのため、噂を聞きつけて様々な人々が彼のもとを訪れるようになる。パリ大学で哲学を学んでいたフランシスコ・ザビエル(1506-1552)も、ロヨラの影響を受け司祭となり、後に日本に来ている。こうして優秀な若者を次々と引き寄せたイエズス会は、ヨーロッパにおいて強烈な光を放つ修道会へと成長していった。

 この時のイエズス会の主な活動は、黙想を中心とした修行生活、欧州各地での宣教活動、病院での奉仕活動などであった。またロヨラはもともと軍人だったこともあり、規律を尊ぶ組織作りに長けていた。そのため、彼は各地の修道会の組織化、神学校や一般学校の設立にもその才能を発揮した。ロヨラの志に深い感銘を受けたシチリア総督のホアン・デ・ヴェガ(1507-1558)は、ロヨライエズス会士をシチリアの都市メッシーナに招き、メッシーナ大学を開設させた。

 こうしたロヨラの卓越した組織作りの才能が教育システムとして開花し、メッシーナ大学は後のイエズス会教育機関の範型となった。アメリカのジョージタウン大学、日本の上智大学もその発展形である。上智大学のホームページの記述によると、現在、イエズス会が設立母体となっている高等教育機関は、世界で200校以上あるとのことである。

 

2.ロヨラという原点から戦略知能集団への道

 イエズス会の原点は、ロヨラの黙想体験にある。元軍人が読書の体験により、生き方を180度変える決心をした。その決心を皮切りに、洞窟で黙想をするようになり、矮小な自己の不存在を喝破したという体験である。こうした人物が洞窟から世間に出てくると、その「無」の波動は、良くも悪くも強烈なものである。その振る舞いと言動が、明らかに世間の規格から外れるからだ。

 世間は常に退屈し、不満を抱えた共同体である。それゆえ、洞窟から出て来た男を放っておくことはない。ブラックホールに星々が吸い寄せられるように、彼のもとには様々な人が集まってきた。世間の虚飾に飽き飽きした人。世の中で虐げられ、惨めな思いを抱えている人。オカルト趣味の神秘愛好家。神の御加護で現世利益を得ようとする俗人。癒しを求めてスピリチュアルに走る人。悪事の限りを尽くして大金を得たおかげで、罪の意識を抱える金持ち。

 原初は穏やかな清流でも、様々な汚濁を巻き込むうちに、その河は膨れ上がった激流となり、街を覆いつくす。これはいつの世でも不変な、集団の拡大発展の形式である。と同時に、啓示を受けた個人の内面的変化の過程でもありうる。年月を経たイエズス会が原初の会と同じであったはずもないが、ロヨラの心も、洞窟にあった時のものと後のものとでは、もしかしたら異なっていたのかもしれない。

 キリスト教に限らず、仏教であろうが、他の宗教であろうが、その誕生と拡大の過程は恐ろしいほどに似ている。原初、その意識は観想による徹底した空性(くうせい)の自覚にある。そこに、世間に溢れるガラクタとしての言葉や観念は、取り付く島もない。徹底した観想によりガラクタを削ぎ落とした「霊操」としての意識は、あらゆる観念の拠り所を失う。洞窟を子宮とした意識は、自らを洞窟とするのである。

 そこにはキリストも仏(ほとけ)も、世界も宇宙もない。そうした観念のもととなる言語が絶せられているからである。その時、空性そのものの体験が、「空性」という言葉と出会う。それまで辞書や本の中で目にした知識としての言葉が、ここではじめて血肉を得た言葉となるのだ。こうして、実在と言葉がはじめて合致する。これを「降りてくる」と表現するならば、「啓示」や「降霊」、あるいは「御言葉(みことば)」と表現することもできよう。

 体験から必然的に生み出される言葉(Logos)と、世間に流通する情報としての言葉(Language)とでは、面構えとして同じ「言葉」であっても、その中身がまったく違ったものである。それゆえ、言語(Language)という流通貨幣としての言葉しか知らない精神は、受肉された言葉(Logos)に引き寄せられる。こうして、「空性」という台風の目を中心とした宗教集団が形成されていく。イエズス会という巨大組織の原点は、ロヨラというたった一人の「空性」の自覚なのである。

 しかし、祖師亡き後の宗教組織は形骸化する。これはキリスト教に限らず、どんな宗教組織でも抱える宿命である。台風が強力なのは、その中心が無だからである。それゆえ、中心としての無の死とともに、台風全体が死んでいくのは必然である。残されるものは、台風のあとの残骸としての街である。

 ロヨラの強烈な軍人精神は、兵士としての暴力性を捨てた後の彼にもそのまま残り、そのエネルギーは彼を強固な黙想へと追い込んだ。彼を強い軍人に育てたのも、またその同じ彼に軍事を丸ごと捨てさせ、洞窟に追い込んだのも、この同じエネルギーである。そうして彼は、「無心」という台風の目となったわけだが、そこに吸い寄せられた有象無象の心は、彼ほど強い精神力を持たない。軍人として徹底的に身体を鍛え上げ、その同じ力でもって精神を鍛え上げるというロヨラの生き方は、世間の安きに流れる人生と合致するものではない。

 そのため、彼の後継者達はロヨラの徹底した強い黙想の相続人にはなれなかった。弱い精神は強い精神の跡継ぎにはなれないため、中身ではなく、その形だけを受け継いだ。つまり、彼の規律に満ちた組織作りの才能と風格に満ちた看板だけを受け継ぐ。それがロヨラ亡き後のイエズス会である。つまり、始祖亡き後の会は、黙想と無心を求める強い心ではなく、目に見える成果を求める強力な知能集団となったのである。

 こうして、イエズス会は軍隊的な規律とピラミッド形式の上下関係を持った神父の集団となった。それは、上からの命令に「死体のごとく」に従う組織であり、地の果てまでも行軍して布教する宗教集団である。彼らはその高い知能と強固な信仰心、鋼のような訓練魂を抱えて、東洋の僻地にまで降り立つ。そこで彼らは現地の言語を習得し、民族の弱点を徹底的に分析し、最も有効な布教方法を考えるのである。

 これは、効果的な布教方法というだけにとどまらず、優れた植民地支配のための戦略的知性へと発展した。こうしてイエズス会メソッドは、西欧のみならず、アフリカやアジアも席巻する暴風となったのである。

 

絵:ゴヤ(1746-1828)が描いたロヨラ(San Ignacio de Loyola)

 

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San Ignacio de Loyola