戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第二十六回 CSIS、その歴史と日本との関係(4)

1.イエズス会メソッドに敗れた日本

 イエズス会系列の高等教育機関は、現在、世界で200以上にのぼる。その卓越した組織づくりのメソッドは、当然、軍事組織にも使われる。例えば有名なところでは、ナチスの親衛隊(ドイツ語でSchutzstaffel、略号SS)である。

 1929年、ヒムラー(Heinrich Himmler 1900-1945)が親衛隊のトップになった時、隊員は280名にしか過ぎなかった。その後、世界恐慌の状況下でのナチスの躍進により、親衛隊は1932年末には5万人以上の大組織となっていた。この組織の屋台骨となったメソッドが、ヒムラーの研究したイエズス会メソッドであった。彼は親衛隊の組織づくりのために、イエズス会のことを徹底的に研究したのだ。親衛隊は、その急速な勢力拡大と黒い制服から、「黒いイエズス会」と呼ばれるようになった。

 このことは、イエズス会メソッドの特徴である上意下達の厳格な組織づくりの手法が、欧米の様々な場所で幅広く用いられたことを、歴史的事実として示している。イエズス会メソッドの一つの特徴が、こうした厳格な組織づくりのノウハウである。そしてもう一つの特徴が、支配地に対する詳細な分析メソッドである。その代表的なものとしては、アメリカのジョージタウン大学であり、同大学から多数の優秀な人材がCIAに送り込まれていることを見ても、メソッドの優秀性は証明されていると言える。

 「敵を知り己を知れば百戦危うからず」という孫氏の兵法の言葉があるが、イエズス会メソッドの中核はそこにある。それゆえ、アメリカは日本と戦争をするにあたっても、こうしたイエズス会メソッドに忠実に実行した。他方、孫氏の兵法を古くから知っていたはずの日本人は、たいしてアメリカのことを知らず、自分の本当の実力についてもよく知らないまま、開戦に突入してしまった。

 これは現在まで続く、日米間の約80年の歴史の特徴であろう。相手は日本のことをよく知っており、常に詳細に分析し、どうやって攻略するかの戦略を考え続けている。他方、日本の場合は戦前においてはアメリカについてよく知らないままに殴り合いの喧嘩に突入し、戦後はただ盲目的に従うだけである。戦前は喧嘩の相手を分析せず、戦後は親分のことを知って対策を練ろうとしない。

 太平洋戦争において、日本はアメリカになぜ負けたか。このことを日本人に質問すれば、物量の差、兵力の差といったハード面に着目した答えが多く返ってくることだろう。しかし、物量の差、兵力の差だけで考えるなら、ベトナム戦争アメリカ軍が勝てなかった理由が説明つかなくなる。それゆえ、日本がアメリカに負けた理由としては、ソフト面の差、つまり知力の差だと答えることが最も適切だろう。

 日本人がアメリカ人を「鬼畜米英」と蔑み、敵性語を排斥していた時に、アメリカ人はイエズス会メソッドに則り、日本人の研究に全力を注いでいた。彼らの狙いは、日本軍が使っていた暗号であった。そのために、彼らは日本について多方面から研究した。暗号の解読には、数学的な知識と思考力、暗号機器の技術力だけでなく、日本語や日本文化に対する高度な理解が必要だったのである。

 例えば、「ニイタカヤマノボレ」や「トラトラトラ」といった暗号をデータとして解読しても、「新高山」や「虎」といった日本語の文化的な意味がわからなければ無意味である。つまり、暗号解読のためには、数理解析や工学などの理数系の学問的知識だけでは不十分であり、日本語や日本文化といった文系の学問的知識も必要なのである。

 アメリカは当初、電気式計算機によって暗号の解読を行っていたが、開戦後には真空管による計算機を発明し、さらにスピードをもって解読作業を行った。なお、こうした戦時中の軍事技術としての暗号解読技術の開発は、計算機の性能を飛躍的に向上させ、戦後のコンピューター技術の基礎を築いた。現在のコンピューター関係の技術は、そうした軍事技術が基盤となったものである。

 こうして、日本軍が用いていた暗号は、ほぼ全て、米軍により解読されてしまった。日本人は気づいていなかったが、この戦争は全てが筒抜けの中で行われていたのである。日本人は戦後になっても、このことを知らなかった。自分達の機密情報が全て筒抜けだったことを日本人が知ったのは、戦争が終わってから30年以上が経ってからである。

 

2.欧米におけるIntelligenceの意味

 ブルーノ・ビッテル(Bruno Bitter 1898-1988)は、ドイツのキール生まれのイエズス会神父であるが、1934年、ドイツ・イエズス会日本布教部代表として日本に赴任した。その二年後、上智大学理事に就任。1945年の日本の降伏直後から1952年までは、駐日ローマ教皇庁代表・バチカン公使代理を務め、GHQ最高司令官マッカーサーを補佐していた。

 彼は、靖国神社を守った神父として伝説が残っているため、日本の右翼関係の人の間では有名である。GHQ靖国神社をつぶして競馬場にしようとしていたが、ビッテル神父がそれに反対したおかげで、靖国神社がつぶされずに残ったという伝説である。私はこの伝説が本当か嘘かは知らないが、ドイツ人の神父がアメリカのマッカーサーの補佐役をしていたという事実は興味深いと思う。

 マッカーサービッテル神父を補佐役としていたのは、ビッテル神父が日本に相当詳しかったからであろう。つまり、ビッテル神父イエズス会士として、日本に関する情報を収集し、日本を分析していたということだ。その知見がGHQにとって相当に役に立ったのだろうと思われる。

 結局のところ、帝国主義的な意味での戦争というものは、人殺しによって相手国を占領・植民地とし、その国から莫大な利益を得ることである。日本がアメリカと戦争をした理由は、アメリカを植民地化することではなかったが、アメリカにとって戦争の理由は日本を植民地化することであった。戦争というものは苦労が多く大変なことだが、植民地運営も苦労が多く大変なことである。その際、最も大事なものは質の高い情報をもとにした戦略である。

 太平洋戦争の真っ只中において、米兵が死体となった日本兵の軍服から手紙や物品を抜き取り、本部に渡していた理由は、戦争に勝つための情報収集という目的だけではない。それは、戦後の統治のためでもあった。原住民の言語や文化や思考パターンを徹底的に分析することで、円滑な植民地支配が可能となる。

 そもそもヨーロッパの大学における言語学民俗学民族学文化人類学、地理学、地政学などの学問は、全てアジア・アフリカとの戦争および植民地支配と結びついている。ケンブリッジ大学やオックスフォード大学における学問的蓄積は、イギリス軍の世界征服と植民地支配に大いに役に立った。つまり、それらの長い伝統を持つ大学は、世界的な学問の中心地であると同時に、軍事的・政治的な情報センターでもあるのである。

 つまり、欧米におけるIntelligence(知性・情報・知力)とは、学問、軍事、政治、植民地支配が一つになったものである。CIAのIとはそういったIntelligenceのことであり、CSISのStudiesとはそういったことについてStudyする(研究する)ことである。

 日本人からすると、研究機関や学問機関というものは、学校のお勉強の発展形というイメージかもしれない。つまり、無色透明、公正中立なお勉強というイメージである。しかし、欧米の研究機関や学問機関は、軍事や植民地支配のノウハウと深く結びついたものである。そういった学問姿勢が人類的次元という見地から正しいのかどうかはともかく、実際問題として、帝国主義国家のIntelligenceは何百年にも渡る植民地支配のノウハウなのである。

 イエズス会メソッドは、そうしたノウハウのうちの一つであり、最も優れたメソッドのうちの一つである。それは、布教活動と軍事と植民地支配が一つになったものである。この考え方が、現代においても多くの組織に受け継がれている。CIAも、CSISもそうである。そこでのIntelligenceやStudyといった言葉は、軍事や植民地統治といった言葉と切り離せないものなのである。