戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第三十七回 CSIS、その歴史と日本との関係(12)

 今回で、12回にわたったCSISシリーズを終了したい。

 1.カポーと一般国民の格差

 CSISは、形式的にはアメリカのシンクタンクであり、小さな民間団体に過ぎない。しかし、その背後には在日米軍アメリカ企業などがおり、その人脈を辿るとCFR(Council on Foreign Relations外交問題評議会)に行き着く。そのため、店の規模として小さなものであっても、その厨房の裏口のドアは、相当に大きなものへ通じている。

 アメリカの政権は4年または8年で変わる。日本の政権も数年で変わる。となると、実質的に両国を動かしている権力はそうした表舞台ではなく、継続的な裏舞台だと考えられる。裏舞台には選挙による交代がない。すなわち、官僚、企業、司法、軍隊、大学、シンクタンク、マスコミである。そうした顔の見えない団体が、国家における実質的な権力を握っている。

 この制度は、日米両国の国民のほとんどにとっては、利益にならない。アメリカの国民のほとんども、貧困に喘いでいる。植民地の人々は宗主国の搾取によって青色吐息であるが、宗主国の国民も青色吐息なのだ。しかし、いつまで経っても、このシステムが転覆される兆しはない。これは、民主主義という奴隷制度が非常にうまくいっていることの証明である。

 これは、青色吐息の国民が、民主主義という形に騙されるということである。国民は選挙権を持っているために自分を主権者だと勘違いするが、実際にはA党もB党も同じボスの配下にいるエージェントである。保守系の新聞も革新系の新聞も、同じ穴のムジナである。TVニュースは絶対に本質を語らない。官僚や学者や警察は、カポーである。彼らは自分が下層階級に落ちないために、必死になって自国民に対してムチをふる。

 それゆえ、日本政府がCSISの言いなりになっていることを山本太郎が国会で取り上げても、日本社会は冷ややかなものである。マスコミも取り上げない。なぜなら、カポーからすれば、そんなことはあまりにも当たり前すぎて、真正面から言われてもシラけるだけだからだ。政治学者の白井聡は、この点について、次のように述べている。

 

属国民主主義論 白井聡 内田樹 東洋経済新報社 26頁

ところで、国会で山本太郎議員が、「安倍政権の目玉政策はアーミテージ・レポートの引き写しではないか」と追及したことがあります。その指摘はまったく正しいわけですけれども、それを聞いたときの他の議員たちの反応が象徴的でした。「それを言ったらおしまいだろう」とでもいう雰囲気で、妙にシラケたものでした。「そんなことぐらい、国会議員ならみんな知っている。知っているけれどそれを口に出さないことで、俺たちは国会議員ごっこ、政治家ごっこができるんじゃないか。それなのに、お前は何を野暮なことを言ってるんだ」という反応で、「日本はアメリカの属国である」という状況を完全に容認してしまっている。「こいつらが日本国民の代表なのか」と思ったら、猛烈に腹が立ってきましたね。

 

「今回の安保法案は、第3次アーミテージ・ナイ・レポートの完コピだ!」

https://www.taro-yamamoto.jp/national-diet/5047

 

 多くの日本人は、日本という国が平等社会であることを夢想している。しかし、実際にはその格差は凄いものである。格差の源は物質的なものに限らない。年収や貯金額の格差は、知的格差に比べれば重要ではない。甚だしい格差は知識の格差である。カポー達からすれば、CSISに関する知識は当たり前なことであるが、奴隷たちはCSISの存在すら知らない。

 こんな状況で選挙に行って国政の在り方を決めろと言われても、サルの投票に等しい。何も知らない人達が何色のカポーを選ぶかという選挙をしても、カポーが奴隷にムチを打つという構造は変わらない。ムチの色が青から赤に変わっても、ムチであることに変わりはない。同じように奴隷はムチで打たれ続け、警察は反逆者を逮捕し、マスコミはそれを報じない。

 マスコミはいつでも、国民に対して「選挙に行け!」と言って煽るが、彼らは選挙によっては何も変わらないことをよく知っている。肝心なことを報道せず、事実を隠しながら、「投票に行こう!」と言って国民を煽り続ける。国民もそのカラクリを知らないために、「打倒安倍政権!」のデモはするが、「打倒CSIS!」のデモは絶対にしない。

 宗主国からすれば、これは大変に都合のいいことである。日本人がアメリカ人ではなく、カポーを恨み、日本人同士で喧嘩することは、「分断して統治せよ」という植民地支配の大原則に合致するからである。植民地の有色人種は何百年もこれに気づかず、仲間内で喧嘩をし続ける。常に分断され、同じ民族同士で喧嘩をさせられるのである。

 なぜ有色人種はいつまで経っても、いいように支配され続けるのか。それの原因が知的格差である。宗主国と植民地の間には相当の知的格差があり、カポーと一般国民の間にも相当の知的格差がある。カポーからすればCSISが日本を牛耳っていることは常識だが、一般国民は何も知らない。

 CSISのことを一言も述べない野党は、その点では与党の共犯者である。彼らは喧嘩するフリをしながら、宗主国の支配体制を支え続ける。マスコミも同様であり、左翼風情のメディアは安倍政権を批判するが、CSISのことは一言も述べない。そうやって彼らも支配体制を下支えする。こうして、一般国民は真実を知らされないまま、無駄な選挙が繰り返され、宗主国に搾取され続け、今日もTVでは茶番劇の政治論争が繰り返されるのである。

 

2.日本人という人殺し

 日本がアメリカの奴隷であるということは、日本人が頑張って働いたことの利益がアメリカの企業に吸い取られることを意味している。また、軍事、医療、食品、原発といったアメリカ企業の奴隷になることは、それらによる健康被害を日本人が甘んじて受けるということを意味している。しかし、問題は経済的な損失や健康問題のみではない。もっと深刻な問題がある。それは、日本人が人殺しの共犯者になることである。

 

日本は主権国家といえるのか? 米軍優位の日米地位協定・日米合同委員会と横田空域(16)

http://www.asiapress.org/apn/2019/09/japan/nichibei-16/

 

 CSISは、アメリカの安全保障政策にもっと積極的に参与して欲しいと日本に対して言う。これは具体的に言えば、アメリカが実行する戦争に日本人も手を汚し、血に染まりながら参加してほしいということである。

 かつて、イエズス会が日本に来た時には、彼らの目的は布教であった。もちろん、その先には侵略と占領という目標があったが、それは遠い目標であった。その後、GHQが日本を占領し、CIAは日本の毛細血管に行き渡った。そして現在では政策センターであるCSISが、戦争という公共事業に、もっと積極的に参加してもらいたいと、積極的に日本に働きかけている。

 それは、日本人が対岸の火事として戦争を眺めることではない。現場で血と汗を流して欲しいという要求である。その要求は今後、ますますエスカレートしてくるだろう。中東でCIAが行っているスパイ活動を自衛隊にも手伝って欲しい。中東でばら撒く生物兵器を日本の研究所で開発してほしい。中東に自衛隊を派遣して、現場で戦闘に参加して欲しい。

 陸自のレンジャー隊員だった井筒高雄さんは、アメリカ軍が望んでいることは兵站部門のアウトソーシングであり、安保法制は戦争ビジネスの一環であると述べている。補給部門は戦闘現場の生命線であるから、当然、死傷者が出る確率も高い。補給が途絶えれば現場の兵士は窮地に陥るため、相手も補給部隊を狙ってくる。

 イラク戦争で4000人以上のアメリカ人が死に、30000人以上の負傷者が出ている。アメリカからすると、再び中東での戦争で米兵が大量に死ぬと、アメリカ世論がうるさい。しかし、自衛隊員が死ぬのならアメリカとして損はない。それゆえ、米軍は自衛隊兵站部門を担うことを期待している。

 

11・26 井筒高雄浜松講演「自衛隊と日本はどう変わるのか」

http://www.pacohama.sakura.ne.jp/no15/1511idutu.html

 

 例えば中東で戦争が起こり、自衛隊が前線で兵站部門を担うとなれば、日本人はもう傍観者ではない。間接的な犯人ではなく、直接的な戦犯である。そうなった場合、日本人お得意の「知らなかった」という言い訳を被害者が聞いて納得してくれるだろうか。人殺しをしておいて、「自分は目の前の仕事を黙々とやっただけだ」という言い訳が通じるだろうか。

 日本社会では、「知らなかった」という言い訳や、「上からの命令で仕方なくやった」という弁明は、非常に受け入れられやすい。この言い訳はあまりにも効き目があるために、我々はあえて余計なことに首を突っ込まないようにして生きている。「知りすぎた人」にならないようにしているのだ。しかし、日本社会で受け入れられる言い訳が、外国でも通用するとは限らない。

 知らない間に戦争に巻き込まれ、知らない間に自衛隊が人殺しをしても、その責任は日本国民全体が取ることになる。中東で起きる殺人の報復として、将来、東京でイスラム教徒の自爆テロが起きるようになっても、それは日本人全体が責任を取らなければならない。戦争で金儲けをする人達の言いなりになって生きてきたことの責任は、無知の日本人も含め、全員で取らなければならないのである。