戦争と平和、そして無記

国際政治や歴史、およびその根底にある人類の心のメカニズムについて考察していきます。

第九十一回 一人でやる民主主義(5)

1.ベーシックインカムで儲けるGAFA

 新型コロナウイルスの蔓延により、企業が次々に倒産している。体力の乏しい企業はもちろん、通常なら倒産と無縁の優良企業も倒産している。いわゆる「コロナ倒産」である。これにより失業者が増え、多くの人達が生活の危機に直面している。警察庁発表によると、2020年10月から「コロナ自殺」が急増しているようだ。

 

女性の「自死」が急増中…そのあまりにも「やりきれない」理由とは?

 

 しかし前回のブログで述べたように、新型コロナウイルスによる経済ショックは、世界大恐慌(1929年)やリーマンショック(2008年)とは明らかに異なる。富裕層がますます金持ちになっているからである。危機に陥っているのは貧困層、中間層、そして巨大IT企業を除いた大企業である。

 この状況下で、奇妙なことだが超富裕層はベーシックインカムの導入を声高に訴えている。つまり、国民の生活保障のために政府が財政出動することを訴えているのだ。ニューヨーク大学教授のスコット・ギャロウェイ(Scott Galloway 1964-)は著書の中で次のように述べている。

 

GAFA 四騎士が創り変えた世界 スコット・ギャロウェイ 渡会圭子訳 東洋経済新報社 91

 最近のカンファレンスで、私の前にジェフ・ベゾスが講演を行ったことがある。映画『シックス・センス』で死者が見える子どもと同じように、ジェフ・ベゾスには、ほとんどのCEOたちよりビジネス界の将来がよく見えている。

 雇用破壊と、社会にとってのその意味について訊かれたとき、彼はこう答えた。「最低限所得補償制度をふたたび採用することを考えるべきだ。そうでなければ、逆所得税によって、すべての国民に貧困ラインを上回るだけの現金を支給するべきだ」。聴衆は口々に褒め讃えた。「弱者のことをそれほど考えてくれるとは、なんと偉い人だ」と。

 

 しかしこれは奇妙である。金の亡者のように見える彼らが、なぜ国民に金を配ることを提唱するのか。ベゾスが貧困層の救済を考えるはずがない。ギャロウェイも次のように述べている。

 

GAFA 四騎士が創り変えた世界 スコット・ギャロウェイ 渡会圭子訳 東洋経済新報社 413

 このかつてないほどの規模の人材と金融資本の集中は、どこに行き着くのだろうか。四騎士のミッションは何なのか。がんの撲滅か。貧困の根絶か。宇宙探検か。どれも違う。彼らの目指すもの、それはつまるところ金儲けなのだ。

 

 金儲けしか考えない四騎士が、なぜベーシックインカムの導入を提唱するのか。理由は当然、慈善でもなければ哀れみでもなく金儲けである。二つの要因がある。一つは彼らの懐は痛まないということである。なぜ痛まないか考えてみよう。そもそもベーシックインカムは誰が実行するか。もちろん政府である。財源は税金である。ところで、コロナ太りしたGAFAは、恐ろしいほどに税金を納めないことで知られている。だからベーシックインカムGAFAの痛手とはならないのである。

 

GAFAの課税逃れに世界が反発 - 産経ニュース

 

年間ナント1200億円以上! これがグーグル「税金逃れ」の手口だ

 

 もう一つの理由は消費者層の拡大である。「百姓は生かさず殺さず」という言葉が江戸時代にあったようだが、GAFAからすると「消費者は殺さず増やす」が望ましい。新型コロナウイルスの蔓延により失業者や自殺者が急増し、消費者が減ってしまえば彼らも困る。インターネットコンテンツを利用するお客さんが減ってしまうからだ。

 このまま百姓、つまり一般大衆が次から次に死んでしまえば、スマートフォンの売り上げが減る。インターネットで検索する人も減る。Facebookの登録者も減る。アマゾンで買物をする人も減る。彼らの巨大農場は人間の群れによって成り立っているから、そうした事態は困る。

 しかし働かない人が増えるのは、彼らにとっていいことだ。やることがなくて一日中ステイホームでインターネットを見る人達が増えれば、彼らの売上が増える。となると「生かさず殺さず、なおかつ増やす」の原則により、コロナでステイホームが増え、なおかつ消費者が死なずに生きるという状況が彼らにとって必要なのだ。

 これを成り立たせるための政策が、ベーシックインカムである。政府がベーシックインカムで国民の生活を支え、それにより国民が一日中インターネットの画面を見て消費する。そのために必要な財源は、GAFA以外の大企業や中小零細企業が納税することによって支える。つまり企業も政府も役人も、そして国民も、皆でGAFAの売上拡大を支えるのだ。

 

ベーシックインカム導入は「ショックドクトリン」でやるべき=竹中平蔵

 

2.反対勢力の落城

 ローマの大衆は「パンと見世物」を要求したようだが、アフターコロナの時代の「パン」はベーシックインカムであり、「見世物」はインターネットコンテンツなのかもしれない。だが、普通ならそんな計画が成り立つはずがない。なぜGAFAとそれに投資する金持ちのために、残りの全ての人間が犠牲にならなければならないのか。経団連は反対するはずである。国民だって、一日中家に籠ってインターネットを見る生活はしたくない。外に出て元気に働きたいはずだ。

 だから、普通に考えれば竹中先生が言う通り、「絶対に実現できない」。しかし、新型コロナウイルスの蔓延により、普通では成り立たない政策が成り立つようになる。失業者が増え、自殺者も増える。医療がパンクする。国民は国に文句を言うようになる。我らに生活費を支給しろと。だから竹中先生は言う。「今がチャンスだ」と。

 コロナで世界が変わるまでは、国民がGAFAの奴隷になることは考えられなかった。国民はそもそもインターネットやスマートフォンの奴隷ではない。平日は電車や車などで通勤し、外回りなどで忙しく働く。休日は家族で買い物、旅行、映画館、テーマパークに行く。そうしたアクティブな国民生活において、インターネットサービスはメインディッシュに成り得ない。ネットは副菜に過ぎなかった。

 しかしコロナで全てが変わった。電車に乗るのは特攻の決意が要る。3密はできない。テレワークが普及する。下手をしたら、月曜から日曜まで家の中にいて、パソコンの画面を見ている。テレワークで給料が入るならまだいい方だ。顔の前に、失業という恐怖がぶら下がる。結局、この苦境と不安感がベーシックインカムを引き込む。GAFAの甘い誘いにのり、国民は落城する。

 では経済界はどうか。一部のIT企業の利益のために、それ以外の全ての企業が奴隷にならなければならないシステムには、経済界の大勢は反対である。税金を納めない企業の利益のために、税金をきちんと納める企業が犠牲になる。普通はそんな制度は考えられない。

 しかし、新型コロナウイルスの蔓延により、本来なら反対の声を高らかに上げるはずだった企業群が大打撃を受けた。多くの企業が倒産し、生き残った企業も青色吐息である。弱った企業は社員に給料を払えない。ボーナスも出せない。人材を会社に繋ぎとめておくことは難しい。その中でベーシックインカムが導入されれば、会社も助かる。給料を半分にしても、社員は残ってくれる可能性がある。

 こうしてGAFAの青写真に反対するはずだった企業群が落城していく。では政府はどうか。実は政府にとって、ベーシックインカムの導入は悪い話ではない。もちろん国民に毎月金を配ることは相当の出費になる。だが一方、年金や社会保障、税制などで莫大なコストダウンとなる。

 これまで政府は一人一人のケースに合わせて福祉を適用していた。しかしベーシックインカムが導入されればそんな面倒はなくなる。生活保護受給者も年金生活者も、ベーシックインカムの一本で終わりである。となれば、そうした複雑な福祉政策に従事していた公務員を大量にカットすることが可能になる。これは政府にとって大きなコストダウンである。

 もちろん、通常の状態なら法案は絶対に通らない。切られる公務員は団結して反対するはずだ。しかしコロナ禍で失業者や自殺者が増える状況の中で、公務員がどうやって団結して反対運動をすることができようか。3密を避けながら運動をすることは難しく、皆が苦しんでいる中で公務員が自分の職を守るためにベーシックインカムに反対するとなると、自粛警察に殺されるかもしれない。

 公務員のみならず、本来ならば年金生活者の大部分も、ベーシックインカムの導入には反対のはずである。竹中平蔵案の一人頭月額7万円の支給ではさすがに少なすぎるだろうから、仮に一人当たり生活保護受給額に近い金額の13万円がベーシックインカムで支給されると仮定したらどうだろう。

 しかしこれにより年金もストップするとなれば、13万以上の額を貰っている年金生活者は反対するに決まっている。だがこれも公務員のケースと同じく、コロナ禍の中では反対の声を上げることができない。皆が苦しんでいる中で自分の年金にしがみつくためにベーシックインカムに反対するとは何事だということになる。

 結局、大企業、国民、政府、公務員、年金生活者が落城する。本来ならGAFAの青写真に反対するはずの人々が、次々に落城するのである。となると、GAFAの青写真の背後にはコロナがある。コロナの原因には生物兵器説とコウモリ説があるが、もしコウモリ説が正しいならば、こうした青写真を支える屋台骨はコウモリだということになる。

 だとしたら超富裕層は、コウモリに感謝すべきである。純金製のコウモリ神社を建て、毎日参拝するべきではなかろうか。新世界秩序の構築という壮大な計画が、武漢の森のコウモリという一点から始まっているのだから。

 

GAFAが望む世界~貧困消滅(?)~|小峰ひずみ|note

 

竹中平蔵氏の「月7万円」ベーシックインカム論が炎上

 

竹中流ベーシックインカムはどこが問題なのか だまされるな、本質は新種の「リバース年金」だ

 

3.二つの共和国

 これはあくまでも仮定の話であり、妄想の域を出ないので、読んだら忘れてもらって結構だが、仮に新型コロナウイルス生物兵器なのだとしたらどうだろう。軍事ジャーナリストの黒井文太郎氏は、新型コロナウイルスは殺傷力が低いので生物兵器だと考えるのは不合理だと述べている(第四十八回ブログ参照)。

 黒井氏の考えは軍事的知見としては極めて真っ当であり、私もその通りだと思う。だが、生物兵器を用いる相手が兵隊ではなく一般国民なのだとしたらどうだろう。つまり、彼らにとっての敵兵がどこかの国の軍隊なのではなく、彼らの金儲けに反対する一般国民なのだとしたら。

 かつて、戦争とは国と国との戦いであったが、そういう考えはもう古いのかもしれない。第三次世界大戦は心配するものではなく、もうとっくに起きており、そろそろ終戦に近づいているのかもしれない。ポストコロナ、ニュー・ノーマルの世界とは、その戦争が終わった後の世界のことであり、我々は気づかないうちに敗戦後の世界に足を踏み入れつつあるのかもしれない。

 以上、私が仮定する生物兵器説は妄想であるが、原因が妄想であろうとも結果は妄想ではなかろう。つまり、ビフォーコロナの時代は過ぎ去り、もう戻ってこないというということである。新型コロナウイルスの原因が何であれ、我々の生活にIT化の波が怒涛のように侵入してくることは避けることができない。

 IT企業が経済的に躍進しても、彼らは少量の雇用しか生み出さない。彼らは税金を納めないし、雇用の創出もしないのだ。かつてアメリカでフォード自動車が躍進に次ぐ躍進を果たした時代、彼らは大量の雇用を創出し、同時に大量の消費者を生み出した。

 フォードが他の会社よりも高い給料を従業員に払ったのは、自動車づくりに人手が必要だったからという理由だけではない。自動車を購入できる消費者が必要だったのだ。そうやって消費者が創出されることでレジャーが発展し、家族旅行という概念が生まれ、サービス産業が勃興した。街道が整備され、宿場町ができ、レストランや映画館や遊園地ができた。つまりフォードという新しい自動車が生まれたことで、新しいアメリカが生まれたのだ。

 それは狭い範囲で暮らしていた国民が次から次へと外へ繰り出す世界の始まりだった。今度はそれが逆向きになる。GAFAは雇用を生み出さない。新型コロナウイルスの蔓延下で、ベーシックインカムが導入されれば、国民の生活はステイホームが主流となる。

 フォードの時代は巨大な大衆社会が生み出されたが、ポストコロナの時代は精神の二極化世界が生み出される。これまでは学校や会社という毎日向かうべき場所があった。そうした通学や通勤のおかげで堕落しなくて済んだ人が、全てが自己管理にゆだねられる世界に放り込まれることになる。

 朝何時に起き、何を食べ、どのように掃除をして、どのような運動をし、どのような本を読んで自己を啓発するか。自分で自分に適切な仕事を与え、どのように計画してその仕事を成し遂げるか。そうしたことを自主的に、かつ喜びを持って行うことができる人間は、人口の何%いるだろうか。

 ステイホーム中、気づいたら部屋はゴミ屋敷となり、毎日インスタントラーメンばかりを食べ、体脂肪率は上昇したという人は、ベーシックインカムの中で幸せになることは難しいだろう。もちろん、GAFAにとって嬉しい人物像は、そうした自己管理が苦手な人間である。

 結局のところ、アフターコロナの時代には自己の「政(まつりごと)」が求められるようになる。これまで政治とは、国家が行うものだと考えられてきたが、これからは国の統治よりも自己の統治が遥かに大きな問題となってくる。自己という大統領が自己という国をどう治めるかが問題となってくるのだ。

 放漫な国王は、すぐに自己という国家を滅ぼすであろう。その国土は荒れ果て、ゴミだらけであり、一日中インターネットが動いているのだろう。腹が減ったら食べ、満腹になったらYoutubeの動画やアマゾンプライムの映画を見たり、次から次に登場するゲームの世界に耽溺する。そうしてゆっくりと滅んでいく。

 他方、充実した国家には民主的な大統領がおり、国民の声をよく聞くであろう。肉体という民の声を聞き、大統領がインスタントを食べたいと思っても、民の声を優先し、体にいいものを食べるであろう。肉体という民が満たされたら、大統領は精神という民の声を聞き、スマートフォンをいじったり、アマゾンプライムに耽溺するのではなく、優れた本を読み、民を満足させるであろう。

 その個人という共和国は民主化されており、自我という大統領が暴君として君臨しない。肉体という民と精神という民が調和し、それぞれがそれぞれの特徴を発揮し、脳は常に静かである。そのような優れた共和国の隣に、堕落した国が並び立つ。マンションの隣の部屋はゴミ屋敷かもしれない。

 ベーシックインカムが導入されれば、国家が個人に生活費を渡し、「あとは知らない」という世界になる。自立か堕落か。社会は一切面倒を見てくれない。堕落の誘惑は画面の向こうからいつでも強く語りかけてくる。となると、一部の自己統治に優れた人間以外は誘惑に負けて餌食になるであろう。そうした恐るべき二極化の世界がやってくるのだ。